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男尊女卑はどこから来たのか? ー ジェンダー論への考察(前編)

〇はじめに

「男尊女卑」といえば、言わずと知れた封建時代の悪しき名残りであり、唾棄すべき弊風であり、決して肯定されることではない。それが21世紀初頭を生きる我々現代人の一般常識であり、そのことに異議を唱える人は表立ってはいないだろう。

では、そもそも、なぜこのような「男尊女卑」という思想が生まれたのだろうか。初めに言っておきたいが、私は決して男尊女卑を肯定するつもりはない。ただ、こうした思想が世界各地で生まれ、それが長きにわたって存続したという歴史的事実の背景には、何らかの「道理」があったはずだ。その道理について、この記事では深く考察してみたい。

男尊女卑はどこから来たのか?

それを考えることは、今後のジェンダー論にきっと役立つはずだ。

〇男女それぞれの優位性

「男は女よりも優れている」
「だから、男は尊くて、女は卑しい」

この考え方がすなわち男尊女卑であり、前時代に主流だった思想だ。その根幹には「男は女よりも優れている」という考えがあるのだが、ここでは何を以て「優れている」としたのだろうか。男が女よりも明確に優れている点とは果たして何だろう。

一般的にそれは体力とされる。確かに男女の筋力は男>女である。それは男女のスポーツ記録を見れば一目瞭然だし、いくら男女平等が叫ばれるようになった昨今であろうと「男と女の体力は本当は同じだ!」や「男女に筋力差はない!」と提唱する人はいない。

しかし、別に体力という一点だけを以て「男は女よりも優れている」とする必要はなかったはずだ。事実、女には「子供を出産できる」という明確に男よりも優れた点がある。これを以て「女は男よりも優れている」として「女尊男卑」の社会が世界各地で形成されて、それが長きに渡って存続していてもよかった。しかし、そうはならなかった。

ひとまず、男女間の能力比較をまとめてみよう。

男が女よりも優れている点 ー 体力、筋力
女が男よりも優れている点 ー 子供を出産できる力

これだけ見ると、別に男女間に能力差はない。男の体力という優位性と女の出産力という優位性は合わせてトントンである。いや、むしろこれだけなら「女の方が優れている」とさえ言えるかもしれない。なぜなら、男は女に比べて筋力で優っているとはいえ、その優位性はあくまで相対的なものであって絶対的なものではないからだ。女二人ならば男一人の筋力を優に越えられる。男の肉体的優位は、それくらいで覆される程度のものだ。逆に男二人の力を合わせたとしても、女一人の出産力には及ばない。男が何人集まって協力しようと、彼らだけでは一人の赤子も出産できない。女が持つ「子供を出産できる」という優位性は絶対的なものなのだ。

そう、これだけでは「男は女よりも優れている」なんて結論には至らなかったはずだ。

では、知性ではどうだろうか。「男は女よりも知性において優っている。だから、男は女よりも優れている」と、こうは言えないだろうか。

残念ながら、そうとは言えない。確かに、一昔前ならば男の学力は女のそれよりも有意に高かった。しかし、最近ではその差も無くなってきている。昔見られた「男の方が女よりも学力が高い」という事象も、実は男の純粋な知力と女の純粋な知力を比較した結果として出現したことではなくて、男尊女卑という社会的な環境が起因して現れたことであった。つまり、男の方が知力が高いから男の方が女よりも優れていて、だから男尊女卑の社会が築かれていた、ということではなくて、男尊女卑の社会が築かれていたからこそ男の方が女よりも知力を高める環境に恵まれ、それゆえに男の方が女よりも学力が高かったというだけの話なのだ。

では結局のところ「男は女よりも優れている」とされた理由、かつての社会がそのような男女間格差を肯定した理由とは、何だったのだろうか。男という性には体力や筋力以外の、女よりも明確に優っている領域が、隠れているだけで存在するということか。それは果たして何なのだろう。

〇男の隠れた優位性

それは「暴力」である。男が女に比べて明確に優っている領域として、確かに存在するのは「他者を殺戮する能力」だ。

これは人類史上において「男に殺された人間の数」と「女に殺された人間の数」の大小を比較してみれば一目瞭然である。もちろん、そのようなデータなど存在しないが、人類の歴史上、そのほとんどの戦争が男たちの手によって行われていたということを鑑みれば容易に想像がつく。男に殺された人間の数は、女に殺された人間の数よりも、はるかに多い。男は「殺戮する」という能力において、女よりも優っているのだ。

以上のことを踏まえて、再度男女間の能力比較を行ってみよう。

男が女よりも優れている点 ー 他者を殺戮する力
女が男よりも優れている点 ー 子供を出産する力

男は人を殺すという点で明確に女を上回り、女は人を生かす(新たな生命を生み出す)という点で明確に男を上回る。男が「1を0にする」のなら、女は「0を1にする」。陰陽思想的には男は陽で女は陰だが、同時に男は殺で女は生、男は破壊で女は創造を司る。このように、男女は「死の性」と「生の性」の二つに分かれていると言える。

女性を蔑む言として「女は産む機械だ」というものがあるが、これをそっくりそのまま男性に対して使うならば「男は殺す機械だ」となる。最大限に男性からその人間としての尊厳を引きはがし、最大限に男性をその社会的役割のみで形容するならば、こうも言えるだろう。「男は殺戮兵器である」と。

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