見出し画像

学問への愛と挫折を生んだきっかけは、格好付けて買った本


画像1


画像2


●はじめに


あなたの部屋の本棚に、格好付けて買った本はありますか?
恥ずかしながら、俺にはあります…。



 こうした厨二病的な行為は「自室の本棚に並んでいたら見栄えが良いな…」「食堂とかで読んでいたら一目置かれるかも…」といった、見栄と若気の至りが引き起すものだと考えられる。純粋な読書家の方からは「読書への冒涜だ!」と怒られてしまうかもしれない。そう指摘されたなら、ただただ平身低頭するしかない。




 大学生の頃の俺は、そういった習慣の常習犯だった。上記二つの理由に加え、押井守監督の「イノセンス」※を観た影響で、「偉大な作家の言葉を日常会話に織り交ぜてそらんじられたら格好良いかも…」という、しょうもない考えに冒されてしまっていたのだ。

 ※登場人物が様々な書物を引用しながら会話するのが特徴のSF映画。



 冒頭に写真を載せた『イギリス名詩選』は、大学三年の頃に神保町の古本屋で入手した一冊である。俺は海外の詩には全く詳しくなく、有名な詩人の名前さえ知らない。自分にとっての未開拓分野だったからこそ、それを簡単に学べそうな書題を凄く魅力的に感じたものだ。そして無論…とは言うべきではないが、海外の詩を読んでいたら格好良いかもという邪な感情も含まれていた。




 …しっかりと読んではみたものの、歴史に残る素晴らしい詩ばかりが集まっていたはずの本の内容は、俺の記憶にさっぱり定着しなかった。この本がきっかけで海外の詩に夢中になることもない。また当然のことながら、食堂で格好付けることさえ出来ていなかっただろう。『イギリス名詩選』は俺の人生に何の影響も与えないまま、すぐに本棚の肥やしになるかに思えた。
 いや、そんなことはない。たった一つだけあった。俺の人生観に影響を与え、学問への愛を呼び起こさせてくれた詩が。



●心を動かされた詩「学者」




 それはロバート・サウジー(1774-1843)の「学者」という詩だった。『イギリス名詩選』に載せられていた和訳を、以下に部分的に引用する。


私は多くの故人に囲まれて毎日の生活をおくっている。
あたりを何気なしに見まわしただけで、
たちまち彼らの姿が目につく。
いずれも昔の偉大な先達せんだつで、
親しい、信頼のおける人たちばかりだ。
私は毎日彼らと話を交わしながら暮らしている。
たとえ私が墓の下の土と化しても、
神によみされる一つの名前を後に残せたら、と思っている。

(以上、『イギリス名詩選』p.168-p.173より抜粋して引用。)



 この詩を読んだ途端、俺の中でずっと曖昧だった“学者のイメージ”が具体化された。
 故人? 幽霊でも見えるの? スピリチュアルの類い? いや、そういった額面通りの話ではない。学者が机に向かい、多くの文学作品・学術書・論文と相対し、学問に精を出すこと。それを筆者は“故人との対話”と表した。
 ──なんて素敵な表現、素敵な光景なんだろう。格好付けるわけでも誰かに見せびらかすわけでもなく、数々の偉人との対話を夢想しながら書物に向かう孤独な学者。そんな人物の姿を想像し、俺は感慨に浸った。


●「学者」と出逢った俺のその後



 当時、俺はそれなりに勉強熱心(のつもり)だった。研究テーマに強い関心と魅力を感じており、そのまま大学院へと進学し、研究者を志ざすのも良いかも…とも薄っすら考え始めていた。何を専攻にしていたかは秘密だが、史学系(日本史)であるとだけは述べておきたい。
 俺が研究テーマとしていた一次資料は、約千年も前に記されたとある書物。二次資料となる先行研究は、明治時代の後期頃より約百年分も溜まっている。
 詩を読んだのち、俺が日常的に触れていた資料の多くは故人が書き遺したものだと気が付いた。そしてそういったもの──故人と向き合うことが、非常に魅力的な美しいことであると感じられたのだ。この感情は学問への愛だ。当時の俺は、そう信じて疑わなかった。




 また、俺は死ぬのが怖かった(今も怖いが)。自分の死後、世界に影響力を何も与えられなくなってしまうことが、とにかく恐ろしくてたまらなかった。
 「学者」で語られていたように、いずれ俺も墓の下に行く。しかし論文を提出していれば、研究者としての名前は残る。後世の研究者の道しるべとなり、死してもなお世界に干渉し続けることができる。論文に間違いがあれば手痛い反証を喰らうのだろうが、学問が発展する礎となれることには変わりがないはずだ…。
こうして「学者」との出逢いをきっかけに、俺は大学院へ進学することを改めて決心した。





 …しかし、それから三年後。大学院の修士課程二年目。上に挙げた過去の記事でも述べた通り、俺は研究者──博士課程への道を諦め、修士課程を終えた段階で大学院を去った。修士論文で納得のいく成果を挙げられず、学会発表さえ出来なかったことが一番の理由だが、それだけではない。
 学問を愛したのは確かだ。しかし学問には“勉強”と“研究”があり、それらはまったく違うものであったと、浅学な俺は知らなかった。自己満足でも済む勉強とは違い、研究は具体的な目標と新たなる発見による研究成果を求められる。学生時代に俺が関心にモチベーションを向けていた物事は、研究ではなく勉強だったと気付いてしまったのだ。




 出会った動機が不純であっても、掲載されていた本の内容を九割九分忘れていても、結果的に選んだ道で挫折したとしても。この詩に対して確かに感じた美しさは、今でも記憶に深く焼き付いている。
 故人と対話し続けている全ての人々に敬意を表しながら、ここに筆をきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?