見出し画像

水タバコの煙と共に消えた世間体

汚いものを見るような目で睨まれるたびに、心臓の音が早くなる。
入社前に面接で会っていた頃は、この人からこんな目線が自分に向けられるとは想像もしていなかった。僕のことをどうしても採用したいと社内を調整したのもこの人だったと、内定後の条件提示を受けた際には聞いていた。
相手の顔を見ていられなくなって、思わず目を伏せた。

「社会人でしょ?あなた」
「・・・はい」
「口ついているでしょ?」
「ついています」
「じゃあちゃんと話しなさいよ」
口調の冷淡さに、胃が縮むような感覚がする。

「体調が悪いんです。夜眠れなくなりました。ご飯も食べられなくて、吐き気がします」
「なんでですか?理由を言ってください。大人でしょ?わかりません」
自分の目に涙が溜まっていることがわかる。
その場を取り繕うような余裕などは、今の僕にはなかった。

「、、、もうどうしたら良いのかわからないです。自分がやることなすこと、全て間違っている気がしています。どうしたら良いですか?」
「それを自分で考えろって言ってるのよ!」
怖過ぎる、無理だ。

「そう言われる度に、もっとどうしたら良いのかわからなくなって、、」
「私にどうして欲しいですか?何を望んでますか?あなたは何がしたいですか?」
「だから、、」
捲し立てられて、頭が真っ白になる。
それでも何か言わないとと思って、絞り出すように素直な気持ちを言うことしか、最後は考えられなくなっていた。

「・・・できるだけ、黒田さんと話さなくて済むように仕事を進めたいです」
「わかりました、上司としてそんなに部下に嫌われていると思うと、悲しくて仕方ないです」
激しく音を立てて、上司の黒田さんは部屋から出て行った。
机に突っ伏して、僕は深いため息をついた。
なぜこんなことになってしまったんだろう。
今から4年前の7月、当時勤めていた会社の会議室で起きた出来事だ。

画像1


大学を卒業して、社会に出た瞬間に地方に転勤した。そこで田んぼの横を行き来する3年間を過ごした僕は、初めての転職で非常に浮き足立っていた。
選んだ転職先は都内のサラリーマン街にあるベンチャー企業。
大きなビルの高層階に、オフィスを構えていた。規模は小さいながらも、最先端技術を活用した社会性ある事業を展開し、その存在はマスメディアでも取り上げられていた。
商談先は大体が丸の内や六本木に集中していて、商談終わりで1,000円を越えるランチを食べている時は、やっと生まれ育った東京に戻ってこれたんだな、ここが本来の俺の場所だったんだな、としみじみとしていた。

入ってからのはじめの1ヶ月は、上司の黒田さんとの関係は良好だった。
ベンチャーらしく、黒田さんは会社の一部署の仕事を、今まで1人で回していた。会社の成長とともに業務が拡大し、新しい戦力が必要だというところで入社したのが、僕だったらしい。
待望の部下だったらしく(のちのち聞くと、僕の前に何人か早期退職していたというオチだったけど)、かなり熱烈に迎え入れられた。
初めは何をやっても「優秀だね」とニコニコしていた黒田さんが豹変したのは、僕が一度ミスを犯してからだ。

間違ってしまったのは、頼まれていた会議資料の準備だ。社内で行われる会議用資料で、一部の印刷内容が先祖帰りしてしまっていた。
凄まじい形相で起こる黒田さんを見たときは、落ち込みながらもこの人はプロフェッショナルだ、僕は厳しい環境に来たんだと背筋を伸ばした。
前の会社は少しゆるくて、業務は結構好き放題やらせてもらっていたし、先輩も上司も資料を細かくチェックすることが少なかった。その慣れが残ってしまっていたのかと、反省した。
東京の会社って、ベンチャーってすごいなあ、とその時は馬鹿みたいに思っていた。

それからは、仕事が事細かに見られるようになって、頻繁に叱られるようになった。
隣で仕事をしていて、数分刻みで業務状況を確認される。
「今どうなってるの?」
「なんでその仕事からはじめているの?」
「どうしてそんな風にしか考えられないの?」

