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273.心は形を整え、形は心をつくるのさ。

1.他人を意識しない人

最近、数多くの人と会っていると様々な人がいることに気づく。
それは、「他人を意識しない人たち」がたくさんいること。

例えばいつもむっつりとして「笑顔のない人」
声が大きく話し方が「怒っているような人」
真剣に相手の話を聞いているようだが「人の話を聞いていない人」
「自分に都合の良い事だけを聞く人」
相手の都合も考えず「自分の話ばかりをする人」など。

これだけでも相手に不快感を与える場合がありますね。

でも、その人たちは決して相手に不快感を与えているなど信じてはいない。

おそらく、これも自分が生まれ育った環境や教育または才能?のひとつといえるものかもしれない…。

なにしろ、このような人たちはマイペースで他人がどう自分のことを見ているかなど関係ないし、他人に理解を望まなくとも生きて行ける強さを持っているから、現代社会ではある意味の才能と呼べるかもしれない。

でも、まわりからの信頼を失ったとしても、その信頼がなくともかまわないようで(信頼されていると勘違いしている)、自分に自信を持った強靭な心の持ち主だともいえるかもしれない…。

 

そこにいくとcoucouさんなどはまったくの逆で、
他人から「良く思われたい病」「人に好かれ愛されたい病」「他人に合わせすぎ病」という重症患者だから、逞しくも、羨ましくも思えてしまう。

 

coucouさんのような病の人はたくさん存在しているが、その原因はやはり生まれ育った環境や親からの教え、先生たちからの教えによるものだと思う。

その教えとは、
「人に良くしなさい!」
「困っている人がいたら助けなさい!」
「人に嫌な思いを与えてはいけない!」
「人を傷つけてはならない!」
「人を大切にしなさい!」
「先輩や人の話を真剣に聞きなさい!」
「自分の都合ばかりではなく相手の都合を考えなさい!」
と、学んできたからね。

 

でもね、現実はお互いがそのような考えがあれば良いが、なかなかお互いが一致することはない。その理由は生まれ育った環境にあるからなんだ。

「弱い人をいじめてはならない!」、しかし、現実世界は弱い者いじめばかり、人を傷つけても人の痛みがわからない、というような世界になっている。

「菜の花」©NPО japan copyright association Hiroaki

※菜の花の黄色の意味、知っていますか?
「黄色の花色」の花言葉の分類の一つ。 黄色の花色の花言葉は Friendship(友情)・Happiness(幸福)・Joy(喜び)・Pride(誇り)・Clarity(明快)・Truth(真実)・Intellect(知力)、なんか、幸せになれるような素敵な花色なんですね。 

毎日、こころも黄色だといいのにね。




2.他人に合わせる生き方

このようにcoucouさんのような病を持った者にすれば驚く事ばかり。

でも、coucouさんのような病は「百害あって一利なし」というように、決して正しい考え方ではないかも。

その理由は、相手によって考え方が違うから。
困っている人がいて、その人を助けようと親切にしても相手がそれを望んでいなければ「押し付け(不親切)」となるからね。

 

「他人に合わせて喜ばれる場合」もあれば「他人に合わせて嫌われる場合」もある。coucouさんの場合はこの「他人に合わせる生き方」を繰り返し続けて来たようだ。

前にも話したが、coucouさんは八方美人(二四法美人が正しい)で生きて来た。そして誰からも嫌われたくないという異常な心理を持つ重症患者だったからね。

 

学生の頃、駅で待ち合わせをしていたら学校帰りの同級生たちが話しかけて来ました。「おい~さっきなあ、俺にガン飛ばした奴がいてなあ、トイレの脇に呼びつけて脅かしたら泣きながら謝ってきたぜ。俺はなあ、目の前で突っ張って歩いている奴は許せねぇんだよ!」と喧嘩自慢ばかりの話が続く。

 

次の友だちは、「もうすぐ試験だけど大丈夫?どうしてもこの部分を理解できない、お前はわかるか?」と勉強の話ばかりが続く。

 

「俺はよう、彼女がなあ三人もできてしまって困っているんだ。この間は名前を間違えてしまって怒られ、困っちまった…。だからこれからは曜日で会う日を決める事にした。火曜日、木曜日、金曜日と分けるようにした…」

「何で曜日が飛び飛びなの?」

「それはなあ、四人目、五人目が出来た時の為に曜日で分けるのさ」
と、女自慢ばかりの友人の話は続く。

 

「今度一緒に走らないか?朝早く起きて街を走るのはとても気持ちがいいし、身体も調子が良くなる。いいよ~走るって!」
とスポーツの話に夢中に話し続ける友人がいる。

 

担任の先生から「最近、君の付き合っている人たちは良くないよ!ちゃんと勉強しないと大学に進学できなくなるからね…。」
という先生と「君はいつも楽しそうだね。いい友達ができたのかな?」と。

 

ここでcoucouさんは考え込んでしまった…。

それは自分がどう見られているのか?ということだった。
誰にでも話を合わせ、実際に拘らず誰とでも付き合っていたため自分の実態がわからなくなってしまったのだ。

丁度、形態模写の漫才師が人まねばかりしているため、本当の自分の声がわからなくなり、結果、自分の好きな俳優の声を自分の声にしたという。
アニメの声優が無理して声出していたらそ、のままの声になってしまったという話がある。

