単なる通過点、HOW化する学校

親戚の女の子の高校進学が決まりました。

中学受験が希望通りにならず、その後すごく頑張っていたのを知っていたので希望の高校へ合格したのを聞いてよかったなあと。

考え方が大人びていてクールな彼女は高校を選ぶとき、「進学塾みたいじゃないところ」「熱血じゃないところ」を選んだそう。

受験で塾に通ったのに高校まで塾みたいなところは嫌だったみたい。

知らなかったけれど、どうやら最近の高校は進学塾と化しているらしい。

言われてみれば、ウン十年ぶりに通った大学、大学院もかなり専門学校と化していて驚いたものだった。

にしても、たとえ、大学への進学率が高い進学校だとしても、彼女彼らにしてみれば、もう二度と来ない16歳、17歳、18歳の貴重な3年間なのだから、塾とは違う高校の良さを味わって欲しいし、そういう味わいを提供している先生や友達に出会って欲しいなあと思いました。

かといって、「貴重な3年間!」を先生や親たちに全押しされて、学園祭から体育祭から「熱血」は鬱陶しいし、しんどいと思う。

協調性がないわけではないけれどマイペースで、「強制」とか「なんでもみんなで!」とかを嫌う彼女は自分の中高時代をみるようでした。

私の中高時代は親も先生も適当に放っておいてくれたので、適度な距離感で自由に過ごせてよかったけれど、最近は親のプレッシャーが強いのか、先生がそういう人が多いのか、なんだか集団の同調圧力みたいのを中高生のときから感じているようで傍から見ていて気の毒に思えました。

彼女はマイペースな子なので、適度な距離を自分で取ることができる人だけれど、そうではなく我慢してしまったり、嫌われるのを恐れて友達や親、先生といった周囲の人に合わせてしまったりする人だとしんどいのじゃないかなと。

みんな一緒、みんな同じである必要は全くない

みんなが高校行ったら大学へ行かなければならないわけでもないし、大学や大学院に行ったからって何か偉いわけでもなんでもないし。

高校を出て起業してもいいし、就職してもいいし、大学へ進学してもいい。起業した後、やっぱり大学へ入る、っていうのもあり。

そんな風に昔と違ってキャリアを自由に選べる時代になっているのに周りの大人は自分たちと同じ感覚、むしろ自分たち以上に既定のレールに子供を乗せようとしているように見えてならない。

心理学では「いま、ここ」が大事といいます。

二度とこない今日、今この瞬間。

思春期でもある中高時代。もっと瞬間瞬間を味わって欲しいと思います。

少子化で学生集めが大変とはいえ、進学塾化する高校、専門学校化する大学はその存在意義をもう一度見直した方が良いと思う。

受験、進学、就職のためのHow Toを教えたところでそんなものはすぐ陳腐化する

もっと大切なこと、なぜ学ぶのか、なぜ働くのか、自分とは何者か、生きていくとはどういうことなのか、といった長い人生を生きていくうえで拠り所となるもの、本質的なもの、Whyについて語れる先生や友達と出会って欲しい

そのためにはほんとは大人、先生や親自身が自分と向き合う必要があると思うのですが。。。

まあ、それを待っていてもたぶん無理なので、学生さんには自分と向き合って、誰のためでもない自分の人生を生きて欲しい

私が通った小学校の教育方針は次のようなものだったと恩師が手紙で教えてくれました。これはどこの教育機関にも通じることではないのかな。

生きることに喜びを持てる人間作り




歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。