少しでも黒田さんが思うようなフローや優先順位で仕事をしていないと、机を叩かれて怒られることが増えた。
それが繰り返し起こり、優しかった頃に「これもできるよね!」と担当するように言われていた仕事は、「あなたには無理だね」とどんどん取り上げられた。
結果、僕が「担当者」と命じられた仕事はたった3つになっていた。
会議が始まるときに水を運んで終わったら片付けること、会議資料を印刷すること、上司が出かける時にアポイントメントを調整すること。
あとは、日によって生じる雑務。
電話を取ったり、重い物を運んだり、シュレッダーをかけたり。
ほか、黒田さんの気まぐれで生じた仕事。

画像8



やる仕事がほとんどないにもかかわらず、僕への叱責は続いた。
もはや叱責されるのが、業務になっていた。
帰りの電車の中で、コミュニケーション能力の低さを非難するメールや、意欲が感じられないというダメ出しメールが届く。
「あなたは、同僚をランチに誘うこともできないの?」
「役員と会った時になんで挨拶しかしないの?話すことを何も思いつかないの?」
僕の振る舞いはいちいち黒田さんを刺激してしまったらしく、電話で1時間以上かけて説教されることもあった。
いちいち真に受けて落ち込んだ。

怒られるだけならば耐えようもあったかもしれないけど、困ったのは数日に一回、とても優しい日があった。そういう日は決まって、黒田さんから積極的に僕に話しかけてくる。そのタイミングでは、重要書類の制作や外部の人とのやり取りを任せたいと、丁寧なレクチャーとともに役割を与えてくれた。質問をしても、時間をかけて答えてくれた。
しかし、気をつけないといけないのはその翌日だ。同じテンションで接すると、大目玉を喰らった。

「そんなこと自分で調べなさいよ!」
「そんなこと私に聞けばわかるじゃない!」
「人にばかり聞かないで頭使って考えなさい!」
「考える前に聞きなさい!」
「やっぱりこの仕事、あなたには無理ね」
「粘ってやってみようと思わないの?」

日毎に指示の方向性が変わった。

結果、僕はまともに喋れなくなった。
何か仕事を渡されても頭が真っ白になってしまって、何に手をつけたら良いのかわからない。順序を立てることもままならない状態になっていた。
一つ一つの仕事が、怖くて仕方がない。

いろんな仕事を経験し、ある程度の成功体験を積み上げてきたと自負していた。けれど、全てが無駄になった。粉々になった。
前の職場の上司から言われた「物怖じしないのが君の良いところ」という言葉を思い出して、悲しい気持ちになった。
ドン底まで、気分は落ち続けた。

画像7



そんな中で入社から3ヶ月ほど経った6月の終わり、「あなたは人と関わるのが下手すぎる。コミュニケーション能力が0点です。とにかく人と話してきなさい」と言われて、地方支社への1週間の出張を命じられた。
1週間の間にやる仕事は、ただただ支社の人と喋ることだ。
地方支社の人たちは優しくて、何を話したら良いのかわからなくてひたすら仕事内容を聞いて回る僕に、嫌な顔をせずに話してくれた。

その上で、最後には必ず「大変だね」と、とても心配そうな顔をして言葉をかけてくれた。
黒田さん、大変でしょ?と。
この時初めて、僕の前任者がたった2ヶ月で退職し、その前の人は不眠症になって部署移動をしていたことを知らされた。

限界を迎えた。
ホテルに戻ってからこの会社に入るきっかけになった転職エージェントの女性に縋るように電話をかけた。何かあったら、いつでも相談してくれという彼女の言葉を思い出したからだ。

ただ、黒田さんと前職が同じだったという転職エージェントは、僕の説明を受け入れなかった。
今思えば、早期退職されると成功報酬のフィーが減らされてしまうから、とか、そういう理由でだろう。
黒田さんがいかに良い人か、今の仕事がいかに良い会社か、そして僕の甘さをひたすら指摘された。頭を使って考える力がかけている、論理性がないから黒田さんを納得させられない、ベンチャーだから人の入れ替わりはよくある、あなたはどこに行っても通用しない、と。

