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式年遷宮が復活したのは織田信長公の力だった!

式年遷宮は終わりましたが、書店に行くと伊勢神宮や古事記など、日本の神様に関する本が目に入る機会が増えています。伊勢志摩サミットもあることから三重県を知ってもらおうとする動きも活発です。観光本も山積みされていました。

近鉄の新型特急「しまかぜ」の運行も順調です。予約状況をみると、いつも空席がわずか一つのようで大人気ですよ。

伊勢神宮の人気も世の中が平和な証拠だからといえます。その昔、戦国時代には百年以上遷宮が行われていませんでした。戦国乱世を終わらせ、平和な世の中にすることを目指した織田信長公が、伊勢神宮へ援助の手を差し伸べ、その後遺志を継いだ豊臣秀吉公が第四十一回の式年遷宮を内宮、外宮で行いました。天正十三年のことです。

織田信長公というと、比叡山の僧侶ら4000人を皆殺しにし、石山本願寺と「石山戦争」、一向一揆の鎮圧、高野山の高野聖数百人の処刑をした人です。焼き討ちや殺戮をした恐ろしい武人ですが、違う方向から見れば、本来の僧侶の姿から離れた武装したものたちを打ち滅ぼしたわけです。

現代社会の視点であれば、恐ろしい為政者と言えますが、当時の状況を想像すれば武力によって天下を統一するためには必要なことだったわけですね。

しかし、全ての神仏を否定していたわけではなく、桶狭間の戦いで戦勝祈願をした熱田神宮には、寄進をしたという信長塀が残っています。津島神社とも縁が深く、氏神と仰いでいたそうです。武装することなく、政治に口出しをすることもない神社には経済的な援助をしていたのです。

精神性を重んじる色は青です。近鉄特急「しまかぜ」の車体もブルーを基調にした爽やかな色です。

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