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「読書離れ」が進む理由とは

時節柄、最近はオンラインで指導することが増えてきました。
先日も、関東にある自宅から関西在住の生徒に、算数を教える機会がありました。
そこでは「立体図形」を中心に指導しています。
中学受験のために勉強している生徒は、算数の問題の中で、図形を苦手とする場合が多いです。
大半の子供が、問題をよく確かめることもなく、自分のやりたいように、出てくる数字をこねくり回し、闇雲に計算することでごまかそうとしています。
彼らは、「計算=算数」と思っているので、「図形」のように、しっかりと筋道を立てて、論理的に解答することが求められる問題に直面すると、全く歯が立ちません。
計算する場合でも、「何のために計算するのか」きちんと検証しようとしなければ、決して答えに辿り着くことができないということが理解できないのです。

一例をあげれば、中学入試でよく使うテクニックとして、半径がわからない場合でも、「半径×半径」が正方形の面積となるので、いきなり円の面積を出すことができるというものがあります。
これは、どこの塾でも小学五年生の一学期に学習するものです。
ところが、六年生の夏になっても、このテクニックが使えない生徒が大勢います。
与えられた数値が半径でないにも拘わらず、勝手に半径と決めつけて、問題を解こうとする生徒が後を絶ちません。
彼らは、問題に出てくる数値が「半径であるか否か」を検証しようとすらしません。
これは明らかに「分析力」と「忍耐力」の欠如です。
先ほどの関西在住の生徒にも、「実力とは『忍耐力』と『分析力』である」ということを徹底的に指導しています。
これこそが、図形問題を解く時に必須といえる力だからです。

人間の思考力は前頭葉にあり、ここに「我慢」と「抑制」の神経中枢があるそうです。
前頭葉の機能が衰えると認知症になりやすいということは、精神科医である和田秀樹さんが著作の中で繰り返し主張されていることです。
今の子供たちは、この前頭葉の機能を鍛える機会が少ないのかもしれません。
何か分からないことがあっても、スマホやタブレットなどですぐに調べることができるため、一人で問題に取り組み、解答を導き出すという地道な作業に耐えられないのでしょう。
それでは「忍耐力」が育つはずがありません。
解答に向かって、論理的に考えることもなく、無意味な計算を繰り返したとしても、前頭葉が刺激されることなど全く望めないことです。

文藝春秋デジタルの記事に、数学者の藤原正彦さんが書かれている記事があります。

ここでも、藤原さんが同じことを主張されていました。
詳細は、是非ともリンク先の記事を読んでいただきたいのですが、ここで簡単にご紹介すると、
藤原さんがケンブリッジ大学で教鞭を執っていた時、学長をしていた地球物理学者の知人が来日した時のお話です。
彼はイギリスで上院議員をしており、政府の科学技術政策に携わっていました。そんな彼が、藤原さんにある質問をします。
「イギリスでは若者たちの『理数離れ』がひどい。『読書離れ』も進んでいる。原因について、いろいろ言われているが、マサヒコ、真の原因はいったい何だろうか?」
彼は深刻な顔で聞いてきたそうです。
そこで藤原さんは、「我慢力の欠如」と即答しました。
それを聞いた知人は、ハッとしたようにしばらく黙った後、二度頷いたと言います。

読書力のある人は、数学が得意です。
放っておくと、正解に到るまで、何時間でも数学の問題について考えています。
ただし、ここでいう「読書」とは、「小説や物語を読むこと」ではありません。
感情移入しやすく、本の世界に没入することができる小説や物語をいくら読んだとしても、「忍耐力」の養成には結びつきません。
このような読書は、単なる「娯楽」に過ぎないからです。
そのため、何時間続けたとしても、脳を鍛えることにはならないのです。
これに比べて、「評論文」や「論説文」を中心として、「ノンフィクション」「哲学」「思想」「倫理」「宗教」「道徳」といった分野の書物は、前頭葉を鍛えるのに適したものと言えるでしょう。
読むだけでも一苦労するような、内容も難解なものを積極的に読むことで、はじめて脳を鍛えることができるのです。
以前ご紹介したH・D・ソローが言っている「本物の読書」も、この部類に入るものと言えるでしょう。

脳を鍛える読書を歓びとするようでなければ、前頭葉は衰退するばかりです。
哲学を歓びとする脳と、数学を歓びとする脳は、同じ構造です。
八十歳を過ぎても、哲学と数学を愛していたピタゴラスのように、脳を鍛え続ける日々を過ごすことが、五十を過ぎた今、いちばんに心掛けていることかもしれません。





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