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最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(後編)

〇最良の民主政治と最良の独裁政治

最良の民主政治、最悪の民主政治、最良の独裁政治、最悪の独裁政治の良い悪いに順番をつけるにあたって、ここまでで「最良の独裁政治>最悪の独裁政治」「最良の民主政治>最悪の民主政治」までを導き出した。

ここからは最良の民主政治と最良の独裁政治、最悪の民主政治と最悪の独裁政治を比べていく。まずは「最良の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?」から。

よく独裁政治の長所を挙げる際に「独裁はスピーディ」と言う人がいる。しかし、これは果たして本当だろうか?

民主国家であれ、独裁国家であれ、政治権力が存在する以上はそこに必ず既得権益が生まれる。そして、これは政治的に進めなくてはならない国家の課題の障害になることが多い。つまり、既得権益の利害と国家の利害をどれだけ素早く調整できるかが、政治のスピード感を決定することになるのだ。

民主国家の場合は、国事決定の基になるのは「民意」である。この民意の中には既得権益の利害も含まれている。すると、民主政治の下に話し合いがなされると、国内の既得権益同士の話し合いも同時になされることになる。すなわち、そこでの合議の結果、概ね既得権益の利害のすり合わせが完了した状態に達するのだ。

一方の独裁国家の場合、国事決定の基になるのは独裁者や専制君主の「個人的意思」である。この意思の中には、民主政治の民意とは違って、既得権益の利害は含まれない。もしかすると、国内の既得権益の一部が独裁者に上手く取り入って、自らに有利になるような政策を進言することもあるかもしれないが、全ての既得権益がそれを行えるわけではない。そう、得てして独裁国家の国事決定と既得権益の利害は、すり合わせが不完全な状態になる。それはどれだけ有能な独裁者が政権運営を行ったところで変わらない、独裁という構造が生み出す不具合だ。肩と肩を突き合わせて、互いの利害を合議によって調整する民主政治と比べると、独裁政治はこの点で「非効率」になるのだ。

国家の利害と既得権益の利害をより効率的に調整できるのが民主政治で、それが難しいのが独裁政治だ。スピード感という点では、実は独裁政治よりも民主政治の方が優っているのだ。この点で「最良の民主政治>最良の独裁政治」としてもよいのではないだろうか。

また、民主政治と独裁政治では、被支配者の質にも差が現れる。民主国家の被支配者は「参政権を有する市民」であり、独裁国家の被支配者は「支配を受けるだけの民衆」である。民主国家の市民は自らの国家に対する愛(愛国心)を持ち、市民として規律正しく行動するので、国としての民度は高くなる。一方で、独裁国家の民衆は独裁者や専制君主の命令にただ従うだけの単なる大衆であり、市民的な愛国心も規律も持ち合わせていない。ゆえに、国としての民度は民主国家と比べて低くなる。

このように、「市民」であるか「民衆」であるかの差も、最良の民主政治と最良の独裁政治の良し悪しを考えるうえでの材料となる。ここでも「最良の民主政治>最良の独裁政治」とできるだろう。

最良の民主政治 > 最良の独裁政治

〇最悪の民主政治と最悪の独裁政治

次は「最悪の民主政治と最悪の独裁政治はどちらがより良いのか?(よりマシなのか?)」を考える。

「最悪の民主政治と最良の独裁政治はどちらがより良いのか?(前編)」でも述べたことだが、これは「最悪の独裁政治の方が、最悪の民主政治よりもマシである」だ。なぜかと言うと、腐敗しきった独裁国家は暴力革命によって打倒され、正常な状態の独裁国家に浄化することができる一方で、腐敗しきった民主国家はどうにもならないからだ。民主国家の腐敗の根は市民側にあり、これを除こうと思えば市民を一人残らず根絶するしかない。しかし、もし仮にそうすれば、国家どころか文明そのものが崩壊してしまう。これは間違いなく腐敗した独裁国家よりも酷い状況だ。

言うなれば、独裁国家の腐敗とは「大樹の腐敗」だ。腐敗しつくした大樹はやがて脆くも崩れ落ちる。その衝撃で地面の土や草や虫たちは多いに傷つくだろうが、いずれはその倒木を宿り木にして新たな大樹が育つだろう。

しかし一方で、民主国家の腐敗は「土壌の腐敗」だ。土壌が腐りきってしまえば、その先はない。草木は枯れ、虫たちも消えていなくなる。不毛の地になる未来しか残されていない。

最悪の独裁政治 > 最悪の民主政治

〇まとめ

「最良の独裁政治>最悪の独裁政治」
「最良の民主政治>最悪の民主政治」
「最良の民主政治>最良の独裁政治」
「最悪の独裁政治>最悪の民主政治」

これらを一つにまとめると、以下のようになる。

最良の民主政治 > 最良の独裁政治 > 最悪の独裁政治 > 最悪の民主政治

独裁政治は腐敗しやすく、民主政治は腐敗しにくいという一般論がある。これは間違いではないが、後者の「民主政治は腐敗しにくい」の部分に注意が必要である。確かに民主政治は腐敗しにくいが、それは民主政治は腐敗しないということを意味しない。たとえ民主政治であっても、そこに権力の存在がある以上は確実に腐敗する。ただ、腐敗に対する耐久性が高いというだけなのだ。

独裁国家にとっての権力は即効性の毒であるが、民主国家にとっての権力は遅効性の毒である。効くのが遅いからといって、毒が回っていないなんてことはない。国民主権とは「国民が権力を持つ」ということだ。それはすなわち「国民に権力という猛毒が付着する」ということでもある。ゆっくりと時間をかけて、その猛毒は回る。今この瞬間も、世界中の民主国家で権力という毒が市民を蝕んでいる最中だ。

ただし、それはすなわち民主国家よりも独裁国家の方がより良いということを意味しない。先述した通り、うまくいった民主国家は名君が治める独裁国家よりも良いのだ。民主政治は「ハイリスク・ハイリターン」、独裁政治は「ローリスク・ローリターン」だ。これは一般論とは逆かもしれないが、上記の論理によって導き出される一つの真理であると、私は主張したい。

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