落ち込みが深くなって電話を切った後、転職エージェントが属する会社のサイトを見てみた。「人が主役」「1人1人に寄り添う」みたいな耳障りの良い言葉が並んでいる。エージェント紹介のページには、高学歴の大学名ばかりが並んでいる。
学歴付きの社員紹介を出す会社って、どういうつもりなんだろう?
私たちは頭が良いです、受験に成功した人しか入れない会社です、とでも言いたいのか?
そもそも、黒田さんが素晴らしい上司だと推す理由が、「前職が同じで共通の知り合いがいるから」と説明していた彼女に、論理性はあるのか?
そんなことを考えながらも、そのエージェントを選んで信じたのは自分だし、会社を選んだのも自分自身だということは痛いほど痛感していた。
完全に、自己責任だ。

画像6

出張を終えて東京に戻ってから、僕は体調を崩しはじめた。
常に熱っぽい感じがするし、寝ても寝られない。夜中に何度も目を覚ます。ご飯も食べられなくなっていた。喉を通らないし、吐き気がする。

極め付けは、会社から帰る途中、乗り換えで電車が来るのを待って、線路を見つめている時のことだ。
変なことを考えてしまうようになっていた。

楽になりたい、痛くない方法はないかな、と。

そんな発想をするようになった自分に怖くなって、できるだけホームで乗り換え時間が発生しないように電車が来る時間を調べたり、乗り換え駅から歩いて帰ったりするようになった。

親がとても心配し始めた。
上司の黒田さんを除く、東京や地方支社の同僚たちも心配そうな目線を送ることも増えてきた。
その状況は、辛さに拍車をかけた。

それに、僕はこんな状態になるために転職してきたんじゃなかった。
居心地が良くて、仲の良い同僚や尊敬できる先輩もたくさんいた会社をわざわざ辞めて、この会社にチャレンジしに来たのだ。

このままじゃいけないと、勇気を振り絞って黒田さんに声をかけた。
自分の今の状況を伝えようと。
まずはそうしないことには、先に進めない。
恐る恐る振り絞るように現状を話してみた結果、僕を待ち受けていたのは冒頭の描写だ。
理詰めだった。

しばらく会議室で突っ伏してから自席に戻ると、隣の席で黒田さんがパソコンのキーボードを叩いているのを見て吐き気がしてきた。
ここにいたらもどしてしまいそうだ。
黒田さんに「早退します」と告げると、なぜか少しほくそ笑んで、「好きにしなさい」と言った。

画像2

明るい時間に会社を出た僕は、とりあえずマッサージ屋に行くことにした。大した仕事をしてないから肩も何も凝っていないけれど、リフレッシュしようと思うと、自然と足が向かっていた。

同い年くらいの男の子が担当してくれた。
僕の身体をほぐしながら言う。
「あー、強張ってますね。お忙しいですか?」

忙しい訳が無い。
社会人になったばかりの頃より、仕事の内容がない。
学生の時のバイトより、役割がない。
その頃の何百倍も、毎日怒られているけど。
そう思うと悲しくなって、何も応えられなかった。

毎日資料の印刷や水汲みしかやっていない僕と対照的に、マッサージしてくれている同世代の青年は、立派に独り立ちしている。
そんなことを考えて、余計に辛くなった。
僕は、25年の人生の中で今が最も停滞している。
止まるどころか後ろ歩きし過ぎて、スタート地点より遥かに後ろに行っている。
しかもこうして、会社をサボっている。
もう最悪だ、終わっている。

画像5

マッサージ屋を出ても、まだまだ時間は有り余っている。
誰か会える人はいないかと思っていると、その日、誕生日のお祝いメッセージを送った友人とのLINEが続いていた。
たまらず「いまひま?」と聞いてみる。

