卯月コウがドキドキ文芸部配信でBGMを気にしていた

卯月コウの配信を逐一追っているわけではないし特に古い配信は殆ど終えていない。しかし、先日配信された「恋愛弱者によるドキドキ文芸部(DDLC)【にじさんじ/卯月コウ】」と「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部(DDLC)【にじさんじ/卯月コウ】」を観て思うところがあったので書いていく。

※DDLCのネタバレが含まれます


両配信、特に後半の「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部(DDLC)【にじさんじ/卯月コウ】」で気になった点は卯月コウがMonikaによって改変された世界のBGMに対して「かっけえ!」などと言って評価していた点だ。


このBGMというのは「壊れた世界」の表現であり元の正しいBGMに比べて音やテンポが狂っている。他の実況ではこのBGMは怖がられる存在であり、コウのようにジックリ聴いてあまつさえそれを評価するということはなかった。なぜなら狂ったBGMはノイズといういわゆる邪魔者に覆われているのであり、それは端的に不快なことだからだ。


だがコウはこのBGMを「かっこいい」と評する。映画『アメリカン・ビューティ』の冒頭で風に舞うビニール袋に美を感じてじっくり撮影する少年のようにノイズに美を見出す。悪いものを良いという。


話は変わって卯月コウはよく「変わった」だの「変わってない」だの言われる。人間だから変わっていくのは当然で味のしないガムを噛み続けるのをやめて、新しいガムを噛むことも大切だ。だけど今回のDDLCの実況を観てコウが持つ歪なものに対する好意的な視線はコウの芯に存在し続ける変わらないものであると感じた。


エモグランプリや陰キャグランプリで見せたコウの優しさは決して聖母のような無条件なものではなく「暗いからこそ」「汚いからこそ」そこに何か良いものを見出すというものだった。今もそれは変わらない。誰もが恐怖を感じ、不快なものとするBGMに「かっけえ」と声をかける。


一見ただの偏った趣味のように見えるこのBGMの評価の中にコウの変わらない一貫した視線を感じた。良いものを良いというだけでなく、悪いものさえも良いと言えるコウだからこそ不思議と惹かれるものがあるのかも知らん

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