哲拳ヌルヒチ

ヌルヒチです。歴史、経済、哲学などについて書いていきます。

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最近の記事

石の民族と砂の民族(後編)

〇文明は石から砂へ変化する 「石の民族と砂の民族(前編)」でも書いたことだが、石は砂になるが、砂は石にならない。「石から砂」の変化は起こり得るが、「砂から石」の変化は起こり得ない。それが石と砂の関係性であった。 これは石の民族と砂の民族、石的社会と砂的社会、石的政治と砂的政治にも同様に言えることだ。石の民族は何も常にずっと石の民族であり続けるわけではない。石の民族は、あることがきっかけで砂の民族へと変化する。 ここでの「あること」とは何だろうか。それは大きく二つある。

    • 石の民族と砂の民族(中編)

      〇石の民族の政治と社会 石の民族について、以下の図を見てもらいたい。なお、ここでいう「石の民族」については、西欧や北欧、日本といった国々をイメージして欲しい。 石の民族が形成する社会の特徴は、以下の三点に集約できる。 この三つを一語で言い表すなら、まさしく「不自由」ということに尽きるだろう。個よりも共同体が優先される陰湿で排他的なムラ社会とは、まさに不自由そのものだ。 石の民族の共同体主義の証拠に、この社会には「追放刑」という刑罰が存在したことが挙げられる。これは日本

      • 石の民族と砂の民族(前編)

        本記事は以下の二記事を基にしています。 〇はじめに 中国革命の父、孫文は「中国人は砂のような民族だ」と言った。これは「中国人はバラバラで団結力がない」ということに対する嘆きの言だったわけだが、比喩として実に素晴らしい表現だ。 そんなバラバラでまとまりのない「砂の民族」の対義語としては、「石の民族」といった比喩表現が適当ではないかと思われる。石の民族とは、砂の民族のまさに対極の民族集団のことで、「均一で団結力がある」といった特徴を有する。これには、まさしく日本人が当てはま

        • 男尊女卑はどこから来たのか? ー ジェンダー論への考察(後編)

          〇男尊女卑の社会と女尊男卑の社会 さて、人間集団が男と女という二つの性に分かれ、両性によって社会が運営される以上は、完全な男女平等というのは存在し得ない。もちろん、男女平等に限りなく近づけることはできるが、100%の精度でそれを実現・維持することは不可能だ。どうしても、男か女のどちらか一方の性だけをわずかに「尊」とし、もう一方の性をわずかに「卑」としてしまう。 つまり、ジェンダーという観点から見た社会の在り方としては、次のような四種類に区分できる。 1.男(をとても)尊

        石の民族と砂の民族(後編)

          男尊女卑はどこから来たのか? ー ジェンダー論への考察(前編)

          〇はじめに 「男尊女卑」といえば、言わずと知れた封建時代の悪しき名残りであり、唾棄すべき弊風であり、決して肯定されることではない。それが21世紀初頭を生きる我々現代人の一般常識であり、そのことに異議を唱える人は表立ってはいないだろう。 では、そもそも、なぜこのような「男尊女卑」という思想が生まれたのだろうか。初めに言っておきたいが、私は決して男尊女卑を肯定するつもりはない。ただ、こうした思想が世界各地で生まれ、それが長きにわたって存続したという歴史的事実の背景には、何らか

          男尊女卑はどこから来たのか? ー ジェンダー論への考察(前編)

          西洋のcivilizationと東洋の文明(後編)

          〇古代西洋における蛮族のcivilize さて、西洋においては都市こそが文明の根幹であり、都市に住まう人々(市民)こそが文明人、都市に住まわない人々は蛮族であるという世界観・文明観であった。 排他的な古代ギリシア人はこの認識のままで思考を停止させたが、寛容な古代ローマ人はここの区分けを大きく開放した。すなわち、蛮族であっても市民になれるという制度を設けたのだ。 ローマでは蛮族(非都市、非文明)から市民(都市、文明)へのステップアップの登竜門として、ローマ軍団を間に置いた

          西洋のcivilizationと東洋の文明(後編)

          西洋のcivilizationと東洋の文明(前編)

          〇はじめに 英語の「civilization」を「文明」と訳したのは、明治時代の日本人学者、言わずと知れた福沢諭吉である。ただし、英語の語彙を漢語に無理やり翻訳したものだから、当然、その過程でニュアンスに微妙な違いが生じた。この記事では西洋的な「civilization」の概念と東洋的な「文明」の概念の差異を比較・考察してみたい。 〇西洋のcivilization 英語の「civilization」とは、漢語で「文明」という意味であるが、その語源はラテン語の「civit

          西洋のcivilizationと東洋の文明(前編)

          最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(後編)

          〇最良の民主政治と最良の独裁政治 最良の民主政治、最悪の民主政治、最良の独裁政治、最悪の独裁政治の良い悪いに順番をつけるにあたって、ここまでで「最良の独裁政治>最悪の独裁政治」「最良の民主政治>最悪の民主政治」までを導き出した。 ここからは最良の民主政治と最良の独裁政治、最悪の民主政治と最悪の独裁政治を比べていく。まずは「最良の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?」から。 よく独裁政治の長所を挙げる際に「独裁はスピーディ」と言う人がいる。しかし、これは果たし

          最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(後編)

          最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(前編)