新聞社で校閲の仕事をしていた田澤は、身体が空いていた。
不定期な勤務体系で働いていて、ちょうど寝不足だから家に帰って寝ようとしていたらしい。
わざわざ新宿まで来てくれることになった。

一足先に、東南口にあるスフレ館に入って、田澤が来るのを待つ。
コーヒーをすすりながら、この1,2ヶ月は友人と全然会っていないことに気付く。
良い状態でない自分を親しい人に見せるのは勇気がいる。
平日は怒られた後に取り繕うことが難しいし、土日は塞ぎ込むことが多い。
週に2,3本は観ていた映画も観る気力が湧かなくなっていたし、サッカーやライブに行っても上の空になってしまうことが多い。
好きなものに対して、心が動かなくなっていた。

地下にある店内に入ってきた田澤の姿を見た瞬間、少し安心した。
高校生の頃から、いつも田澤は変わらない空気をまとっている。
僕自身は気分に浮き沈みが激しいことを自覚しているけれど、田澤はそういうところがあまりない気がする。

近況報告から始まって、僕は今の職場での出来事を少しずつ話してみた。
体調が日に日に悪化していることも。
「やばいね」と言いながら、田澤はとにかく話を聞いてくれている。
その様子を見て、転職したばっかりだけどパワハラでもう辞めたくなっている、というとてもダサい話を最初にする男友達は、田澤しかいなかったなと思った。
理屈がどうとか、それまでの経緯がどうとかということよりも、相手の痛みや感情を最初に受け取ろうとする人間が、田澤だ。
ただ平日に会えそうだから、というだけではなくて、僕は田澤に話を聞いてもらいたかったのだということに気づいた。

画像3

「とりあえず水タバコ吸いに行こうか?」
一通り話した後、言われるがままにスフレ館を出て、中華系のいかがわしいマッサージ店とかの並びにある雑居ビルに向かった。

平日の店内には、ほとんど人がいなかった。
派手なピアスやタトゥーが目立つ店員から説明を受けてから、2人でスパスパし始める。
のんびり話しながら田澤は「健康が一番だよ」みたいなことを何回か言った。

そうだねと相槌を打ちながら、転職したばかりの自分は、それだけじゃダメなんだよなあとも思う。
何かをやり遂げなければ、とまではいかないけれど、散々いろんな人に今回転職した理由やきっかけを話してきたし、すぐに辞めるようなことになってしまったら、それこそ履歴書にも傷が残る。
健康はもちろん大事だけれど、それだけではダメなのだ。

でも、シーシャを吸い続けていくうちに、気持ち良くなったり少し気分が悪くなったりを繰り返していると、力が抜けてきた。
どうでもいいやという気持ちで、頭の中が覆われてくる。

僕は理屈とか経緯を、かなり気にしている。
世間体にも捉われている。大手からベンチャーに移ったからには失敗できないとか、転職したばかりですぐ辞めたくなっているのはゆとり世代だからだとか思われたら嫌だなとか。
現状が苦しいのももちろんだけど、マイナスな考えばかりが浮かんでいた。

でも、10年以上付き合ってきた、目の前にいる友だちは、そんなものを気にしていない。
僕の体調だけを、気遣ってくれている。
いったい僕は、誰に対して申し訳なく思っているのだろう?
その申し訳なく思っている対象に、顔はあるのだろうか?

健康が一番と真面目な顔で言いながらタバコを吸ってる田澤のアンバランスさを見ていたら、次第におかしくなってきた。
僕は何かに囚われすぎている。
もっとちぐはぐで良いのかもしれない。
一番大事なのは、こうして田澤と2人で過ごすような時間なんじゃないだろうか。

画像4


夜から仕事の田澤と別れて、僕はひとりで駅のホームに向かった。
いま会社で抱えている問題は何一つとして解決していないけれど、気持ちはだいぶ楽になっていた。
その証拠として、電車が来るのを待っている間に線路を見つめていても、この日は変な考えが浮かんでこなかった。

AFTER HOURS / シャムキャッツ


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?