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ゆっくり深読み 中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』その⑳「大林宣彦&横溝正史の 金田一耕助の冒険」


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A MOUSOU


(本作品は著者の身体に憑依した横溝正史の霊が世間で駄作の烙印を押されている大林宣彦の映画『金田一耕助の冒険』を種明かしするという妄想です。ネタバレどころか横溝文学の秘密の核心部分にも踏み込みますので予め御了承ください)





角「明らかに他の『〇の中の女』とは一線を画す『瞳の中の女』には、そういう意図が隠されていたのですか… すべての『〇の中の女』シリーズが、フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』から出来ていることを暗示するため…」

横「はっはっは。だから灰田勝彦のCMソング『僕はアマチュアカメラマン』なんだな」

角「どういうことでしょうか?」

大「実はあの歌には続きがあるんです」

角「続き?」



あのふざけた歌には続きがあるんですか?


そう。

小西六写真工業(現コニカミノルタ)のカラーフィルム「さくら天然色フヰルム」のコマーシャルソング、灰田勝彦の『僕はアマチュアカメラマン』は全部で5番まである。



え? 首が無い?


1番のオチは「ピンボケだ」、2番のオチは「首が無い」(笑)


まさか、樹木希林が演じる女中のセリフ「首が無いわ~!」は、ここから…



そういうこと。

大林君が映画の中で「下手くそなカメラマン」をキーパーソンに使ったのも『僕はアマチュアカメラマン』が理由だな。

なぜか現代の撮影スタジオ内で昭和初期に使われていたようなカメラを使い、毎回ストロボフラッシュのマグネシウムの量が多過ぎて猛烈な光と煙を出し、そこから物語が進展していく。



映画『金田一耕助の冒険』の原作となった未解決事件『瞳の中の女』の事件現場が「灰田邸のアトリエ」なのは、小西六のコマーシャルソング『僕はアマチュアカメラマン』を歌った灰田勝彦から取られている…

ということは『瞳の中の女』にも「首が無い」不二子像が出て来るのですか?



いいや。『瞳の中の女』にも、他の「〇の中の女」シリーズにも、そんなシーンは無い。


では、なぜ…


あの歌詞を聞いて、何も気がつかなかったのかね?



大「♬あゝ み~ん~なブレている♬」

角「大林君、この歌はどこまで続くんだ?」

大「これで終わりです。灰田勝彦の『僕はアマチュアカメラマン』は5番まであるんです」

角「それにしても、ふざけた歌だ。首が無いとか、二重撮りとか、オヤジのハゲ頭で露出過度とか、みんなブレているとか、いったい何を考えているのだ? 写真フィルムのCMソングなんだから、思い通りの写真が撮れた、素人でも上手に撮れたとアピールするのが普通だろう? まるでこのフィルムが駄目なフィルムみたいに聞こえるじゃないか…」

横「ふふふ。角川君、あの自虐ネタは わざとなんですよ」

角「わざと?」

大「角川さん、歌詞を聞いて何か気がつきませんでしたか?」

角「は? 何かとは何かね?」

大「まず1番の歌詞はこうです。僕はアマチュアカメラマン、素敵なカメラをぶら下げて、可愛い娘を日向に立たせ、前から横から斜めから… どんな光景が目に浮かびますか?」

角「芸術のためと言葉巧みに若い娘の服を脱がし、下心を満たす卑劣な男」

大「いやだなあ、角川さん」

横「わっはっは。まるで私の『〇の中の女』シリーズに出て来る自称芸術家たちだな(笑)そうではなく歌詞のままをイメージしたまえ」

角「すいません… 歌詞のままですね… えーと、日当たりの良い場所でポーズをとる若い女と、それを撮るカメラマンです」

横「太陽の位置は?」

角「若い女の正面、カメラマンの背後でしょう。被写体の背後に太陽があったら逆光になりますから、カメラマンは被写体の正面に光が当たるように、つまり太陽を背にするのがセオリー…」

