見出し画像

世界が終わる夜に

僕が高校2年生で、16歳の頃。
当時、毎日のように聴いていたラジオ番組、TOKYO FMの「SCHOOL OF LOCK!」で文学賞の企画が始まった。
「蒼き賞」というタイトルで、作品を応募できるのはティーン限定。
初回は、チャットモンチーの名曲「世界が終わる夜に」をテーマにした作品の募集だった。

企画が始まることが放送でアナウンスされた時は、一気にワクワク感が込み上げてきた。
同じ趣味を持っている同世代の学生たちが、一体どんな物語を書くのだろう。
僕自身も応募しようと思って、少しだけ構想を立てた。

ストーリーは、学校でいつも自分が感じているモヤモヤを描こう。
いや、でもそれはありきたりか。
このラジオを聴いている人はきっとみんなモヤモヤした学校生活を送ってるし、似たような作品が多くて埋もれそう。
それになんかこの話、現実と同じで世界が終わらなさそうだし。
世界終わらすならSFとか?
無理だ、スターウォーズすらちゃんと見たことない。
っていうか、小説書くならやっぱり原稿用紙かな?
でも原稿用紙は家にないから、買ってこないといけない。
家のパソコンで書く?
いや自分のノートパソコンもないし、いちいち立ち上げるのも面倒臭いな。
携帯で書くのはなあ。
なんか携帯小説みたいで嫌だな、あれ好きじゃないし。

形にとらわれて、世の中に言いたいことも、面白そうなアイディアも特に持っていなかった僕は、早々に挫折して潔く読む側に回った。
選ばれた小説の第一話がサイトで公開されてからは、つまらない授業中に読み進めた。携帯をいじっているのが先生にバレないように、また興奮しているのを隠しながら、コソコソしていた自分を鮮明に覚えている。
めっちゃ面白くてワクワクするとか、このストーリーは自分好みじゃないなとか、考えながら。

好き勝手な感想を持ちながら、この時に僕は強く思った。
読む側ではなくて、書く側に行きたいと。
傍目に見て好き勝手言う方ではなくて、自分を晒して表現している方に行きたいと。
いつか、自分が思ったことや良いと感じたことを、思うように形にしたい。


画像1


その頃の僕は、自意識が異常に強かったこともあって、チャンスを逸したり、なかなか自分が思ったことをうまく表現することができなかったりして、もどかしい思いをしていた。

まず思い出されるのは、中学生の時のことだ。
バンドを聴くようになってから、僕は自分が楽器をやってライブに出てキャーキャー言われる妄想をして、よく1人でニタニタしていた。
実際に、仲の良い友だちが文化祭でRADWIMPSを演ってキャーキャー言われているのを見たときは、かなり悔しい思いをした。
自分の妄想をいとも簡単に実現しやがってと。
その後機会を伺って、そのバンドに僕が加入することが決まったんだけど、予定していたライブが飛んでしまい、バンドは解散してしまった。
それも非常に残念だった。

高校に入ってからは思春期が爆発してしまい、自分から機会を潰しまくった。
人の機会も積極的に潰していた気がするし、まさにクラッシャーだった。
この頃は非常に反抗期で、あらゆる物に牙を剥きまくっていたからだ。
少し嫌なことがあると、すぐに投げ出していた。
特に象徴的なのは、学校行事だ。

先生に対して納得いかない気持ちを持っていた合唱祭では、ステージ上に立って一回も口を開かず、正面を睨みつける愚行を披露した。
そして、入学前に本当は青春を捧げたいくらいに思っていた文化祭の演劇では、クラスの中心人物とソリが合わずに拗ねまくった結果、気づけば何の役割も持っていない状態になった。
クラスで作ったパンフレットでは「主役 ●●」「大道具 ●●」と役名や役割とともにクラスメイトの名前が紹介されている中で、シンプルに「太」とだけ書いてあったのを見たときは、屈辱的だった。
体育祭も、もともと運動神経が悪くて嫌いだったこともあるけれど、創作ダンスとかそういう協力する系のものすら、ボイコットしていた。

まあそういう、イケてなくて、しかもかなり感じが悪くて、変な自己表現ばかりしていた10代だったのである。

画像2


大学生になってハタチになったくらいの頃からだと思う。
少しずつではあるけれど、強すぎた自意識が改善されてきたのは。
自分がやりたいと思ったことを素直にやりたいと言えるようになって、表現することで得られる気持ち良さも何度か味わうことができた。
そしてその気持ちとこれからも出会いたいと思ったこともあって、社会人になってからはイベントやプロモーションという名のつく仕事を今までしてきた。
自分の今までの選択にはちゃんと納得感があるし、やり甲斐も感じてきた。

