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短編小説 そして誰もいなくなった

人は死ぬといなくなっちゃうんだ・・・
60年たっても脳裏に焼き付いて
忘れられない寂しげなあのおじいさんの姿・・・
子どもの時の「死」への恐怖が、
少子高齢化の現代に蘇る。
これは童話か、それともスリラーか。
孤独死の恐怖からあなたは逃れられるか?

そのころぼくの家は、国鉄(今のJR)刈谷駅のそばの桜町にありました。戦争が終わってもう十五年もたっていましたが、家のまわりにはまだ空き地がいっぱいあって、ぼくたちの遊び場になっていました。駅のそばということもあってお酒を飲ませるお店もちらほらとありました。
 そんな桜町で、ぼくの家は子ども相手のだ菓子屋をやっていました。一個一円のあめがバラで買えたり、新聞紙の袋の中に何が入っているかを指先でさぐりながら、くじを引く遊びが一回五円でできたりしました。 
 ぼくが四歳ぐらいのときです。毎日、一人のおじいさんが、店の前を通り過ぎて行きました。少しうつむき加減で、杖をついてゆっくりと歩いて行きました。店のガラス戸はふだんは開けっ放しになっていましたから、表を通るおじいさんのすがたが、家の中からでも見えたのです。毎日いったいどこへ行くのだろう。ぼくにはそのすがたがとてもさびしそうに見えました。きっとこのおじいさんは一人暮らしに違いない。だから毎日自分で買い物に行っているのだろう。そして、そのさびしそうなすがたはぼくの心に強く焼き付けられたのでした。一生消えないくらいに…。

 ある日をさかいに、おじいさんのすがたが見られなくなりました。おかあさんから、おじいさんが死んだことを聞かされました。初めて「死」ということばを聞きました。おじいさんが、近所のお米屋さんのおじいさんで、毎日駅前のパチンコ屋に通っていたことも知らされました。朝、家の人が部屋へ起こしに行くと、ふとんの中で冷たくなっていたそうです。「ダイオウジョウだ。」と、ぼくのおばあちゃんはうらやましそうに話していました。なあんだ、それほどさびしいおじいさんじゃなかったんだ。その話は、ぼくを少し安心させました。しかし、おじいさんのさびしげなすがたがぼくの心から消えてしまうことはありませんでした。
 おじいさんの死によって、人は死ぬといなくなっちゃうんだということを知りました。初めは、死は家の外だけのことでした。米屋のおじいさんが死んでまもなく、食堂のおばあさんが死に、薬屋のおじいさんが死にました。薬屋のおじいさんは、お話をしたことがあったので、病院までおかあさんといっしょにお見舞いに行きました。おじいさんが死んだ時、少しさびしい気はしましたが、涙がこぼれるほどではありませんでした。
 やがて死が家の中に入ってきました。と言っても、誰かが死んだというわけではなく、ぼくの頭の中でのことです。年をとれば、人は死ぬんだということがわかったとき、それは家の外の人だけでなく、家の中の人でも同じなんだろうということがわかったのです。
 ぼくの家は、おばあちゃんにおとうちゃん、おかあちゃん、それに、おにいちゃんとぼくの五人家族でした。家の中で一番年をとっているのはおばあちゃんだ。今よりもっと年をとれば、おばあちゃんは死ぬだろう。それは今までの人たちの死とは比べものにならないぐらい悲しく、さびしいことにちがいない。そのときはきっと泣くんだろうな。そのつぎに死ぬのはおとうちゃんか。そのつぎはおかあちゃん…。おとうちゃんもおかあちゃんも死んでいなくなっちゃったら、ぼくとおにいちゃんだけになっちゃう。そうなったら、いったい誰がごはんを作ってくれるんだろう。ぼくがごはんをたいて、おにいちゃんがおかずを作るんだろうか。買い物はどっちが行けばいいんだろう。ふたりだけでごはんを食べるなんてさびしいなあ。
 そこまで考えていくと、悲しいとかさびしいという話ではなくて、とてもこわくて、心細くて、心配でしようがなくなってしまいました。それは遠い先のことだけれど、かならずやってくることなんだということは、はっきりとわかりました。
 不安で、ふとんに入っても天井板の節目を見つめてばかりの眠られない夜を何日か過ごしたあと、ぼくの想像はつぎの段階に進みました。おかあちゃんが死ぬときにはぼくもおにいちゃんもおとなになっていることに気がついたのです。おとなになっていれば、ごはんを作ることもできるだろう。買い物だって、ひとりでいけるさ。
 ちょっと安心して、眠られる日が続いたのですが、すぐに新しい不安におそわれました。おにいちゃんも年をとれば、いつか死ぬ日がくるだろう。そのときは、ぼくはひとりぼっちになってしまう。しかも、そのときぼくはかなりのおじいさんになっているんだ。夜のお店の戸締りもひとりでやらなくっちゃいけない…。
 ここまで想像がふくらんだとき、ぼくの頭にあのおじいさんのすがたがうかびあがってきたのです。さびしそうに、うつむきかげんで、杖をつきながら歩いて行くあのおじいさんのすがたが…。あれは、いつかそうなるにちがいない未来のぼくのすがただったんだ。年を取ってひとりぼっちでとりのこされる、そういう時が、かならずくる。それはおさないながらも、ぼくの覚悟のような、あきらめのような思いでした。
 ぼくはこういう不安な思いを誰にも話せませんでした。おかあちゃんにも、おにいちゃんにでさえ。話しても笑われるだけだと思ったんでしょうね。もしだれかに話すことができていれば、すこしは気持ちが楽になっただろうにと思います。
 
 そしていま、私は六十五歳を超え、会社もやめて妻とふたりで年金暮らしをしています。祖母はもちろん、両親は死にました。兄も病気で十年も前に死にました。でも私はひとりぼっちではありません。刈谷の隣町、豊明市で、妻とふたり、のんびりとマンションに住んでいます。幼い頃は、結婚というものを知りませんでした。大人になって結婚した私は、ひとりぼっちではないのです。子どもはいませんが、あとはできるだけ穏やかに人生を終われればいいなと、そう思っていました。
 しかし、ある日突然、幼い頃のあの悪夢がよみがえってきたのです。この先もし、妻に先立たれれば、私はひとりぼっちになってしまう。夜ひとりでお店の戸締りをしている自分の姿が、幼い私を夜眠らせなかったあの悪夢が、まざまざとよみがえってきたのです。六十年経ってもやはりあの悪夢からはのがれられないのでしょうか。子どもの妄想だと笑い飛ばしてきたものが、現実のものになりかけているのです。
 私は祈るしかありません。どうか妻が私より一日でも長生きしますようにと…。

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