見出し画像

同じサッカーチームを24年間応援して、やっと分かった向き合い方

2021年9月18日。
名古屋グランパスに一点リードされたまま、試合は終盤を迎えた。
終了を告げる主審のホイッスルを確認するや否や、速攻でテレビ画面を消した。
「あー、悔しい!無理ー」
ソファに顔を埋め込む僕を見て、奥さんが気の毒そうに言った。
「またこの季節が始まってしまったね」

夏の余韻が徐々に消え始める9月の半ばから、僕は毎年不安定になる。
応援している横浜F・マリノスのシーズンが終了に近付き、結末が見えてくる時期だからだ。
歓喜に終わるのか、大きな落胆に終わるのか。
一つ一つの試合結果の重みが増してくるので、どうしても一喜一憂してしまうものだ。
Jリーグで贔屓のサッカーチームを持つ方は、共感してくれるんじゃないだろうか。

リーグタイトル、カップ戦タイトル、ACLへの挑戦権、残留争い、昇格争い。
各チームが色んなものをかけて戦うから、試合の強度が高く、観ている側の緊張感も相当高くなる。
勝てばテレビ越しだろうと雄叫びを上げて喜ぶし、負ければ言葉を発することもできないくらいに深く落ち込む。
僕は力が入り過ぎて、試合が終わるといつも熱っぽくて怠くなる。多分興奮し過ぎて発熱している。


そうやってこの時期を毎年過ごすようになってから、数えてみるとなんだかんだ24年目になっていた。
少し離れていた時期もあったけれど、四半世紀もこの生活を性懲りも無く送っている。
その間で、リーグ優勝に3回も辿り着いたことがあった。これはJリーグファン全体の中で相対的に見ると、かなり恵まれているほうだとは思う。

しかし思い返すと、秋から冬にかけてのJリーグの記憶は、自分の身を削ったものばかりが蘇る。

マリノスが最も過酷な残留争いをした2001年。
小学生だった僕は、試合を迎えるたびに吐き気を催していた。
今日負けたらまたJ2降格に近付いてしまう。
そんな緊張した思いで、日産スタジアムに向かう京浜東北線の中で、ゲロを吐いた。
蒲田と川崎の間での出来事だった。
どうしようもできない現実への向き合い方がわからなかったちびっ子にとって、残留争いは完全にキャパオーバーだった。

最後の最後で広島に抜かれて、逆転優勝されてしまった2013年。
大学生だった僕は、優勝を逃した瞬間を、等々力のスタジアムで迎えた。
両隣のサポーターが号泣している中、全く現実が飲み込めず、川崎のサポーターが喜んでいるのをじっと立ち尽くして眺めていたのを覚えている。
そして歩くのもやっとな状態でふらふら帰宅しようとすると、スタジアムから駅までの道で迷った。全く辿り着けない。
途中で猛烈な便意が催してきて、爆発寸前になった。
来年から社会人になるのに、道に迷った挙句うんこ漏らすなんてあり得ないと焦り始めたとき、他のサポーターに周回遅れで僕は泣き始めた。
泣きながら走ってやっとのことで、武蔵小杉とは別の駅に辿り着いた。
優勝を逃した悔しさと行きたかった駅に着けなかった情け無さで、泣きながらうんこをした武蔵中原駅のトイレは一生忘れないだろう。



ゲロとかうんことか、汚い話になってきてしまったけれど、僕が言いたいのは、ここからのJリーグは、観ている側もかなりキツいということなのだ。
イチサポーターになってしまうと、大変だ。
大袈裟に見えて、本当の話で、常に緊張している。

3年前に、イギリス大学が発表した研究結果で、
「サッカーファンを続けることにより受ける累積的影響は、圧倒的に負のものである」
という記事を目にした時は、かなりの納得感があった。


そしてこんな状態でサッカーファンが過ごしていると、何が起きてしまうかと言うと、由々しき事態が起きる。

それは、サポーター同士の小競り合いである。
これは、思想が強いが上に起こる、宗教的争いに近い。

スタジアムの帰り道などで一触即発の状態になってしまうことは、小さい頃から何度もあった。
試合が終わった直後は、観た側もかなりエキサイティングなのだ。しかもこれは、シーズン終盤にかけての方が起こりやすい気がする。

昔はリアルな喧嘩が起こるかどうかだったけれど、徐々にネット上での争いが起きるようになった。
歳を重ねるにつれて、徐々にネット環境が発展し、J's GOALという速報サイトや掲示板ができてきた。
そして、そのチャット欄などでは罵り合いが起きるようになった。
「首位なのに大したことねえな」
「代表選手がいてもそんなもんかよ」
とかいう相手チームのサポーターの書き込みを見るや否や、仕返しをしたくなって、しかしボキャブラリーのない自分の頭を恨んで、悔しくてジタバタした。

更に、ここ10年では、SNSが浸透してネット上の争いはエスカレートした。
誰かにメンションをしている訳でもない、負け惜しみの個人的なつぶやきを適当に投稿したら、突然知らない優勝争いをしているライバルチームのサポーターから攻撃的な言葉を投げつけられて、挙句速攻ブロックされるという意味不明な事象を体験した時は、青天の霹靂だった。何がなんだかわからなかった。

