見出し画像

委員長を月ノ美兎と呼び、コウを卯月コウと呼びたくなる心理

にじさんじライバーの中にはファンからのみならず、外野からもフルネームで呼ばれるライバーが一定数存在する。

タイトルにも出した月ノ美兎と卯月コウはその典型例であるとして、魔界ノりりむや黛灰、最近だと周央サンゴなどが該当すると勝手に思っている。趣味だ。

これらのライバー達がフルネームで呼ばれる、あるいは我々が呼びたくなる基準というのはどこにあるのか?それはそのライバーを「個人」とみるか、「コンテンツ」と見るかの違いにあると考える。

「個人」と見るというのはライバーを親しみやすい一つの人格と見ると言うことだ。「個人」として見られたライバーは「チャイちゃん」や「まちゅ」などあだ名で呼ぶことが、個人の呟きであれ、配信のコメント欄であれ自然な流れになる。

しかし「コンテンツ」と見られたライバーはそうはいかない。卯月コウを卯月コウと呼ぶとき、そこには個人に対する親しみは薄れ、非人格化され固定化されたコンテンツに対する眼差しが現れる。

卯月コウという響きはあたかも芸名のように、ある種のお約束を求められるようなコンテンツに対するニュアンスを含む。月ノ美兎の場合も、そこで表されるのは「美兎ちゃん」と呼ばれる温かみのある個人ではなく、我々を楽しませ、あるいは翻弄するコンテンツのような響きを含む。

もちろんこれは結局主観に終始する。だから卯月コウが大会に出れば「コウがんばれ」と個人として応援するし、一方でラブライブ牛丼を繰り出せば「卯月コウのラブライブ牛丼」とコンテンツとして見ることもある。

だから卯月コウを始めとするライバー達がフルネームで呼ばれることが多いのは、コンテンツとしての卯月コウの側面が個人としての卯月コウよりも広く知れ渡っているから、と言うことができる。実際の卯月コウは個人とコンテンツのグラデーションを行き来している。

以上がある個人をフルネームで呼びたくなる心理についての考察でした。これは別ににじさんじに限った話ではないのですが、にじさんじの場合人材が多様なのでその差が大きく出て分かりやすいなと思いました。

また呼び方というのは結局はそのライバーのことをどれだけ知っているのか、という習熟度に依存するものなのでよく追っているライバーほどあだ名とフルネームのミックスで呼んでいると予想されます。

最後に個人的にフルネームで呼びたくなるライバーを列挙して終わろうと思いましたが、多すぎたので割愛します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?