俺の本棚には挫折が並んでいる
「本棚を見ればその人がわかる」と誰かが言ったらしい。言葉の信憑性・出典は定かではないが、仮にこの理論が真実だとしたら…。俺はかなりの飽き性、かつ挫折続きの人間だと認定されてしまうだろう。
“読書の秋”が過ぎ去ろうとしている今日この頃。本稿では俺の自室の本棚に並べられた“入門書”の一部を挙げ、それに連なる挫折経験について振り返っていきたい。
●『ここからはじめるチェス』
3年ほど前の外出自粛期間中、“今までに経験のない頭を使う行為”をしたい衝動にかられた。対人接触・会話が激減した事により、明らかに脳の働きが鈍くなっていると自覚したためである。
せっかく頭を使うなら何か楽しいもの、ひいては勝負事をやってみたい。それならボードゲーム、特に世界的に競技人口が多いものを始めよう。そう思い立った結果、俺はチェスに辿り着いた。
チェスに関する知識は漫画『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』から駒の名前を学んだ程度で、動かし方すらわからない。今のご時世Google先生・YoTube先生に頼ればルールの詳細を知ることができるが、やはり入門書に敵うものはないだろう。──このようにして、俺は本書を購入した。
基本的なルールと序盤の定跡をある程度覚えたあたりで、俺はiPadのチェスアプリを相手取り対局を始めた。“リアル対戦相手”は一人もおらず、オンライン対局に潜り込む程の腕はない。苦肉の策だ。
勝つたびに相手のAIレベルを徐々に上げていく。もし負けたら再び下げる。その繰り返しを重ねるうち、俺は未経験者から初心者へとレベルアップを果たす事ができた。
こうして約1ヶ月が経った頃、俺はチェスを辞めた。確かに頭の働きは良くなったかもしれないが、対人接触・会話の減少によるもう一つの悪影響──孤独感の解消には全く作用しない事が判明し、突然の虚しさに襲われてしまったためだ。「まずは形から入ろう」などと気分を盛り上げるため、勢い余って高級なチェス盤を買わなかったことが唯一の救いだろうか。
●『ピアノ弾き語り Mr.Children』
俺が熱心なミスチルファンである件については上の記事等で語った通りだが、そんなミスチルに関する苦いエピソードがある。
4年ほど前、ある秋の日に俺はふと思った。何かのタイミング…例えばいつ誰とするかもわからぬ結婚式でピアノを披露できたら、一目置かれるのではないか?と。具体的なきっかけは思い出せないが、友人の結婚式にでも触発されたのだろう。
弾くなら好きなアーティストの曲が良い。それならミスチル一択だろうと思い、俺は本書──2012年までに発表された代表曲40作品を収拾した楽譜を購入した。ピアノは所持していないので、趣味でバンドを続けている弟からキーボードを借りた。
挑戦を決めた曲は、初期の代表作「Tomorrow Never Knows」。ピアノのイントロが印象的でアップテンポ過ぎないため、“リハビリ向き”の曲ではないか?と考えたためだ。
元々、俺はピアノを小学生時代に三年ほど習っていた。とはいえ真面目に練習をしていなかったため、ほぼ身に付いていないも同然。そのうえ約二十年のブランクがあり、今では児戯にすら及ばないレベルで全く弾けない。だが練習するにつれ、勘が戻ってくるのではないか…という一縷の望みに賭けた。
3週間ほど掛けてAメロまではどうにか弾けるようになったが、10本の指をフルに使うマルチタスクで頭がパンクしそうだった。それにAメロを練習する頃にはイントロの弾き方を忘れる。イントロ〜Aメロまで通して弾こうとすると、どこかでつまずく。三歩進んで二歩下がる…どころか三歩下がり練習は膠着。そのままBメロに到着できないまま、俺はキーボードを弟に返却した。
余談だが、以下に「Tomorrow Never Knows」1番Bメロの歌詞を引用する。
…うん、これを結婚式で披露したらダメだな。
●『山田香織の盆栽づくり とっておきの“いろは”』
今から7年ほど前。修士論文を書き終えて“燃え尽き症候群”に襲われていた頃、なぜか盆栽への関心が湧いた。小学校高学年の頃、当時無趣味だった俺に対し「それなら盆栽を始めろ」と薦めた個人塾の先生の言葉を、不意に思い出したからだ。
ハンカチ王子もハニカミ王子も登場していない時代に発せられた金言だ。当時は与太話だと思いスルーしており、今更王子になれる様な年齢でも無いが、心の癒しになりそうで楽しいかも…と思い入門書を手に取った。
本書は単なる入門書にあらず、読み物・ビジュアルブックとして中々の読み応えがあった。盆栽の育て方に限らず、鑑賞する際の心構え・見方についても記されていた事が俺の好奇心を刺激した。例えば、以下の様な内容(意訳)だ。
植物は見る角度によって美しさが違う。一見すると野暮ったい形の木でも、角度を変えるだけで枝の広がりを立体的に捉えられ、美しさを見出すことができるのだという…。“植物の向き”など考えた経験の無い俺にとって、本書は未知の世界へのガイドブックだった。
その後上野方面にある“盆栽ショップ”へ行こうとも考えたが、結局そこまでの興味を持続できず、一応入門できたチェスとは異なり門前で踵を返す結果となった。すぐに熱が冷めてしまったのは、上記の情報によって知識欲が満たされてしまったからかもしれない…。
●これらの本を棄てない理由
上記に挙げた書籍はごく一部に過ぎない。TOEIC英単語帳。秘書検定3級。FP2級。DTM入門書。他にも沢山の挫折が俺を取り囲んでいる。本棚の肥やしと化しているこれらの本を処分するつもりは、今のところない。
確かに俺は多くの挫折をした。だが本を棄ててしまうことにより、挫折の経験まで忘れてしまうのは嫌だ。それに今後の人生において、これらの本が役に立つ機会が訪れるかもしれない。また、いつしか俺の捉え方が変わり、“挫折の証”が“挑戦の証”へと変貌を遂げるかもしれない。
──そんな希望的観測を、俺は未だに持ち続けている。
●余談 “挫折”以外の書籍たち
もちろん、俺の本棚を構成するのは挫折ばかりでもない。ただ決して熱心な読書家な訳ではなく、以下の様にただ好きなものばかり購入し読んでいるだけである。「本棚を見ればその人がわかる」理論の是非はともかく、確かに“好きなもの”が可視化される事は間違いないだろう。
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