見出し画像

最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(前編)

〇はじめに

「最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?」

これは政治哲学をめぐる永遠のテーマである。田中芳樹原作のSF小説「銀河英雄伝説」でもこの命題は扱われており、作中では「最良の独裁政治」であるローエングラム朝銀河帝国が「最悪の民主政治」である自由惑星同盟を滅ぼすという展開になっていた。

また、近年はいわゆる権威主義国家と(特に西側先進国から)非難されることの多い中華人民共和国が急成長を遂げており、同じく強権的な政治で知られるシンガポール共和国も経済的な成功を収めている。一方で、自由と民主主義を標榜する西側先進国は冷戦後に軒並み低成長に陥っており、極右やポピュリズムの台頭などの政治的な混乱も絶えない。

これらのことから鑑みて、結局のところ「最悪の民主政治」と「最良の独裁政治」ではどちらがより良いと、皆さんは考えるだろうか。「うーん、こういった考え方を持つのは凄く抵抗があるけど、やっぱり上手くいった独裁政治は強いよなあ」や「独裁政治はスピード感があるし、遅々として進まない民主政治よりは良いんじゃないのかなあ」や「どれだけ上手くいっているように見える独裁国家でも、やっぱり独裁である以上はリスクは大きいよ」といった意見を持たれるのではないだろうか。

「最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?」という命題を論じるにあたって、この「〇はじめに」の節であらかじめ答えを提示しておきたい。それは以下のような順だ。

最良の民主政治 > 最良の独裁政治 > 最悪の独裁政治 > 最悪の民主政治

「最良の民主政治」が最も良く、「最良の独裁政治」が次に良く、「最悪の独裁政治」が悪く、「最悪の民主政治」が最も悪いという順番だ。ゆえに、最悪の民主政治と最良の独裁政治を比べると「最良の独裁政治の方がより良い」である。これが、この記事で私が下したい結論だ。

〇前提条件

「最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いか?」という命題を議論する前に、ここで少しだけ立ち止まって考えてみて欲しい。この題には実は大きな前提条件が一つ隠されている。それは「基本的には、民主政治は独裁政治よりも良い」という前提だ。もし反対に「基本的には、独裁政治は民主政治よりも良い」というのが前提条件なら、「最悪の独裁政治と最良の民主政治はどちらがより良いか?」という命題になるはずだからだ。

この記事では民主政治と独裁政治を比較するわけだが、その前に「基本的には、民主政治は独裁政治よりも良い」という誰も疑おうとはしないこの前提条件というか先入観に、一つツッコミを入れておきたい。「本当にそうなのか?」と。この前提をさも当たり前かのように受け入れて、それを基にして議論をするから色々とややこしくなるのではないかと、そう言っておきたいのだ。

民主政治も独裁政治も、あくまで政治形態の一種に過ぎない。それ自体に良いも悪いもないはずだ。ただ、その政治形態から生み出される結果に、良い状態と悪い状態があるだけだ。だから「基本的には、民主政治は独裁政治よりも良い」というこの偏見を、ここでは一旦取り払っていただきたい。

ここからは民主政治と独裁政治の「正常な状態」と「腐敗した状態」をそれぞれ見ていく。まずは独裁政治の方から。

〇最良の独裁政治と最悪の独裁政治

正常な状態にある独裁政治の概形を以下に図示する。

独裁政治(正常)

正常で腐敗していない状態にある独裁国家は、その支配権を民衆の中の隅々にまで広げ、細やかな統治を行う。これを上図では「支配(強)」と表現している。

また、独裁国家の主権者は「民衆」ではなく「政府」の方である。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」の道理の通り、権力とは「猛毒」であり「腐敗の元」だ。ゆえに、国権の主体である政府には一種の毒物である「権力」が付着する。これも上図内で表現している。

さて、「権力は腐敗する」の道理に則り、権力の主体である政府はどんどんと腐敗していく。腐敗した独裁政治の概形を次に図示する。

独裁政治(腐敗)

何ということだ。権力という猛毒にやられ、政府がどす黒く変色してしまった。もはや独裁国家の政府は、民衆に対する細やかな統治を行うことはできない。これを上図では「支配(弱)」と表現している。

自浄作用のない独裁国家は腐敗を食い留めることができない。さらに腐敗は加速し、ついには内戦が勃発。機能不全に陥った政府は打倒され、独裁国家は無政府状態に陥る。そして度重なる軍閥間、群雄間の抗争に勝ち抜いた英雄が、新政府を打ち出す。これを以下に図示する。