しかしだ。
最近、僕は10代の頃とは別のイケてなさを、自分に感じている。

会社という組織には評価基準があって、それに応じて評価され、偉くなったり偉くならなかったりするのがサラリーマンというものである。
そして僕はいろんな会社がある中で、今は広告会社に所属している。
基本的には、商品を売りたい、会社をアピールしたいと思っている、お客さんを満足させるための仕事だ。
受注するためには、コンペだったり自主提案だったり形式は色々とあるけれど、仕事を任せてもらうための提案書を作ってプレゼンをする必要がある。
無事に受注できたら、良いものを納品するために全力を尽くす。それの繰り返しである。
当然、社内で評価されるのは、大きな売上を作った人、受注した案件で大きな結果を残してクライアントから評価された人である。

そういう価値観の会社の中で日々過ごしていて、最近気付いたのは、僕はかなりお金や評価に拘っているということだった。
いや、最近じゃないな。薄々、内心ではそういう自分に気づいていた。
それがダサいと思って、自覚しようとしていなかっただけで。
少しだけ役職が上がってしまったこともあって、地位にも今は執着心を持っている。

どういうことが起きているかと言うと、会社の評価基準に合わせて、この一年で僕は今かなり無理して仕事を受け続けている。
儲けないとという強迫観念に駆られて、提案が詰まっていても、納品物が詰まっていても、繁忙期でも、とにかく「やります」と受ける。
現実的に土日を潰したり、夜中まで残業したりしないといけない状況になってしまうことが見えていても、受けている。

しかも良くないことがある。
仕事の中身を見てクライアントをどれくらい満足させられるか、社会のためになるか、ということはもちろん考えてはいるけれど、それよりもこの案件やクライアントは儲かるのか、という金勘定でばかり考えてしまっている。
正直、なりたくなかった大人になっている。
あれだけ商業主義は嫌いだと言っていたのに。
お金は大事なんだけどね。

実は今この文章も仕事の合間に書いていて、時計は夜中の1時10分。
きっと今日は、これから夜が明けるまで、企画書を書き続けることになるだろう。
明日、クライアントへのプレゼンなのに、全然資料ができていないのだ。
これも無理したせいだ。マジで最悪だ。


画像3


冷蔵庫の動く音と、自分が打つキーボードの音だけが聞こえる、静かなリビングで1人、夜中のテンションで考える。
もしも、今こうして過ごしている夜が、「世界が終わる夜」だったとしたら。
モンスターエナジーを飲みながら企画書を書いているなんて、最低な最後だな、と思う。

しかも書いている企画書は、勝ち筋もよくわからないけど、1円でも売上を積み上げるために、その可能性を潰さないために無理してチャレンジしている案件だ。そこに書かれている文章は、僕が書きたくて書いているものではない。
そんなもののために、僕は「世界が終わる夜」に過ごす家族との時間や、大好きな睡眠の時間を犠牲にしている。
仕事を頑張るのは良いことだけれど、自分や大切なものを犠牲にする代償の大きさを、そろそろ理解したい。「世界が終わる夜」だとしたら、と考えてみると、自分が捨てているものの大きさが痛いほどわかる。

それにさっきからずっと、今この瞬間にパソコンに向き合っている僕のことを、16歳の僕が思い切り睨みつけている。
なんだよ、お前10年以上経っても全然書く側じゃねえじゃん。
読む側ではないかもしれないけど、そういうことじゃねえよ。
ってか、世界終わるのに、お前そんなことし続けるのかよ。
書きたいこと、ないのかよ。
本当にそれ、やりたいことなのかよ。


画像4


、、、んなこと、わかってるよ。
度々、自分で招いてしまうこの状況には、一番僕自身が嫌気がさしている。
もうやめるよ、こんな状態になるまで仕事することは。
僕だって、こんなのが最後の夜になったら嫌だよ。

それに、自分がやりたいことにもちゃんと気付いている。
この10年ちょっとの間で、大切なものもたくさん見つかったし、それを簡単に見失う事なんて絶対ないよ。
本当にこういう夜は、今日で最後にしたいから。
いや、絶対最後にする。
自分の時間や身体を犠牲にしてまで、やりたいことに辿り着けないなんて絶対に嫌だ。
僕は書く側として、この人生を歩みたい。

僕にはまだ、やりたいこともやるべきこともたくさんある。
なおもまだ睨み続けている16歳の僕を前にして、企画書より前に書き上げたこの文章は「世界が終わる夜」に起こしたささやかな抵抗だ。



<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?