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なぜ自由民主主義は死んだのか? ー 自由社会と民主政治は両立し得ない件について(前編)

〇はじめに

「民主主義の機能不全」が話題になることの多い昨今であるが、皆さんはその原因を考えてみたことがあるだろうか。

「有権者が馬鹿になったから」
「SNSのせいで分断が深まったから」
「国民の政治への無関心のせい」
「金持ちの政治工作のせい」

色々と挙げられるだろうが、私なりの理由をここで一つ提示してみたい。それは「社会が自由になったから」である。同時に21世紀に入ってから、いわゆる「独裁国家」とされる国々が爆発的に成長して、その国力を大いに高めているという事実にも、この理由は当てはまる。そう、独裁国家が急成長した最大の理由も「社会が自由になったから」である。

どういうことだろうか? きっと皆さんの頭の中には「民主国家は自由で独裁国家は不自由」という図式があるに違いない。その常識からすると、これは矛盾しているように見える。

しかし、驚かれるかもしれないが「自由社会と民主政治は相性が悪い」。いや、それどころか「自由社会と民主政治は両立し得ない」。これがこの記事のテーマであり、私が主張したいことなのだ。

「民主国家は自由」「独裁国家は不自由」という図式は厳密に言えば正しくない。それは強い思い込み、偏見に過ぎない。「自由」と「不自由」、「民主」と「独裁」、「政治」と「社会」の相関関係について、この記事では深くまで掘り下げていきたい。

〇封建社会と専制国家

民主政治や独裁政治について語るには、まずは歴史を鑑みる必要がある。前近代のユーラシア大陸(旧世界)の概念図を以下に示す。

封建社会と専制国家

この時点での世界は大まかに二つに分類することができる。それは「西欧・日本」と「ユーラシア」である。それぞれを橙色と緑色に塗り分けた。

※厳密には西欧もユーラシア大陸に含まれるが、ここでは便宜的に「ユーラシア」とは切り離された地域として考える。

西欧と日本では「封建社会」という社会制度が発展し、ユーラシアでは「専制国家」という社会制度が発展した。それぞれがどんなものなのかを、詳しく見ていこう。

封建社会
まずは封建社会の特徴から見てみよう。

封建社会
・西欧と日本で発展した
・政治権力が分散している
・社会的流動性が低い
・共同体の力が強い、個人の力が弱い→規範に縛られる、不自由な社会
・ムラ社会
・排他的、不寛容、後進的な社会

封建社会の特徴を一言でまとめると「ムラ社会」すなわち「共同体主義」である。この社会では、個人の自由よりも個人が所属している集団の決定が優先される。集団内の合議で決定されたことに対して、個人が異議を唱えて反発することは許されない。そのようなことをすれば集団内から追放、つまりは「村八分」にされてしまう。

また、封建社会には「社会的流動性が低い」という特徴もある。これはどういうことかというと「個人の自由が生まれた場所や身分に強く制約される」ということだ。

例えば、封建制下では奴隷が王侯や貴族になるということは不可能だ。それは奴隷個人の自由が、奴隷という生まれに強く制約されるからだ。また、鍛冶屋の息子が鍛冶屋を継がずに別の業種に転職するということも難しい。これも鍛冶屋の息子という個人の自由が、その生まれに制約されるからだ。

また、例えば「ア国」という国の領土で生まれ育った個人が、その地の領主の支配が気に入らないからといって、隣国の「イ国」に家族総出で引っ越してそこに住みつくということも困難だ。これは、その個人の自由が「ア国」という生まれた場所に強く制約されるからだ。

このように、封建社会とは一概にして「不自由」な社会だったと言える。そして、そのような窮屈で苛烈な環境下に、中世や近世の西欧人や日本人は置かれ続けていた。

専制国家
さて、次は専制国家の特徴を見てみよう。

専制国家
・ユーラシアで発展した
・政治権力が集中している
・社会的流動性が高い
・共同体の力が弱い、個人の力が強い→規範に縛られない、自由な社会
・コネ社会
・開放的、寛容、先進的な社会

専制国家の特徴を一言でまとめると「コネ社会」すなわち「個人主義」である。これは封建社会の「共同体主義」とは対照的で、集団の決定よりも個人の自由の方が優先されるという風潮のことだ。つまり、合議で決定されたことに対して個人は制約を受けない。逆に言えば、集団が個人を制約できない社会であるということだ。個人を制約できるのは、別の個人だけである。そのため、専制体制下では個人と個人のネットワーク、つまりは「コネ」が発達する。

また、専制国家には「社会的流動性が高い」という特徴もある。これは「個人の自由が生まれた場所や身分にあまり制約されない」ということだ。

例えば、専制下では奴隷であっても貧農であってもゴロツキであってもチンピラであっても異民族であっても、能力と功績さえあれば国家の要職に就くことができる。また、どんな個人にも職業選択の自由があり、移動の自由もある。このように、専制国家での個人は「生まれた身分」にも「生まれた場所」にも大した制約を受けることはない。

このように、専制国家とは一概にして「自由」な社会だったと言えよう。そのような環境下に、前近代の中国人やペルシア人、アラブ人やトルコ人は置かれていたのだった。

まとめ
不自由で不寛容な封建社会と自由で寛容な専制国家の対称性は、西欧諸国とオスマン帝国におけるユダヤ人への扱いの差を見れば、一目瞭然だ。

封建制下の西欧ではユダヤ人は激しく迫害された(近代に至ってすら、そうだった)。これはユダヤ人という西欧人自らの共同体に所属しない「異物」に対する排撃反応であり、封建社会特有の窮屈な共同体主義が生んだ悲劇だったと言えるだろう。しかし一方で、専制国家のオスマン帝国ではユダヤ人は迫害されなかった。それどころか、西欧で迫害を受けたユダヤ人を受け入れさえした。この専制国家には、西欧のような偏屈な排他性は存在しなかったのだ。

また、ムラ社会的な封建社会とコネ社会的な専制国家の対称性は、日本と中国の農村の違いに最もよく表れている。

前近代の日本は言わずと知れたムラ社会なわけであるが、同時代の中国にはそのような社会は存在していなかった。日本の「ムラ」と違って中国の「郷村」は出入りが自由であり、閉鎖的な共同体も存在しなかった。

このように、前近代の歴史には、不自由な封建社会と自由な専制国家という著しい対比がよく表れている。

では、なぜそんな「不自由」なはずの西欧と日本では近代化が成功し、なぜ「自由」なはずのユーラシア(中国や中東)では近代化が失敗したのだろうか?

それは、近代というものは封建社会に由来する「不自由」を下敷きにして成立したものに他ならないからだ。民主主義政治も資本主義経済も「不自由な社会」を基盤にして出来上がったものだからだ。

詳しくは後編で書いていく。

参考:
丸橋充拓「江南の発展:南宋まで
足立啓二「専制国家史論

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