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詩・散文

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詩・散文「タチアオイ2(実験詩 あるいは自己崩壊詩あるいは再構築詩)」

詩・散文「タチアオイ2(実験詩 あるいは自己崩壊詩あるいは再構築詩)」

タチアオイ2(実験詩 あるいは崩壊詩あるいは自己修復詩)

タチアオイの花が咲いている
花が
タチアオイの花が咲いている
ーーーーーーーー
タチアオイ


咲いている
花が
タチアオイの花が咲いている
ーーーーーーーー
タチアオイ
ノガサイテ 
イルハナガ
タチ
アオイハナガノ
ーーーーーーーー
青い発ち
野が咲いている花形
青い花が


2022年6月28日 岡村

詩・散文「カメ太郎よわいよねー」

詩・散文「カメ太郎よわいよねー」

カメ太郎よわいよねー

もーちゃんがね
うもーっていうからわたし
うんもー!
っていったら
もーちゃんベロをベロンベロンんしているの
だからわたし 舌をペロンペロンしたら
もーちゃん わらってた 

ミーコがね
わたしをみあげて
み~
っていうからわたし
みゃ~!
っていったらミーコ 
しっぽをくねくねしているの 
だからわたし おしりふりふりしたら
ミーコ わらってた

カメ太郎がね 
くびをみ

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詩・散文「カメ太郎よわいよねー」

詩・散文「カメ太郎よわいよねー」

カメ太郎よわいよねー

もーちゃんがね
うもー
っていうからわたし
うんもー!
っていったらもーちゃん
ベロをベロンベロンんしているの
だからわたし 舌をペロンペロンしたら
もーちゃん わらってた 

ミーコがね
わたしをみあげて
み~
っていうからわたし
みゃ~
っていったらミーコ 
しっぽをくねくねしているの 
だからわたし おしりふりふりしたら

ミーコ わらってた

カメ太郎がね 
くびを

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詩・散文「青いあめ玉」

詩・散文「青いあめ玉」

青いあめ玉

青いあめ玉なめながら
かたつむり かたつむり
かたつむりは何をなめてるの
あじさいの葉をなめてるの
どんな味?
あじさいの味
ふーん

雨の日は あっちにもこっちにもかたつむり
何をなめてるの?
トマトをなめてるの
御地蔵さま
木の幹をなめて
塀なめて
お家の窓をなめてるの
私はあめ玉なめてるよ
どんな味?
あめの味
ふーん

雨の日は しとしとしととかたつむり
道路を渡って地面にお

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詩・散文「に咲く」

詩・散文「に咲く」

に咲く

ひび割れたコンクリートに咲くスミレの花が

2022年6月 岡村

詩・散文「かまきり」

詩・散文「かまきり」

かまきり

かまきりが
両手の鎌を一重ねて合わせ
祈りながらに
しんでいた

2022年5月28日 岡村正敏

詩・散文「二匹のどじょう」

詩・散文「二匹のどじょう」

二匹のどじょう

二匹のどじょうが二匹のどじょうが 
右にくねくね左にくねくね 
とびあがってぴょん
そして再び水の中 

二羽のちようちょが弐羽のちょうちょが
空にのぼらずひらひらふわふわ
地にもおりずにぴたり 
菜の花にとまって菜の花になった

二人の子どもは二人の子どもは  
くるくるくるくる追いかけっこ 
どっちが追いかけてるのかわからなくなってじゃぶじゃぶ 
河を渡って二度と戻って来なか

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詩・散文「音がきこえる」

詩・散文「音がきこえる」

音が聞こえる

音がきこえる                            宇宙の「音」がきこえる かそけくかそけく              大地の「音」がきこえる ふかくふかく 
飛蝗のとぶしゅんかんの あしの力をたくわえている「音」
それから 病気で床にに伏していた人が ゆっくりと回復し 力がみなぎっていく「音」
絵を描いていると 描いていている絵に実は描かされている事に気付かせてく

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詩・散文「日本海」

詩・散文「日本海」

日本海

東尋坊から身投げした青白い流線形は
透きとうて脆く
手にすれば血の熱にさえ姿を失い
失いてそんなにも脆弱な薄氷は
それでも時たまにその脆さが故に

切る事だってあるのだ
その時私は
ほんの少しだけ私は
紅く身を染めて血の熱に己を溶かしながらも
東尋坊から身投げした青白い柳葉が
一瞬月光に煌めいて
きらきらと海に溶け込んでいったのを
きらきらと
ほんの少しだけ
頭の裏に掠めみる

200

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詩・散文「右手と左手」

詩・散文「右手と左手」

右手と左手

「右手」とは「左手の右側の手」であるのならば、「左手」は「右手の左側の手」であろう。
別に「手」じぁなくったっていいし「手じゃない何か」である必要もない。単に「左右の定義」として考えてみると、
「右の定義は左の右側」であるし、「左の定義は右の左側」である。とすると、この定義は真であるか偽であるか?

2021年11月1日 岡村正敏

詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

真っ平な世界は、ただ一つの面が何処までも広がっている無言の世界なのか
真っ平らな世界は、無数の山頂が等しい高さに犇めいている多弁な世界なのか。

どちらにせよ、真っ平の世界に立った時、
私は私だけが起立している事を知るのであるが、だからと言って自分を真っ平らにしようとしてはならない。

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詩・散文 「走る」

詩・散文 「走る」

「走る」

青空の下
走る。
捨ててきたものは何もなかった
別れた人も誰もいない。
過ぎ去ってこそ初めて出逢う人、
ものものに
嬉しくて嬉しくて
なべてリュックに背負い込んで走る
走る
稲穂の風に靡く金色の道を
只管な道を。

涙が溢れ出てくるのはなぜか。

2010年頃 岡村正敏

詩・散文「岩になり砂になり水になり空になり」

詩・散文「岩になり砂になり水になり空になり」

「岩になり砂になり水になり空になり」

真っ平らでダダ広い大地に 亀裂が入りひび割れると そこには無数のゴツゴツした岩岩がひしめいていた この岩を二つの拳が叩いて砕くと 岩岩は礫になり砂になって拡がって まるでそこは海のような砂原になった やがて風が吹いて砂の粒子を巻き上げると それは空一面に舞い散って 空のような宇宙になった そうしてそこには透明な粒子が遍いていた それはもう粒子と呼べるものでも

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詩・散文 「子供の夏の遊びの終わり」

詩・散文 「子供の夏の遊びの終わり」

子供の夏の遊びの終わり

夏蜜柑の木の木陰
雨上がりの垣根の匂い
無花果にはカミキリムシ
アゲハの幼虫が角を出し入道雲が湧き上がる
青大将が道を横切って
干からびた蚯蚓は水をかけても動かない
耳に張り付く蚊の羽音
キイキイキイとカミキリムシが鳴いている
足だけが歩いている
 向日葵が種をばら撒いて腐っていま
 した 叢には何だか分からない動物
 の頭骨がありました 暗渠の奥でザ
 リガニが卵を抱い

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