『個性の見方』が、長所か短所か決める。
私の長所は、「俯瞰してものを見られること」です。
仕事などで周りに言われて気づいた長所なのですが、
ものだけじゃなく人や、人間関係や社会とかも、ちょっと引いたところから見るのが癖なのです。
そうすると何か選択する時、
自分の主観ではAがベストだと思っていたことが、「あれ、これってBの方がいいんじゃない?」と思うことになったり、同じAを選んでいても、自分と違う見方で選ぶ人の意見を知ることができて、参考になったり。
自分の感情だけじゃなくて相対的に見えるというか、ある程度フラットにものが見られるという、いいことがあります。
ものには大抵、メリットとデメリットがあるので、それを知った上で見極めることがが出来るのも良いところかなと思います。
しかし最近、知人にこんなことを言われました。
「あなたって、自分がなんでも出来ると思ってるよね」
そんなことを思ったことがない私には、なかなかの衝撃でした。
しかもサラッと言われてすぐ違う話題に入られてしまったので、話を蒸し返すこともできず。理由が聞けなかった私は大混乱。(笑)
たしかに私は、出来ないこともとりあえずやってみようとする方だと思うし、知らないことを知りに行くのが好きなタイプではあります。
だから、そんな風に思われたのだろうか…?
ここ数日ずっと考えていたのですが、どうもピンとこなくて、私は夫に聞いてみました。「私、なんでも出来ると思っているように見える?」と。
当然夫は「突然なに?」と驚いていました。しかし事情を話すと、夫は少し考えてこんなことを言ってくれたのです。
「ニョコロは、普段の会話でも『あの人はあれが苦手だからフォローしよう』とか、『あの出来事は、あそこが問題だったから起きたことじゃないか』とか、そういう引いた目線の指摘や意見が結構あるよね」
「つまり、そういう俯瞰した物言いが、自分はそれが出来ているという前提で言っている人みたいに見えてしまったんじゃない?」
・・・・え。
つまり、私の良いところだと思っていた「俯瞰してものを見られること」が、裏目に出てしまったと言うこと?
その時ふと、学生時代に就職活動で履歴書やエントリーシートに自分の長所と短所を書いていた時に気づいたことを思い出しました。
例えば、
長所が「丁寧な気配りが出来る」なら、
短所は「少し繊細なところ」みたいな。
一つの「個性」を
好意的に見たのが「良いところ」で、
やや悪意を持って見たのが「悪いところ」。
つまり、良いところと悪いところは表裏一体なんだと改めて感じさせられたのです。
人やものの良いところを見て生きていった方がいい。
それはそうだと思います。
人は褒められたほうが嬉しいし、悪い点ばかり指摘する方も辛いと思うので。
しかし「良いところ」というのは、
360度どこからみても「良いところ」を見るということではなくて、
人の中にある「個性」の一つを、
好意的に捉えるか、敵意や悲観をもって捉えるかの違いだけな
ような気もするのです。
つまり、捉える側の「心次第」ってことなんですよね。
悪意を持って見れば、
どれだけ品行方正で善良な人でも、
いい子ぶりっ子とか、面白みがないとか、
いくらでも良い人じゃないみたいに言うことは出来ます。
自分の持つ「個性」を、どう見せるかも大事だと思います。
ただ、印象や自分や他人に抱く感情は、受け取り側の心のフィルターがかかるものだと思うので、完全に演出しきるのはかなり難しいんですよね。
時と場合によっては、長所が役に立たなかったり、弱点になることもあると思います。
『個性の見方』が、長所か短所かを決める。
自分の長所だと思っているものを、よく思われないこともあるのだと理解しておくことが大事。
それに気づけた、良い機会だったのでした。
最後まで読んでくださってありがとうございました^^
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