          〇はじめに 「最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?」 これは政治哲学をめぐる永遠のテーマである。田中芳樹原作のSF小説「銀河英雄伝説」でもこの命題は扱われており、作中では「最良の独裁政治」であるローエングラム朝銀河帝国が「最悪の民主政治」である自由惑星同盟を滅ぼすという展開になっていた。 また、近年はいわゆる権威主義国家と(特に西側先進国から)非難されることの多い中華人民共和国が急成長を遂げており、同じく強権的な政治で知られるシンガポール共和国も経済的

          最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(前編)

          なぜ自由民主主義は死んだのか? ー 自由社会と民主政治は両立し得ない件について(後編)

          〇近代化 封建社会の西欧と日本、専制国家のユーラシア。それぞれ全く異なる社会が辿った近代化について詳しく見てみよう。近代以降の世界の概念図を以下に示す。 欧米と日本の旧封建社会は「民主国家」へ、ユーラシアの旧専制国家は「独裁国家」へと変化している。それぞれの近代を見てみよう。 封建社会から民主国家へ 西欧や日本の封建社会が生み出した「不自由」とは、要するに「個人に規律を強いる」ということだ。集団が合議で決定したことに対しては、個人は規律を以て従わなくてはならない、つま

          なぜ自由民主主義は死んだのか? ー 自由社会と民主政治は両立し得ない件について(後編)

          なぜ自由民主主義は死んだのか? ー 自由社会と民主政治は両立し得ない件について(前編)

          〇はじめに 「民主主義の機能不全」が話題になることの多い昨今であるが、皆さんはその原因を考えてみたことがあるだろうか。 「有権者が馬鹿になったから」 「SNSのせいで分断が深まったから」 「国民の政治への無関心のせい」 「金持ちの政治工作のせい」 色々と挙げられるだろうが、私なりの理由をここで一つ提示してみたい。それは「社会が自由になったから」である。同時に21世紀に入ってから、いわゆる「独裁国家」とされる国々が爆発的に成長して、その国力を大いに高めているという事実にも

          なぜ自由民主主義は死んだのか? ー 自由社会と民主政治は両立し得ない件について(前編)

          反労働主義のすゝめ(後編)

          〇その労働が生み出す「楽」は、その労働が生み出す「苦」を上回るのか 前編で掲載した労働者と消費者の図を以下に再掲する。 ここでは現代人を「労働者としての私」と「消費者としての私」の二つの側面に分けて、それぞれの苦と楽の勘定を行ったのだった。いわば「縦に区切って」勘定していた。では、これを「横に区切って」みたら、どうなるだろうか? 図示してみる。 労働者の苦と消費者の楽(上段) まずは図のうちの上段の勘定を考えてみよう。「労働者が労働によって受ける苦」と「消費者が消費によ

          反労働主義のすゝめ(後編)

          反労働主義のすゝめ(前編)

          〇はじめに 労働とは苦しいものである。このことに異論を持つ人は少ないだろう。もちろん、中には自らの仕事にやりがいを感じている方もおられるだろうが、そんな人はごく一部の例外に過ぎない。たいていの人にとって労働とは人生に苦痛を与える要因の筆頭だ。 では、なぜ人はそんな苦しい労働をするのだろうか。 この問いに答えるのは至極簡単だ。回答は「お金を稼ぐため」オンリーだろう。お金を稼ぐことで労働者は生計を立てる。これは貨幣経済が登場する以前よりも続く人類社会の宿命と言える。 労働

          反労働主義のすゝめ(前編)

          日本社会の生産性の低さ、その根源的理由とは?

          〇はじめに 「日本社会には非効率なところが多い」 「日本人は長時間まじめに働いているのに海外の先進国と比べて生産性が低すぎる」 このような言説を一度は耳にしたことがあるだろう。ニュース記事やネットの論客がよく語っているようなことだ。確かに、日本人の働き方には色々と非効率なところが多いし、一人当たりGDPもいまいちパッとしない。そのことに不満や不条理を感じている方も多いのではないだろうか。現代日本の厭世観の元でもあろう。 しかし一方で、 「日本社会はとても便利だ」 「海外

          日本社会の生産性の低さ、その根源的理由とは?

          なぜ日本人は宗教なしで道徳を守れるのか?

          〇はじめに 「なぜ日本人は宗教なしで道徳を守れるのか?」 こうした疑問文を一度は見かけたことはないだろうか。外国人、特に一神教徒の人たちから出る率直な疑問である。 さて、皆さんならこの問いに対してどう答えるだろう? 「道徳を守れるのは、人間に備わった自然な親切心や真心があるから」 「日本人同士の相互監視のせい。同調圧力が強いから」 「日本人は子供の頃からしっかりとしつけられるから」 どれも妥当な回答だ。 と同時に、日本人なら次のような反応もするのではないだろうか。

          なぜ日本人は宗教なしで道徳を守れるのか?

          騎馬遊牧民と専制国家 ー 文明の生態史観を考える(後編)

          〇シン・文明の生態史観 文明の生態史観の図を再掲する。 西欧と日本を「第一地域」、それ以外のユーラシアを「第二地域」とすることには異論はない。確かにこれら二つの地域の間には、明確な違いが存在するからだ。 第一地域 第一地域の歴史的特色として、お隣の第二地域から高度な文明を輸入したこと、中央ユーラシアの乾燥地帯から遠く離れていること、封建制という政体が成立したことなどが挙げられる。これは前編でも書いた通りだ。 この地域の特色を改めて言うならば「貧しい」という点に尽きるだ

          騎馬遊牧民と専制国家 ー 文明の生態史観を考える(後編)