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石の民族と砂の民族(後編)

〇文明は石から砂へ変化する

「石の民族と砂の民族(前編)」でも書いたことだが、石は砂になるが、砂は石にならない。「石から砂」の変化は起こり得るが、「砂から石」の変化は起こり得ない。それが石と砂の関係性であった。

これは石の民族と砂の民族、石的社会と砂的社会、石的政治と砂的政治にも同様に言えることだ。石の民族は何も常にずっと石の民族であり続けるわけではない。石の民族は、あることがきっかけで砂の民族へと変化する。

ここでの「あること」とは何だろうか。それは大きく二つある。

1.時間の経過
2.他民族との衝突

1.時間の経過
石は放っておくと長い時間をかけて風化し、やがて砂になる。同じように、石の民族も時間の経過とともに砂の民族へと変わっていく。これは「長い時間を経ると、自律的な共同体が内部崩壊を起こし、バラバラの個人へ解体されていく」ということの比喩である。ここでいう「自律的な共同体」とはすなわち「石」のことであり、「バラバラの個人」とはすなわち「砂」のことである。

図で示すと、以下のようになる。

時間の経過

文明の誕生した順に各地域を並べ替えると、

(古)中東<中国、インド、南欧<西欧<北欧、日本(新)

のようになる。中東が最も古く、中国、インド、南欧がそれに続き、西欧、北欧、日本が最も新しいという順番だ。

石の民族は時間の経過とともに砂の民族へ変わっていく。ということは、文明の古い地域ほど、経過した時間も長くなり、よって砂的な要素を多く持つ民族になるということである。反対に、文明の新しい地域ほど、経過した時間も短く、石的な要素を多く残した民族となる。よって、

(砂的)中東<中国、インド、南欧<西欧<北欧、日本(石的)

と、このように言える。文明が古いほど砂的で、文明が新しいほど石的なのだ。

2.他民族との衝突
石は他の石とぶつかることで砕け散り、小石となる。これが繰り返されると小石はどんどん小さくなっていき、やがて砂になる。それと同じく、石の民族も他の民族と交流(主に衝突)することで、粉砕が発生し、砂の民族へと変わっていく。これは「他民族との武力衝突が起きると、自律的な共同体が外圧によって崩壊し、バラバラの個人へ解体されていく」ということの比喩である。

図で示すと、以下のようだ。

他民族との衝突

「世界の中心」にして「文明の十字路」とも呼ばれる中東が、ここでは世界の最中心となる。そこから同心円状に広がるようにして、南欧、インド、中国が周縁に位置し、そのさらに周縁には「世界の辺境」とも呼びうる西欧や北欧、日本が位置する。

(中心)中東<中国、インド、南欧<西欧<北欧、日本(辺境)

世界の中心に位置する国々は、その地理的条件が原因となって、他民族との交流が盛んになる。ゆえに、世界の中心的地域ほど砂的な要素を多く持つようになる。反対に、世界の辺境的地域ほど他民族との交流が少なくなり、石的な要素を多く残したものとなる。よって、

(砂的)中東<中国、インド、南欧<西欧<北欧、日本(石的)

と、こう言える。世界の中心ほど砂的で、世界の辺境ほど石的なのだ。

〇砂の民族と化してゆく石の民族たち

さて、かつて西欧地域にいた石の民族たちだったが、時間の経過や他民族との衝突などが原因となって、徐々にその数を減らしていった。彼らは石の民族から砂の民族へと変化していったのだ。

砂の民族の社会的特徴を再掲する。

1.個人主義的
2.コネ社会
3.流動性が高い

西ヨーロッパや北米社会は、激動の近代を経たことで、近代的市民社会から真の自由社会、砂的社会へとその性格を大きく変えた。欧米社会は共同体よりも個が優先される野蛮で無秩序なコネ社会へと変わっていったのだ。

しかし、社会が変化したからといって、彼らの国家が運用する政体までは変化しなかった。これら地域では依然として前時代的な(「近代的な」ともいう)自由民主制が国家運営のための手段として採用されている。しかし、このような近代的な政体は、実のところ、近代的な市民社会を前提としたものであった。そう、「自由な政治」と「自由な社会」は両立し得ないのだ。

現代の(砂化した)石の民族
政治:自由(自由民主制)
社会:自由(コネ社会)

自由な社会の上に自由な政治を敷こうとすれば、限度を超えた過度の自由となる。これでは国家は安定しない。かつて近代にアジア諸国、砂の民族たちが直面したのとまったく同じ状況が、現代の西側先進国で再現されている。だからこそ、21世紀現代では、西側的な自由民主主義陣営が危機的状況にあるとされるのだ。

近代から現代へ(石の民族)

では一方の、かつての砂の民族たちはどうなったのだろうか。中東、中国、インドといったアジア地域に位置する、近代には不名誉な失敗国家となって長らく不調に陥っていた国々は、現代の世界情勢の中ではどのようであろうか。

政治的、社会的、経済的にも比較的好調な方だ。それは西側の自由民主主義陣営が軒並み不調であることと比べると、よりはっきりと分かる。しかしご存知の通り、これらの国々では、かつての西欧や日本が近代化を成し遂げたのと同じような形式での「成長」をしているわけではない。前近代的な専制君主こそいないものの、強権的な大統領体制、一党独裁体制、軍事政権などが国政を牛耳っている。

以前は「どんな独裁国家でも、開発独裁で経済成長を成し遂げた暁には、豊かになった市民たちが政治の自由化民主化を要求するはずだ」といった言説が、主に西側諸国では信じられていた。しかし、中国を例にとってみれば明らかなように、そのようにはならなかった。

理由は明確であろう。「社会がすでに自由であったから」だ。自由な社会の上に自由な政治を敷くことは不可能だ。だからこそ、議会制民主主義は砂的な自由社会とは相性が悪いのだ。市民が自由を求めない最大の理由は、最初から市民が自由であったからだ。

近代から現代へ(砂の民族)

〇おわりに

自律的な共同体は解体されてバラバラの個人になる。しかし、バラバラの個人が集まっても、自律的な共同体は成立しない。

石は砂へ一方向的に変化していく。
石の民族は砂の民族へ一方向的に変化していく。
石的社会すなわち共同体主義的な不自由社会は、砂的社会すなわち個人主義的な自由社会へと一方向的に変化していく。
石的政体すなわち自由民主主義政体は、砂的政体すなわち専制政体へと一方向的に変化していく。

これを以て「今後の世界では自由民主主義が退潮し、権威主義が興隆するであろう」という結論が導き出される。もちろん、石の民族も砂の民族も所詮は比喩表現で、この結論も推測の域を出ないものだ。ただ、昨今の社会情勢や国際情勢を見る限り、その可能性も大いに考えられるのではないか、と思う次第だ。

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