独裁政治(革命)

基本的には新政府はどこかの地を根城にして蜂起した一軍閥であり、その民衆に対する支配力も限定的にならざるを得ない。これを上図では「支配(限定的)」と表現している。この軍閥が他の軍閥を全て倒し、支配権を国中に広げてようやく新政府となるのだ。

打倒された旧政府はその権力を失い、新たな支配者となった新政府の元にそれは委譲される。こうして革命によって成立した新政府は、独裁国家の新たな権力者となって、「独裁政治(正常)」の状態に巻き戻る。

さて、ここまで正常な独裁政治と腐敗した独裁政治の状態を見てきたが、言うまでもなく、良い悪いの順に並べると、こうである。

最良の独裁政治 > 最悪の独裁政治

〇最良の民主政治と最悪の民主政治

正常な状態にある民主政治の概形を以下に図示する。

民主政治(正常)

民主政治においては民衆は主権者「市民」となる。独裁国家とは違って、政府が上から下に「支配」を広げるのではなく、市民が下から上へ「政治参加(参政)」をし、一つの政府を作り上げるという方式だ。正常な民主国家では市民の参政意識が強い。これを上図では「参政(強)」と表現した。

また、民主国家の主権者は「政府」ではなく「市民」の方である。ここでも独裁国家の時と同じく「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という道理は働く。この場合は権力という「猛毒」「腐敗の元」は、上部の政府側ではなく下部の市民側に付着する。これも上図内で表現している。

さて、「権力は腐敗する」の道理に則り、権力の主体である市民はどんどんと腐敗していく。腐敗した民主政治の概形を次に図示する。

民主政治(腐敗)

権力という毒に犯されたことで、市民が薄汚い緑色に変色してしまった。もはや彼らはかつてのような旺盛な政治参加意識を持ってはいない。これを上図では「参政(弱)」と表現している。

このような市民はもう市民とは呼べない。「愚民」や「暴民」と呼びうる酷い存在に成り果ててしまった。民主政治が腐敗すると「衆愚政治」になるとは、こういったことなのだ。そして、その腐敗の原因は「市民が堕落したから」といったものではないことが理解されよう。そう、腐敗の原因は「権力という猛毒」にある。独裁政治ではその毒を政府自身が喰らっていたが、民主政治では市民の側が喰らう。だから必然的に、民主政治は腐敗するし、市民は堕落する。衆愚化は市民道徳の問題ではなく、権力構造の問題なのだ。

では、このような腐敗した民主政治はどのような末路を辿るのだろうか。独裁政治のように、革命で新政府が現れるといったことは、民主政治の下では不可能だ。民主政治の腐敗の元は市民側にあるので、市民全員が根絶されない限りは腐敗は収まらない。これを以下に図示する。

民主政治(崩壊)

そう、どうにもならないのだ。腐敗した民主政治は自浄作用を持たない。自浄作用がないのは独裁政治の方だと思われがちだが、実際は逆である。独裁政治では暴力革命によって政府を打倒することで、腐敗を浄化することができる。しかし、民主政治ではそれができない。市民間の殺戮と殲滅戦が延々と続き、文明が完全に滅びきるまでそれは止まない。

※仮に民主政治が自浄作用を働かせることができたとしたら、それはまだ完全に腐敗してはいなかったということだ。

しかし、歴代の腐敗した民主国家は、全てこのような殺戮と殲滅戦が繰り広げられ、完全に文明が崩壊するといった状況に陥ったのかと言うと、実はそうではない。腐敗した民主国家は独裁国家に変化することで、破局を免れてきた。

民主政治から独裁政治へ

腐敗し機能不全に陥った民主国家からは、大衆の絶大な支持を集めた独裁者が登場する。独裁者は市民(愚民)が持っていた政治権力を取り上げて自らのものにし、既存の民主政府を蔑ろにして独裁政治を行う。

これだけ聞くと、やはり独裁者は悪い奴で独裁政治は悪いものだと感じてしまうだろう。しかし、独裁者が市民から権力を取り上げたということは、裏を返せば、権力という猛毒を市民から取り除いたということでもある。市民を愚民化させていたのは権力であった。それが取り除かれるということは、当然、市民側の腐敗にも歯止めがかかるということだ。歴史上、腐敗した民主国家は独裁国家に変化することで、破局を免れてきたのだ。

さて、ここまで正常な民主政治と腐敗した民主政治の状態を見てきたが、言うまでもなく、良い悪いの順に並べると、こうである。

最良の民主政治 > 最悪の民主政治

後編に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?