大「つまりそれは、こういうことですよね… この画集の、この絵のような状況…」

角「え?」



確かに… そう見える…


『Annunciation』Fra Angelico


ちなみに大林君も「芸術のため」と言葉巧みに女優をその気にさせるのが上手かった。

成城大学の学生時代、彼のピアノ演奏に引き寄せられ近づいてきた女学生を言葉巧みに8ミリフィルムで撮影していた経験が活きていたのだろうな。

ちなみにこちらの『受胎告知』は、マリアの下着の色が肌とよく似た色のため、本当にモデルの女が脱いでいるように見える。


『Annunciation』Fra Angelico


だから大林宣彦は不二子役の吉田日出子に胸を露出させたのか…

上着を肩にかけたまま下だけ脱いで見せたのは、この『受胎告知』のマリアを再現したもの…

それを正面から見てビックリ仰天した金田一は、袴のような服を着た天使ガブリエルだ…



あの「胸を見せる吉田日出子」は「まるで裸に見えるTシャツを着た黒柳徹子」が元ネタとされている。

しかし、その元ネタはフラ・アンジェリコ『受胎告知』のマリアなんだな。

だから黒柳徹子は、マリアの後光そっくりな帽子をかぶっていたのだ…



確かに… もう、そうとしか思えない…


灰田勝彦の『僕はアマチュアカメラマン』は、フラ・アンジェリコの『受胎告知』が元ネタ。

だから1番のオチは「ピンボケだ」なんだな。

あのマリア像は、背景に焦点が合った「ピンボケ」に見えるから…



マリアがピンボケ?

くっきりと映ってますけど…



「光の受胎告知」ではない。「コルトーナの受胎告知」のマリアだ。


「コルトーナの受胎告知」のマリアもピンボケではありませんけど?



それは色彩を補正したもの。

実物の「コルトーナの受胎告知」は、こういう状態になっている。


『Annunciazione di Cortona』


ピ、ピントがマリアの顔ではなく光背(後光)や椅子に合っている…

これは… ピンボケだ…



ふふふ。次は2番。オチは「首が無い」だったね…



角「確かにピンボケに見える… なんてこった…」

横「どうだ角川君、実に面白いだろう」

角「信じられない…」

大「次は2番です。♬僕はアマチュアカメラマン、今日は会社のピクニック、記念撮影は峠の茶屋で、社長に部長に課長さま♬」

角「ピクニック… 峠の茶屋… 被写体は上役、お偉いさん…」

大「♬あっち向いて、こっち向いて、はいっパチリ、はいいけれど、写真が出来たら、みんな首が無い♬」

横「♬あら首が無い、おや首が無い、あゝみんな首が無い♬」

角「オチは、首が無い…」

横「さあ角川君、2番は何を歌っているのかな?」

角「この歌の《僕》天使ガブリエルの前には《可愛い娘》マリアしかいない… 《お偉いさん》なんてどこにいるんだろう…」

大「処女マリアのもとへ遣わされた天使ガブリエルにとって《お偉いさん》とは?」

角「ん?」



天使ガブリエルにとっての上役、お偉いさんには首が無い…

わかった!「神」だ!



その通り。

首が無い神が描かれている場所は楽園の空。

だから「ピクニック」で「峠の茶屋で記念撮影」なんだな。



「ピクニック」は楽園のことだとわかりますが、峠の茶屋はどこから来たんだろう?


「コルトーナの受胎告知」と「サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知」に描かれた楽園は、見晴らしのいい丘の上にあって「峠の茶屋」っぽい。



あっ、なるほど… 確かに「峠の茶屋」だ…


ふふふ。では3番に行ってみよう…



角「確かにあれは峠の茶屋だ…」

大「だんだんわかってきたでしょう。次は3番です」

角「ようし。今度は一発で当ててやる」

横「ふふふ。3番もなかなかトリッキーだぞ」

大「♬僕はアマチュアカメラマン、スイートホームの夜が明けて、可愛い坊やが産まれたばかり、泣かしてあやして笑わせて♬」

角「坊やが産まれたばかり…」

大「♬あっち向いて、こっち向いて、はいっパチリ、はいいけれど
写真が出来たら、みんな二重撮り♬」

横「♬あら二重撮り、おや二重撮り、あゝみんな二重撮り♬」

角「オチは二重撮り…」

大「3番で歌われるのは《産まれたばかりの可愛い坊やは二重撮り》です。さあ、これは何を意味するのでしょうか?」

角「うーむ…」



「二重撮り」とは「二重露光」…

つまり、本来は別々であるはずの2つの被写体が、1枚の画の中に同時に映ってしまう現象ですよね?



