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【目印を見つけるノート】518. 公任と清少納言の歌の応酬

小説で禅僧の名前を書いたら、スマホに現れる広告やおすすめが見事に禅がらみになりました。漢字の確認のために夢窓疎石を検索したからかな。
そういえば、高校のとき日本史の先生に『正法眼蔵』(道元)を読めるようになるぞ~と豪語したけれど、達成していないなあ。

いろいろ空(くう)を感じます😅
深くて浅い。
禅問答?

今日はひとつお出かけをする必要があるのですが、本格的には来週以降で、基本的にはのんびりしています。今日は謡曲集とこちらを。

面白いですね。いつも戦乱の世ばかりくくっているので、平安期の貴族のおうような様子はどこかホッとします。もちろん個人の有為転変はあって、その感情の機微も和歌でよく感じることができます。ほのめかしたり、故事を引いたり仮託したりして。丸々感情を出すよりも、どれほど修辞を尽くすかということに重きが置かれている。見方を変えれば、少し気取っているのかもしれませんし遊びの要素もある。

公任(きんとう)が清少納言と歌の応酬(やりとり、です)をしていますが、
「何でこの前返事くれなかったのに、今度は返事をよこせというんだ」(意訳)
「それなら返事の来ない気持ちは分かるでしょう(くださいよ)」(意訳)
「くちなしのように黙って聞いておくが、菊にも何にも決して見えないと思う」(意訳)
「菊のように聞くとしても、見えないのですか。これは厄介な方に咲いていること」(意訳)

うわあ😓……なやりとりもあります。ケンカ腰、掛詞もへったくれもありません。これぐらい遠慮なく返せる相手だということかもしれません。

何事も答へぬこととならひしに人と知る知る問ふや誰ぞも(公任)

答なきは苦しきものと聞きなして人の上をば思い知らなむ(清少納言)

梔子(くちなし)の色にならひて人言をきくとも何か見えむとぞ思ふ(公任)

おしなべてきくとしもこそ見えざらめこはいとわしき方に咲けかし(清少納言)

〈『王朝の歌人7 藤原公任』集英社より引用、矢印と詠み人の( )は筆者〉

上記は珍しく例外でしょうが、
例えば今ならば、職場などにいやな人がいた場合に悪口や非難を言ったり書いたりしまうところでしょう。それを「蛍はきれいだが遠くで見ていたい」ぐらいにしてしまう。それを見て、虫嫌いの人はうなずくでしょうし、仄かに愛で楽しむ侘びを感じる人もいるでしょう。あるいは内情を知っている人なら「ああ、そういう気持ちなのだな」と思う。
後で「あんなこと言わなければよかった」ともならない。

そのように、いくつもの解釈ができるのがいいのですね。短く美しい言葉に収斂させているからできることかとも思います。

中高ではこの時代の文学、さわりだけ習いました。『伊勢物語』、『源氏物語』、『枕草子』、『大鏡』、そして『百人一首』でしょうか。ただ、歴史とのリンクがしずらかったのでひとつひとつが独立して浮いてしまっていたように思います。授業では文法の説明が大半でしたが、ものすごくぶっちゃけていえば、文法に習熟していなくてもかな混合ならばおおまかに読み進めることは可能です。
もちろん、精読するなら辞典が必要かと思います。

「古典が苦手だから」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、私も苦手です。上の意訳も怪しいものです。
ただ、
そのようなフィルターでこの国の文化が省みられなくなってしまうなら、もったいない、残念だと思うばかりです。
元号が令和になった頃、『万葉集』がたくさん書店に並んでいました。私はいいことだなと思いました。でもじきにまた山積みのところからは外れていきました。もう少し踏み込んでみると、もっと面白いのになあって思います。

きのう、信長の小唄について書きましたので、掛詞とかレトリックについてちょっとだけ触れてみたいと思いました。日本は短詩に長けた長い歴史があります、という一端だけでもお知らせできたなら幸いです。

ことば、という単語で思い出すのはこの曲でしょうか。
THE BEATLES『Across The Universe』

美しい歌詞はたくさんありますけれど、言葉そのものを思わせるのはこの曲です。書かれたジョン・レノンさんもお気に入りだったようです。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽





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