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Vtuberの引退と死、そして転生示唆という黒魔術を引き起こしたものについて
先日にじさんじ一期生の勇気ちひろさんの2018年から始まる6年間の活動が幕を閉じた。
しかし、その一方で勇気ちひろさんとの関わりが強かったVtuberから、勇気ちひろさんの中の人の転生先を示唆するようなポストが投稿され、賛否両論の反応が寄せられた。
賛の声を見てみると転生を示唆したVtuberと勇気ちひろさんの中の人との関係性が継続していること(地続きであること)や、またあの声が聴けることの喜
SYMPHONIA Day1 剣持刀也・伏見ガクに見るVtuberの歌の二つの形態と第三の可能性
この記事はにじさんじ箱推しのオタクがSYMPHONIA最高だった!ということを、小難しく語るものです。感情を論理でこねくり回すことでしかコンテンツの良さを語れない悲しい同族に向けて書いているところがあります。以下長い、良かった……という感情の発露。
突然だがVtuberの歌は「文脈」(コンテクスト)というキーワードに依拠して、二つの形態に分類される。1つは「単なるカバー」、そしてもう一つは「Vt
なぜ人に作品をすすめるときに情報を多く渡してはいけないのか
さっき『ショーシャンクの空に』を人生で初めて観た。面白かった。たしかに面白かった。
しかし、それ以上の感想が出てこない。私は何かを見たり遊んだりすればそれなりの感想を書いたり話したりできる人間だ。だが今回『ショーシャンクの空に』では違った。
ではいつもの作品と何が違ったのだろうか?
ズバリそれは鑑賞前に私が持っていた作品に関する情報量の多さだ。
「刑務所の話」「なんか雨に打たれるシーンがあ
Vtuberによる歌の特殊性 キャラクターという文脈
Vtuberが歌を歌うという事象に対して、何か特殊な感動を抱いたことはないだろうか。私はある。それは言語化の難しい感覚だったが、「キャラソンに似ている」という端的な思い付きでスッと胸に落ちたのである。
キャラソンにはアニメのキャラクターが歌っている、という強力な文脈が存在する。アニメで展開されたキャラクターの個性そのままが自身を歌っているのだ。この特殊性は一目で分かるだろう。その歌の主は人間だっ
傷ついた『OMORI』プレイヤーを救う『OMORI』世界解釈
始めに『OMORI』をクリアしたプレイヤーの憔悴した姿を見たことがあるだろうか。20時間にわたって巡ってきた世界の結末に思い悩み、どうにか納得しようとするその姿を。
かくいう私も『OMORI』にやられた人間である。あの楽しい時間は何だったのかと悩み、考えた。その成果が本稿である。本稿は『OMORI』の世界を他作品と並べることによって考察し、『OMORI』プレイヤーが感じた「楽しさ」を救い出すこと
委員長を月ノ美兎と呼び、コウを卯月コウと呼びたくなる心理
にじさんじライバーの中にはファンからのみならず、外野からもフルネームで呼ばれるライバーが一定数存在する。
タイトルにも出した月ノ美兎と卯月コウはその典型例であるとして、魔界ノりりむや黛灰、最近だと周央サンゴなどが該当すると勝手に思っている。趣味だ。
これらのライバー達がフルネームで呼ばれる、あるいは我々が呼びたくなる基準というのはどこにあるのか?それはそのライバーを「個人」とみるか、「コンテン
卯月コウの嫌いなところ
卯月コウが好きだ。言葉のバリエーションも、その言葉を紡ぐにあたって回転する感性も、バカ笑いも、同じネタを擦り続けるのも、誰も覚えていないネタを引っ張り出してくるところも。
だが雑談を聴いていると、どうしても嫌いなところが出てくる。それは彼の一部分というよりも、彼の根幹に根付いた一つの規範だ。卯月コウが純粋に好きだ、という人間はここで読むのをやめるのが賢明だと思う。その純粋な好意に自ら泥を投げるよ
シャニマスにおけるアイドルというイデアの二次性
シャニマスはアイドルを描く、というよりもアイドルを目指す、あるいはアイドルになった人間を第一に描く、というのが本稿の主張だ。主役はアイドルにではなく、あくまで人間にある。七草にちかという普通の人間の登場によってこの主張は言語化に至った。
従来のアイドルマスターはその夢見る乙女たちが最終的にどのような「アイドル」として完成するのか、ということに焦点があった。しかし、シャニマスのスタンスは明らか