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写真を中心とした展評、書評、コラムです。不定期更新。
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写真のように 第10回 ある同時代性の話、「写真」と「漫画」 展評 「即興 ホンマタカシ」 東京都写真美術館

写真のように 第10回 ある同時代性の話、「写真」と「漫画」 展評 「即興 ホンマタカシ」 東京都写真美術館

最初に言い訳を。2023年の秋は忙しかった。この年の秋は展評に書いておきたい写真展や写真集がいくつもあったにも関わらず、まったく書けなかった。11月から手間の掛かる煩雑な仕事を引き受けたり、12月の初めから新宿のゴールデン街で人生初の写真と文章による創作個展をおこなったり(「寿命の縮み食事」という食エッセイ+iPhone写真による展示でした)とかなかなか落ち着いて書く時間が取れなかったというのがそ

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写真のように 第7回 いまなお続く好敵手と“挑発”の問題

写真のように 第7回 いまなお続く好敵手と“挑発”の問題

展評 「挑発関係 中平卓馬×森山大道」

終了間際の展覧会、神奈川県立近代美術館 葉山で開催されていた「挑発関係 中平卓馬×森山大道」に滑り込んできた。美術館のある夏の逗子・葉山はあまりに風光明媚な場所で毎回行くのを楽しみにしているのだが、さすがに場所柄、季節柄海水浴客でごった返すことを考えると、盛夏の時期は避けざるを得ないな、などと先延ばししているうちに会期終了目前になり、慌てて東海道線に飛び乗

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写真のように 第6回 石内都の銀座の写真とその「エモさ」について

写真のように 第6回 石内都の銀座の写真とその「エモさ」について

第6回 展評 石内都「初めての東京は銀座だった」

東京・銀座の資生堂ギャラリーで開催されている写真家・石内都の写真展「初めての東京は銀座だった」を見に行った。石内のような実績のある作家が、インバウンドで賑わう銀座の一等地で写真展を行うこと自体はそれほど驚くべきことではない。しかし、展覧会の内容、具体的にはテーマ(タイトル含む)と展示手法と演出(作品の配置・照明)については良い意味で驚かされた。4

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写真のように 第3回“自撮り”ポートレイト作品の役割を考える 展評:「澤田知子 狐の嫁いり」展(東京都写真美術館)

写真のように 第3回“自撮り”ポートレイト作品の役割を考える 展評:「澤田知子 狐の嫁いり」展(東京都写真美術館)

序文
写真家・澤田知子による、久々の国内における大規模な個展「澤田知子 狐の嫁いり」が、東京・恵比寿の東京都写真美術館(以下、TOP)で始まった。澤田は“内面と外面の関係”をテーマとし、自身をモデルに髪型・メイク・衣装(コスプレ含む)をさまざまに変化させたセルフポートレイト作品を発表している。本展は、デビュー作から近作に至る「顔」をモティーフにしたポートレイト作品を組み合わせ、会場全体を新作として

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第2回 “見られる”社会への処方箋としての“待つ視線” 
〜考察・田口和奈『エウリュディケー』〜

写真と絵画、二つの技法で作品制作を続けている美術家、田口和奈の作品集『エウリュディケー』(fig.1)が第45回木村伊兵衛写真賞の候補になった。田口にとって初の作品集となる『エウリュディケー』は、写真と映像など視覚表現への鋭い示唆を含み、かつ現代のITにおける視覚にかかわる問題と、その本質を浮き彫り

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第1回 野村浩「メランディ」に見る「小さな父」とその可能性

中目黒のギャラリーPOETIC SCAPEで開催されていた、野村浩の新作個展「メランディ」がさる4月3日をもって幕を閉じた。新型コロナウイルスの流行とそれにともなう世界規模の混乱によって、会期短縮を余儀なくされたのはとても残念だが、それでも初日と最終日と二回見ることができたのは幸運だった。また、コロナ禍という特異点がなければ得られなか

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