このように本当の自分の実態がわからなくなってしまうのだ…。

©NPО japan copyright association Hiroaki

 

3.他人に合わせない生き方


このように考えていくと「はじめに」でお話ししたように「他人に合わせない生き方」こそが、本当の自分、ありのままの自分でいられることかもしれない。
でも不安?他人から嫌われたり、信頼関係がなくなる恐れもあり、何よりも無意識ながら他人を傷つける場合もあるからね。

これでは困りますね。

 

でも、coucouさんのような合わせすぎる人間は一般人とは違い、この「他人に合わせない生き方」が必要で、他人に合わせない者たちは、いまこそ「他人に合わせる生き方」が必要となるのかもしれないよ。

 

自らの意志や考え方に我慢を強いて、耐える、このような生き方は最終的には自分を崩壊させてしまう。

崩壊って、自分の心のバランスを失うということ。

心のバランスを失えば不安や恐怖心に苛まれてしまい、それこそ人生を苦しく生きる方法となってしまう恐れがあるからね。

 

その理由は、我慢、耐えるとは自分の意と反する訳だから、そこには「嘘」が生じてしまう。思い込みも同じだ。

「嫌いなものを好きと思い込む」「好きなものを嫌いと思い込む」なども同じ、自分の心には決して嘘をつき通すことができないのでどこかしら、心の中に歪みとなり不安や恐怖心を呼んでしまう。

 

この心の中の歪みはとても正直で「不安」と「恐怖心」という恐れのメッセージを与えてくれるようだ。
日々の生活の中で、頭の中がもやもやとすっきりしない、答えが出ない、胸が苦しい、心が不安、ざわざわとする、不安定というのはまさに「相手に合わせすぎた生き方」の結果といえるものかも。

 

では、「他人に合わせない生き方」とは自然体ですから『ある一点』さえ守れればそのような不安定さから脱することができる。

「他人に合わせすぎれば」相手や自分が見えなくなり、「他人に対してまったく合わせない」こともこれも同様な歪が起るからね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

 

4.他人に対する優しさが解決する


『ある一点』とは何でしょうか?

「他人に合わせる生き方」と「他人に合わせない生き方」があり、
私のようなタイプは「他人に合わせない生き方」を選ぶ必要があるでしょうが、「他人に合わせない生き方」の人たちは、その生き方を否定しているわけではありませんが、
少しばかり「他人に合わせる生き方」も必要になるかもしれない。
なぜならどちらも得がないからです。

 

また、そのどちらの生き方も自由で、
最終的には得があるという自分が選ぶものだから。

そして、これらを解決する方法が『優しさ』しかないような気がする。

ここでいう『優しさ』というのは他人に対して、自分に対してただ優しければいいという意味ではなく、「他人に対して合わせる生き方」と「他人に対して合わせない生き方」のどちらにも相手に対しても『優しさ』を取り入れる事によって、どちらも正しい考え方となることをいう。

 

笑顔のない人は笑顔ぐらい出しても損はない。

声の大きすぎる人は小さな声で話しても損がない、
話しっぱなしの人は、たまには人の話を聞く姿勢なども得となるはずだね。

自分の都合の良い話ばかり取り入れるのではなく、耳の痛い話を聞いたからと言って損はない。

そこに相手に対する『優しさ』があればすべてがクリアされてしまうからさ。

 

でも、『優しさ』というと〈他人に合わせる〉こととは違う。

例えば、頼まれごとをする、
しかし、断ると相手に失礼だから頼みを引き受ける。
つき合いで誘われる、誘わりを断ると嫌われてしまうから受け入れる。
行きたくない場所なのだが誘われたので嫌々出向く。
誘いを断ると罪悪感が出てしまう、
というように自分の中の罪悪感(罪意識)が働き、
相手に合わせてしまう生活などは苦しい付き合いだと言える。

 

本来は自分にも都合があり、断ることは別に悪い事ではないはずなのに、自分に正直になって断ることができない。
そして、誘われるたびに無理して付き合い、たとえ罪悪感が消えてもとても大切な時間を失ったかのような後悔は残る。

 

これは、『優しさ』ではなく、自分に我慢を強いているだけで、こんな関係はある意味、地獄に近いもの。
本当の『優しさ』って、断っても互いの信頼や関係が崩れたりしないもので、互いに『優しさ』があるからどのようなことであっても関係が崩れることはあないよね。
それが崩れるような関係ならば信頼関係がないということになる。

 

嫌なものは嫌、嫌いな事は嫌い、行きたくなければ行かないというような関係は信頼関係があってこそできるもので「互いが相手に合わせなくても良い関係」だということにつながる気がする。

もちろん、そこには互いの優しさがあるからだよね。

最近、こんな素敵な言葉に出合いました。

 

 「心の四季」

人に接する時は、暖かい春の心
仕事をする時は、燃える夏の心
考える時は、澄んだ秋の心
自分に向かう時は、厳しい冬の心

<鮫島輝明>経営者関西経済同友会幹事

 

心は形を整え、形は心をつくる


ここまで、おつきあい、
ありがとう!
また、明日ね!

今日も良い日だといいね~








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