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なぜ自由民主主義は死んだのか? ー 自由社会と民主政治は両立し得ない件について(後編)

〇近代化

封建社会の西欧と日本、専制国家のユーラシア。それぞれ全く異なる社会が辿った近代化について詳しく見てみよう。近代以降の世界の概念図を以下に示す。

民主国家と独裁国家

欧米と日本の旧封建社会は「民主国家」へ、ユーラシアの旧専制国家は「独裁国家」へと変化している。それぞれの近代を見てみよう。

封建社会から民主国家へ

民主国家
・西欧と日本で近代化成功によって成立
・政治権力が分散している(民主的)
・社会的流動性が低い→高い
・共同体主義、ムラ社会→信用と規範に基づく社会、資本主義経済
・先進国

西欧や日本の封建社会が生み出した「不自由」とは、要するに「個人に規律を強いる」ということだ。集団が合議で決定したことに対しては、個人は規律を以て従わなくてはならない、つまりは「皆で決めたことには皆が従わないといけないよ」ということ。これは近代的な「民主主義」政治の形に非常に近い。それゆえに、封建社会を基盤に民主主義が発達したのだ。

また、封建社会が個人に強いる規範には「一人だけがズルいことをしちゃダメだよ」というのも含まれる。この一種の社会的な「縛り」は、信用に基づく経済を形成するのに都合がよい。信用に基づく経済とは、近代的な「資本主義」経済に他ならない。それゆえに、封建社会を基盤に資本主義が発達したのだ。

このように、封建社会が生み出した「不自由な社会」は、近代と非常に相性がよかった。封建社会に由来する不自由で不寛容な社会は、そうであったからこそ、民主主義と資本主義の両方を発達させることができた。西欧で近代化の社会変革が起こったこと、日本だけがアジアで唯一の列強国になれたこと、この原因に「封建社会」の存在があったことは確実だろう。

専制国家から独裁国家へ

独裁国家
・ユーラシアで近代化失敗によって成立
・政治権力が集中している(独裁的)
・社会的流動性が高い
・個人主義、コネ社会→信用と規範に基づかない社会、収奪型経済
・後進国

では一方の専制国家の近代化はどうだったろうか? 中国やインドや中東諸国で近代化は上手くいっただろうか? 答えは「否」だ。史実の通り、清王朝やムガル帝国、サファヴィー朝ペルシアやオスマン帝国などのユーラシアの専制国家はどれも上手く近代の波に乗ることができず、「列強諸国」の餌食になってしまった。

専制国家は封建社会と違って長らく「自由」であった。これは一見すると良いことのようだが、自由とは裏を返せば「野蛮」でもある。自由で個人主義的な社会では「個人に規律を強いることができない」。集団が合議で決定したことに個人が従わない社会、そんな社会は近代的な民主主義とは非常に相性が悪い。

専制国家で個人を制約できたのは別の個人のみであった。つまり、このような社会で個人を縛ろうと思えば、一人の強大な「個人」すなわち「独裁者」の存在が必要になる。近代以降のユーラシアの独裁国家とは、言い換えるならば「独裁者と個々の人民のコネを主軸にした社会」である。これも一種のコネ社会なのだ。

また、専制国家の下では個人は規範に縛られない、つまりズルいことでも何でも「やったもの勝ち」になる。封建社会由来の社会的な「縛り」は、ここではまったく機能しない。すると信用に基づく経済は形成されない。それゆえに、専制国家の下では資本主義経済も上手くいかなかった。

このように、専制国家が生み出した「自由な社会」は、近代と非常に相性が悪かった。自由で寛容な社会は、そうであったからこそ、民主主義と資本主義の両方を上手く発達させることができなかった。ユーラシアの各国が近代化に失敗したのは、こういった事情ゆえだ。

〇自由社会と民主政治

専制国家が上手く近代化できなかったこと。それはつまり、自由な社会と民主主義の相性が悪いということを何よりも物語っている。かつてのユーラシアのような「自由で、社会的流動性が高く、コネがものを言い、共同体の力が弱く、個人主義的な社会」は民主主義とは相いれない。

もうお分かりだと思うが、ここでの「自由で、社会的流動性が高く、コネがものを言い、共同体の力が弱く、個人主義的な社会」とは、21世紀現代の西側先進国の社会の状況に他ならない。かつての封建社会は長い長い近代を経て、かつての専制国家のような社会の状態にたどり着いたのだ。

例えば、現代のアメリカ合衆国を見てみよう。この国の社会は前近代における専制国家型の「自由で、社会的流動性が高く、コネがものを言い、共同体の力が弱く、個人主義的な社会」に最もよく当てはまっている。アメリカで分断とポピュリズムが吹き荒れ、民主主義が完全に機能不全に陥ってしまった原因の一端が理解されるだろう。それはアメリカ社会がより自由になったことが原因で起きたことなのだ。

「自由と民主主義」はセットで語られることが多い。だがしかし、ここまで見てきたように、両者は実は「水と油」だ。自由社会と相性がいいのは専制政治の方だ。だからこそ、権威主義と非難されることの多い非西側の非民主主義の国々が、21世紀に入ってから急激な成長を遂げているのだ。

「自由社会」を取るか? それとも「民主政治」を取るか? これは二者択一だ。二つは相容れず、両立できない。自由社会を取るなら、民主政治は捨てなくてはならない。民主政治を取るなら、自由社会は捨てなくてはならない。その岐路に、現代の我々は立たされている。

参考:
丸橋充拓「江南の発展:南宋まで
足立啓二「専制国家史論

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