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神様と仏像と神社仏閣を巡る旅

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2016年2月の記事一覧

式年遷宮が復活したのは織田信長公の力だった!

式年遷宮が復活したのは織田信長公の力だった!

式年遷宮は終わりましたが、書店に行くと伊勢神宮や古事記など、日本の神様に関する本が目に入る機会が増えています。伊勢志摩サミットもあることから三重県を知ってもらおうとする動きも活発です。観光本も山積みされていました。

近鉄の新型特急「しまかぜ」の運行も順調です。予約状況をみると、いつも空席がわずか一つのようで大人気ですよ。

伊勢神宮の人気も世の中が平和な証拠だからといえます。その昔、戦国時代には

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熱田神宮には開かずの門があります

熱田神宮には開かずの門があります

名古屋にある大きな神社といえば、熱田神宮です。熱田神宮にある建造物には、伝説が遺されているものがあります。

その代表的なものが清雪門(せいせつもん)です。末社楠御前社の北東に位置し、もと本宮の北門ともいわれており、俗に不開門(あかずのもん)とも言われています。特別なとき以外は開けない門、開けることを不吉として開けない門のことで、この門は誰も開けてはならない門なのです。

なぜ「開かずの門」なのか

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京都にも熊野古道があった。熊野古道は三重県が本物である。世界遺産もどき?

ぶらぶらカメラ散歩で出会う楽しみ

ぶらぶらカメラ散歩で出会う楽しみ

カメラを買ってからというものの、県内各地をカメラを持って歩いている。時々京都へも行く。

カバーの写真は三重県三重郡菰野町内にある五百羅漢で撮影したものだ。お寺の境内にたくさんの羅漢さんがある。

この羅漢さんは運が良い。明治の代に日本各地の五百羅漢が破壊された中で、綺麗に手入れをされて残されているように見えるからだ。彫られてから年月を重ねると痛んでくるのは仕方がないことだが、破壊されて朽ち果てた

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日本武尊の二人の妃が並んで祀られていました。

日本武尊の二人の妃が並んで祀られていました。

昨日は「熱田神宮の神様が楊貴妃だった」という伝説について書きました。日本の神社に中国の美女のお墓があるとは驚きでした。私がこの話を知ったのは最近ですが、たぶん、地元の皆さんはよくご存じのことでしょう。

今回、参拝してわかったことがあります。それは、素盞嗚尊(すさのおのみこと)の影響が大きいのです。素盞嗚尊は八剣宮、南新宮社、六末社、曽志茂利社と境内に四か所で祀られていました。熱田神宮は第二次世界

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熱田神宮の不思議な伝説

熱田神宮の不思議な伝説

熱田神宮は私が好きな神社です。居心地は良いし、名鉄の神宮前駅で降りると歩いてすぐの場所にあるので、参拝にはとても便利です。駅から出ればすぐ熱田の杜が広がっています。

道路から敷地内に入り鳥居をくぐると、そこはもう別世界。濃い緑のトンネルの中を歩いている気分ですよ。手を洗い口をすすぎ、本殿をお参りします。お正月なら順番待ちでの参拝になったでしょうが、普通の日の午後は比較的空いていますね。

さて、

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天宇受売命が女性の理想的な姿かもしれない。朗らかで陽気。周囲を笑いで包み、天照大御神さえ動かしてしまう。笑顔が一番だと古事記に記されているわけだ。

糺の森を歩いてきました。

四年前に賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)を参拝しました。京都市左京区にある神社で、通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。御祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)です。

賀茂建角身命は、神武東征の際、八咫烏(やたがらす)に姿を変え、天皇を導いたとされています。玉依媛命は、川上から流れてきた丹塗矢によって神の子(賀茂別雷命)を懐妊したそうなのです。処女懐胎が日

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津観音は良いお寺だ。境内も広いし、なにより居心地が良い。檀家がいないお寺だからか、お寺にいる方たちがサービスしてくれる。この前はお茶のお給仕までしていただけたのだ。たぶん、私は単純だからそれだけで気に入ったのかもしれない。不動明王も美しいしね。

緑色に変身した不動明王である。賑やかな大阪の難波にある。この仏像を彫った仏師は最初から緑色になることを想定してはいなかっただろう。最初に仏像を依頼した御寺にしてもそうだ。単なる石から掘り出された仏も人間と共に歩んでいくうちに成長していくことを望んだのだろうか。