僕はそれ以来、この時期に相手チームに関する感想を呟かないようにしているけれど、タイムラインを眺めていると、似た事象は頻繁に起きている。
Twitterではエゴサやリツイートによって、本来であれば関わるはずのない、違うチームのサポーターの意見も目に入ってしまうから、喧嘩みたいなことがたくさん起きている。
これは同じチームを応援している仲間同士でも争いが起きるケースもある。
シーズン終盤にかけて、血気盛んになったサポーターのコミュニケーションから、なんとも言えないことが、しばしば起きてしまう。

ただ僕は、SNSで見知らぬ人に攻撃的な言葉を投げかける事はないけれど(見知らぬ人でなくても)、正直に言ってそうしてしまう人たちの気持ちがちょっとわかる。
自分が懸命に応援しているチームを中傷するような発言はもちろん、揶揄するような発言、それに負けた相手チームのサポーターが喜んでるような様子でさえも、普通にムカついてしまうのだ。
試合を見ている時と同じくらい、頭に血が昇る。

これはもう、人間だから仕方ない。
仙人のような心で、受け入れるようなことは、到底できない。24年目でも無理だ。

それでも、感情を思い切り相手にぶつけてしまうようなこと、傷つけたり争ったりなんてことは、絶対にしない方が良い。本当に、誰も得をしない。
それも24年目だからこそ、しみじみと分かることだ。
サポーター同士の喧嘩ほど、不毛なことは世の中にない。



しかし、じゃあどう向き合ったら良いのか。
このストレスの高い日々を乗り越えつつ、人といがみ合わないようにするためには。
人の意見を必要以上に見ないようにする、とか色々とあると思うけれど、僕がたどり着いた本質的な答えがある。

それは、本当の意味で選手と一緒に戦うことだ。
具体的にいうと、選手と同じように、同じ気持ちで、"自分の生活"を大切に生きていくということ。

選手たちは試合に負けた後、試合でよかったことや悪かったことを振り返り、次の試合は勝てるように、練習を重ねていく。
コンディションを整えるために、食生活などにも配慮し、万全の準備をしていく。
選手たちの多くは、試合の場で相手とやり合うことはあっても、終わった後もネチネチとネットで喧嘩したりはしていない。
あくまでも、ベクトルは自分に向いている。

マリノスのラジオ番組で、水沼宏太、和田拓也の2選手が、こんなことを言っていた。


「めんどくせえなとおもっても、サッカーやるって決めてる」
「試合に出れないとか悔しい思いがあっても、絶対に目の前のことを全力でやる」

試合に負けた悔しさに加えて、試合に出れない悔しさもある選手たちの向き合う姿勢には、頭が上がらない。
どんなに受け入れられないことがあっても、悔しい思いがあっても、当事者たちは、全力で次に向かっているのだ。

サポートする側がうだうだと文句ばかり言ったり、知らない誰かと喧嘩したりするのは、あまりにも無駄である。選手とともに、次に向かいたい。

スタジアムに行っても声が出せなかったり、スタジアムにいけなかったりすることがあまりにも長期化しているので、イライラする気持ちはわかるし、僕もかなりイライラしている。

しかしだからこそ、今の僕たちにできることは、"自分の生活"だ。
選手と同じように、次の試合に向けて、サポートするための準備をする。
それはつまり、試合の結果を受け止めた上で、仕事や学校、普段の生活をしっかりと送ることだ。
選手と違ってプレーができる訳ではないため、サポートする側としての最大限の準備をする、心を整える必要がある。試合に勝つためにサポーターにできることは、全力で選手を励ます応援をする事だ。
心が整っていないと、応援しているチームの選手に対する愚痴や文句も増える。ただ愚痴や文句は、サポートにはならない。
だからそうならないように、今を生きる。

サポーターにとって、サッカーは現実逃避の余暇ではなく、現実だ。
決してストレスのはけ口ではない。だって、観てるだけでストレスが溜まる。
だからそのこと自体も理解して、付き合っていかないといけないと思う。

最初の方で書いたように、僕はマリノスから離れていた時期もあった。
それは、サッカーが自分の日常に、どうしても入る余地がなくなってしまったからだ。
根本的には、常にフルサポートする義務なんてないし、観たい時に観れば良いものだ。
向き合い方に正解なんてないし、人それぞれが自分のやり方でサポートして行けば良いと思う。
それに対して誰かに何かを言われる資格もない。

僕が思うのは、余裕がなくなってしまい、怒りをぶつけるのではなく、選手とともに生きる、一緒に戦える状態を保っているのがベストだ。
そうすると、負けた時の幸福度は低くとも次に向かおうと思えるし、勝った時の幸福度、優勝した時の幸福度は、たまらないものになる。
僕は、幸福な瞬間をこれからも味わいたくて、ずっとサッカーを観ている。サッカー以上に、それが味わえるものは、これから先の自分の人生で現れない気がしている。



長々と書いてしまったけれど、最後に僕がどうしても言いたいのは、
インターネットで喧嘩すんな
ということである。
それがなくなれば、僕たちサッカーファンは、もっともっと幸せになれる。
せっかくSNSで繋がった同志たちと、幸せに過ごしていきたい。


Fight on the Web / 岡崎体育

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

この記事が参加している募集

スポーツ観戦記

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?