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楽しさが消える前に。

私にとって、楽しいとは何だろうか。楽しいっていう感情がよく分からないんです、昔から。

「学校、楽しい?」「仕事、楽しい?」
こう聞かれることって、人生の間に何度かあるけれど、「楽しいです!」って自信を持って答えられたことがあるだろうか。聞いた本人は、深い意味を持って聞いていないのだろう。でも、受け手としては、楽しいという表現が腑に落ちなくて。楽しいって、何だろう、って。

でも、だからといって、全てに対してつまらないと感じているわけでもないし、この世界に絶望しているわけでもない。私は、いつもどこかで、ほんの少しの希望を抱えているから。

楽しい、とは違うのかもしれないけれど、私が心湧き立つことについて羅列してみようと思う。


・心許した人と話すとき

心許した人と話す時間は、誰もが心湧き立つときではないだろうか。ただ仲が良いではなく、心許した、というのが大切。もちろん心の中の全てを誰かに預けることはできないけれど、あなたと話しているその瞬間だけでも、心を預けられたら、どれだけ幸福だろう。感じる感情は、キラキラしたものばかりではないけれど、この人は、私の話をちゃんと聴いてくれる、心を見てくれている、そう感じたときの私は、心が湧き立っています。


・美味しいご飯を食べているとき

私は毎日バレットジャーナルを書いているのですが、そこでLittle happiness(小さな幸せ)という項目をつけています。その小さな幸せには、○○が美味しかったと書かれている率が高い....(笑)
食べることが好きなんだなあと、よく分かります。だから、食べれなくなったときは、相当に体調を崩していることを意味します。私は小さい頃から腸が弱いので、食べるものは気をつけていますが、ときどき甘いものを多めに摂取したりしてます(こっそりと)。


・何かを表現したいという衝動に駆られたとき

今まさに表現したいという衝動が起き、こうしてnoteに綴っています。私は、出来事が映像化されたとき、描かなければいけないという使命感が生まれます。そこからできたのが「儚く、脆く、強く」という日々のカケラを残しているものになります。働き始めてからは、声にしたいというより、言葉で描きたいと思うことの方が多くなりました。


・好きなアーティストに浸っているとき

最近だと、ヨルシカとアイナジエンドが好きです。ヨルシカのボーカルであるスイさん、曲ごとに声の色が変化していて、それがすごく綺麗...透き通るような声から色気混じりの声まで。自然な表現に心惹かれています。アイナジエンドは、私の神様的な存在である平手友梨奈さんを彷彿とさせるような何かを持っているって感じていて。内の音と外の音とを重ね合わせたハーモニーを奏で舞っているようなイメージです。


・海、湖、川を、ぼーっと眺めているとき

これは去年くらいからかな。水で心が浄化されることに気づきました。特に海がすき。近くにはないので、頻繁に行くことはできませんが、どこまでも続いていて、自然な音が流れていて、不安をなかったことにしてくれる、ずっとこのままで居たいと想えるような時間です。何かから逃げ出したくなったら、海に行こう、そう想っています。


・思考が繋がったとき

何かの勉強をしているとき、本を読んでいるとき、音楽を聴いているとき、誰かと話しているとき、、、突然、思考がパッと繋がる瞬間があります。感動に包まれ、私は守られていると感じ、涙が流れることがあります。思考が繋がって、守られていると感じるって、不思議かもしれませんが、最後に辿り着くのは、一つしかないように想います(上手く言葉にはできないけど...)。


他にもたっくさんありました。
小さな子供が笑顔を向けてくれたとき、電車の外を眺めると白い鳥が佇んでいたとき、空が綺麗なとき、美容室で髪を整えてもらったとき、ぐっすり眠れたとき、絵画を見上げ何かを感じたとき、誰かに頼られたとき、誰かに褒められたとき、雪が舞っているとき、、、


私はこんなにもたくさん、心が湧き立ち瞬間があるのに。本当に瞬間としてしか残らず、すぐに消えてしまう。そして、楽しいという感情の意味すら忘れ、苦しさや哀しさに、自ら迷い込んでしまう。

何でだろうね、なんでだろう、、
小さな幸せを積み重ねることなく投げ出し、それにもかかわらず、誰かに特別に愛されたいと願ってしまう。目に見えないものを見ようとせず、形あるものに触れ存在を確かめ自分を満たそうとしてしまう。


もっといろんな人と出逢ってほしいとあなたは言うけれど、それは分かっているけれど、そうなんだけど。
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私が私であるための、私の盗み方を。

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今日ねお母さんとこんな話をしたよ。
私は小さい頃は身体が弱くて、1年に2回はひきつけを起こしていて、3歳までは、1年に1回は入院してたっていうお話。かなり強い薬を投与していたから、何かしたらの障害が残るとか、失明するってお医者さんに言われていたんだって。大人になってから、顔の左右差を感じるようになって、もしかしたら後遺症かもねってお母さんに言われた。でも、こうして、いま生きている。生まれながらに、強い生命力を持っているのかもね、そんなことを言われた。


いま生きている意味を、自分で証明すること。できるか分からないけど、ちょっとやってみようかな。


楽しいという感情の意味を忘れてしまっても、楽しいという感情は、きっと消えてないから。

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