その通り。

可愛い坊やが産まれたばかり、だからオチが「二重撮り」だ。



受胎告知、つまり妊娠を告げる場面なのに「可愛い坊やが産まれたばかり」とは、どういうことなんだろう?


♬きれいな指 してたんだね、知らなかったよ♬


なぜ突然 J=WALK の『何も言えなくて… 夏』?



ふふふ。

♬わたしにはスタートだったの、あなたにはゴールでも♬


だからなぜその歌を…?


つまり、わたしには「出産」だったの、あなたには「受胎」でも、ということだ。


へ?


マリアにとっては「子を宿す行為」つまり「受胎」だが…

別の存在にとっては「子を世に送り出す行為」つまり「出産」だろう?


あっ!そういうことか!

「可愛い坊や」とは「神の子」のことだ!



だから3番は「スイートホームの夜が明けて」で始まり、オチが「二重撮り」なのだよ。

わかるかな?


裏を返せば、スイートホームの夜が明ける前は、二重撮りにはなっていない、ということですか?


そうじゃ、そうじゃ(笑)



角「スイートホームの夜が明けて、で始まり… オチが二重撮り…」

大「角川さん、このトリックわかりますか?」

角「わからん… なぜスイートホームの夜が明けると二重撮りになるんだ?」

大「二重撮りとは、本来は別々であるはずの2つの被写体が、1枚の画の中に同時に映ってしまう現象でしたね」

角「ああ、そうだが」

大「夜が明ける前のスイートホームは二重撮りではなかったのに、夜が明けたスイートホームでは二重撮りになっているんですよ」

角「二重撮りになるかどうかは、夜が明けるか明けないかに左右される?」

大「そうです。そこが謎を読み解く鍵なんです」

角「意味が分からん。いったいどういうことなんだ?」

横「ふふふ。角川君、この2枚の絵を見比べてみたまえ」

角「えっ?」



そういうことか…



スイートホームがまだ夜明け前の「コルトーナの受胎告知」には、神が「白い鳩」の姿でしか存在していない。

しかし、スイートホームが夜明け後の「光の受胎告知」には、神が「光の中の手」と「白い鳩」の2つの姿で同時に存在している。

だから「二重撮り」なんだな。


白い鳩の近くに別の鳥がいるから「二重ドリ」の駄洒落もあるかなと思いましたが、父と聖霊の二重露光の方がスッキリしますね…

本来は別々であるはずのものが同時に存在する考え方「三位一体」は、キリスト教における神の概念を表すキーワードですから…


ふふふ。では次は4番だ。

今度のトリックは見破れるかな?



角「ようし大林君、今度こそ一発で見破るぞ」

大「4番は簡単かもしれません。あの部分はまだノータッチですからね」

角「あの部分?」

横「そう、あの部分だ(笑)」

角「???」

大「では行きますよ。♬僕はアマチュアカメラマン、夜は暗いと聞いたので、うっかりオヤジのハゲ頭、レフにライトにフラッシュで♬」

角「夜は暗い… オヤジのハゲ頭… フラッシュ…」

大「あっち向いて、こっち向いて、はいっパチリ、はいいけれど、写真が出来たら、みんな露出過度♬」

横「♬あら露出過度、おや露出過度、あゝみんな露出過度♬」

角「露出過度…」

大「どうです角川さん? わかりましたか?」

角「ハゲたオヤジの露出過度? 若い娘の露出過度ではなく?」



ははは。角川春樹は別の「露出過度」を想像したんですね。



もうそのネタは1番で使っている。

写真における露出過度とは、適正露出以上の露出で撮影し、被写体や風景の明るい部分の階調が失われて、ほぼ白一色になってしまう現象のこと。

またの名を「白飛び」とも言う。



これは簡単だ。「暗い夜」だから「コルトーナの受胎告知」ですね。

つまり「ハゲ頭のオヤジの露出過度」とは…

白亜の柱に彫られた「預言者イザヤ」のこと(笑)



その通り。

フラ・アンジェリコは「フラッシュを焚かれた瞬間の闇夜のハゲ頭オヤジ」も描いているが、わかるかな?


これも簡単です。

「サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知」の預言者イザヤですね(笑)


『Annunciazione di San Giovanni Valdarno』


ふふふ。では、いよいよ最後。

灰田勝彦の『僕はアマチュアカメラマン』の5番を見てみよう。



つづく




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