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石の民族と砂の民族(中編)

〇石の民族の政治と社会

石の民族について、以下の図を見てもらいたい。なお、ここでいう「石の民族」については、西欧や北欧、日本といった国々をイメージして欲しい。

石の民族の政治と社会

石の民族が形成する社会の特徴は、以下の三点に集約できる。

1.共同体主義的
2.ムラ社会
3.流動性が低い

この三つを一語で言い表すなら、まさしく「不自由」ということに尽きるだろう。個よりも共同体が優先される陰湿で排他的なムラ社会とは、まさに不自由そのものだ。

石の民族の共同体主義の証拠に、この社会には「追放刑」という刑罰が存在したことが挙げられる。これは日本社会ならば「村八分」、ゲルマン民族社会ならば「アハト刑」と呼ばれたもので、いずれも共同体からの追放が罰の内容であった。追放されれば生きていけないか、そうでなくても生きていく上での大きな困難を伴う。だからこそ、追放は刑罰として機能したのだ。そして、そのような刑罰があったという事実がまさに、それらの社会で共同体が大きな役割を果たしていたことを示している。

このような社会を比喩するのに、まさしく石というのはぴったりだ。石は固く、冷たく、他を寄せ付けない。石の中に何らかの異物を入れることなど不可能だ。また、石から削り取られた砂が、再び石に戻ることも不可能だ。石とは、まさにムラ的な共同体なのだ。

前近代の石の民族たちは、「封建制」という政治体制を敷いていた(あるいは敷かれていた)。封建制とはこれまた不自由な政体であり、この体制の下では多くの庶民たちに政治上の自由は存在しなかった。つまり、前近代においては、石の民族たちは「不自由な政治」に「不自由な社会」という、二重の不自由に苦しめられていたのだ。

前近代の石の民族
政治:不自由(封建制)
社会:不自由(封建的ムラ社会)

これでは超のつくほどの不自由だ。人とは元来過度な不自由には耐えられない生き物だ。当然、自由への強い渇望が生まれる。「政治を自由に!」「社会を自由に!」といった人の精神の躍動が発生するのだ。これが西欧における近代化への発火点となった。

政治の自由化は、封建制から自由民主制への政治体制の変化といった形で生じた。近代的な議会政治、立憲君主制、市民共和制などの自由な政体は、こういった環境の中で発展したものだと言える。

しかし、社会の自由化の方は、政治の自由化の場合とは違って、近代中に実現されたわけではなかった。封建社会は近代化を経ていきなり無秩序な自由社会へと変化したりはしなかった。前近代のそれは、近代的な「市民社会」という特殊な形態の社会へと変化したのだった。

市民社会と聞くと、何となく崇高な印象を持たれるかもしれないが、要はこれは封建的ムラ社会の直系の進化形態のことだ。その証拠に、市民社会は封建社会の特徴を多く有している。例えば、個人の身勝手な欲望よりも公共の利益が優先されること、つまり市民一人一人に市民的な規律が要求されることなどだ。個人よりも公共が優先される様は、まさしく市民社会が封建社会の伝統を正しく継承していることを物語っている。

近代の石の民族
政治:自由(自由民主制)
社会:不自由(近代的市民社会)

封建的ムラ社会であろうと、近代的市民社会であろうと、いずれにしてもそれらは不自由な社会であることに変わりない。社会が不自由ならば、政治は自由でなくてはならない。自由と不自由の両方が釣り合ってこそ、初めて国家は安定する。だからこそ、石の民族には自由な政体(=自由民主制)が適していると言えるのだ。

〇砂の民族の政治と社会

さて、次は砂の民族を見てみよう。以下の図を見てもらいたい。なお、ここでいう「砂の民族」については、中東や中国、インドといったアジアの国々をイメージして欲しい。

砂の民族の政治と社会

砂の民族が形成する社会の特徴は、以下の三点に集約される。

1.個人主義的
2.コネ社会
3.流動性が高い

この三つを一語で言い表すなら、まさしく「自由」ということに尽きるだろう。共同体よりも個が優先される野蛮で無秩序なコネ社会、それは自由そのものである。

砂の民族の個人主義的な社会では、共同体の力が弱い。その証拠に、石の民族が形成する石的な社会とは違って、砂的な社会には追放刑が存在しなかったことが挙げられる。そのことを最もよく表しているのが、宋代の中国を舞台にして書かれた小説「水滸伝」である。社会から弾き出された男たちが梁山泊という場所に集合するというのが物語の基本筋なのだが、このことからも、宋代の中国には追放された者たち同士でネットワークを形成して、お互いに助け合うといった社会形態(すなわち盗賊)が成立していたことが伺える。

このような社会を比喩するのに、まさしく砂というのはぴったりだ。砂は柔らかく、水を加えることで固まる。これは砂と砂が水によって凝固するということなのだが、ここでいう水こそが、個人と個人を繋ぐネットワーク(コネ)のことである。バラバラの個人がコネを介して緩く広く繋がっていく、それこそが砂の社会なのだ。

さて、このような砂の社会に最も適した政体が「専制」である。ここでいう専制とは、我々がイメージするような暴君が恐怖と暴力によって人民を支配して痛めつけるといったようなものではない。もちろん、そういった側面もないではなかったろうが、専制政治の要とは、専制君主と人民が官僚機構や宗教を通して緩く繋がること、すなわち君主と人民の間のネットワーク(コネ)の構築にある。

専制国家では、まず君主と官僚の間で強力なコネが作られる。そして次に官僚と人民の間でもコネが形成される。このように、君主が中心となってバラバラの個人がネットワークを構築していく過程こそが、専制政治の本質なのだ。専制と聞いて想起されるような「残虐な圧政者」という印象に惑わされてはいけない。専制には、それとはまた違った側面もあるのだ。

とはいえ、だからといって専制がまったく自由な政体かといえば、当然そんなことはない。前近代における専制君主制は封建制と同じく、下層の人民にとっては不自由な体制そのものであった。しかし、たとえ政治が不自由であったとしても、社会の方は自由であったので、専制政治の不自由さは大した問題にはならなかった。前近代の砂の民族たちは「不自由な政治」に「自由な社会」の合わせ技という、一種の均衡状態・安定状態にあった。だからこそ、西欧のように自由を求める精神も運動も起こらなかったのだ。

前近代の砂の民族
政治:不自由(専制)
社会:自由(コネ社会)

ただ、19世紀から20世紀にかけては、西欧による帝国主義・植民地主義の流れに、アジア各地の砂の民族たちも飲み込まれることになった。「否が応でも先進的な西欧式の政治体制を取り入れなくては!」という風潮が蔓延したのだ。その結果として起こったことが、汚職と腐敗が蔓延する、見るも無残な失敗国家の誕生であった。

近代の砂の民族
政治:自由(自由民主制)
社会:自由(コネ社会)

こうなってしまった原因は明らかで、自由な社会の上に自由な政治をやろうとしたからだ。これでは超のつくほどの自由だ。人とは元来過度な不自由に耐えられない生き物だが、それと同様に、過度な自由にも耐えられない生き物なのだ。こうしてアジア各地の砂の民族たちは、石の民族である西欧人らを見習った結果として、過剰な自由の犠牲になってしまった。

社会が自由ならば、政治は不自由でなくてはならない。だからこそ、石の民族には不自由な政体(=専制)が適していると言えるのだ。

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