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のらねこ【自己紹介】です🌷

私が、鬱になったきかっけには、エグイ出来事が。
今でも、きっかけと作ったふたりのバカヤローを
そして、支えにならなかった毒親たちを、
恨んでいますよ、本当に。

【1995年頃】
会社の労働・人間関係で、かなりの異常事態が数年続きました。
月①しか休めなかったり、深夜残業続いたり、オーバーワークだったり
人間関係も、いじめを目撃したり、威圧的な先輩に嫌気がさしたり、
人の噂話ばかり楽しんでる人とか、パワハラ・モラハラ・セクハラ。
それらがきっかけで、胃腸障害、抑うつ状態となり、何より不眠が始まり。
胃腸障害・不眠の為、心身キツイのですが、仕事を続けるため、
隔週あるいは突発の通院を、余儀なくされていた日々です。
自分が鬱病という自覚が、最初は持てなかった為、
精神的なフォロー、治療(向精神薬の投薬)等、してませんでした。
睡眠薬は最初に貰った日から現在まで、毎晩欠かしたことは無く。
とにかく、仕事に支障が無いように睡眠の確保が大事だったのです。
最初は内科のクリニックでお薬を貰っていたため、
いろんな福祉の手当て(自立支援だの、障害年金の申請だの)を
知らずに、OD繰り返したり、自殺未遂繰り返したり。
ひとりきりで、ずっとずっとずぅ~っと、苦しんでました。

【1997年元旦】
忘れもしません。
家族で近所の神社に初詣に行ったのですが。
余りにも心身衰弱状態だったわたしは、
大きな篝火に身を投じたいと思い、
じりじりと炎に近寄っていました。
炎の熱さをじりじりと感じ、にじり寄ってゆき。
その時、家族が戻ってきたので、思いは断念。
結局は、未遂ですが、あの時の気持ちは、
今でも忘れる事のない確固たるものでした。
くっきり思い出せるのです。
気持ちも炎も。

【1999年】
転職、引っ越しをきっかけに、病院も変わりました。
初めて『精神科クリニック』に通うようになりました。
そこで初めて、出された抗うつ剤、安定剤を、
処方通りに飲むことを始めました。
つまりは、精神疾患と向き合うようになったのです。
ただ、自傷行為(OD、自殺未遂)は止められなかったです。
何度も、繰り返し、大変な目にあってきました。
『のらねこの病気を治してやりたい』と頑張ってくれる、
とても思いやりに溢れた献身的な彼氏がいました。
新幹線で3~4時間の、遠距離恋愛でしたが、
毎週末会っていました。旅行も何度も連れて行って貰いました。
5年程たった時、私の過ちで、あるいは私の主張で、
別れる決意をお互いにしました。
最後までいい人でした。
とても悲しい記憶です。
もう連絡先は分からないけれど、今でも気がかりです。

【2020年頃】
コロナもあり、引きこもりが始まりました。
通所していたB型作業所も、テレワークとなりました。
その後、その仕事を辞めることになりました。
理由は、仕事内容がモラル的にブラックだったのと、
一人暮らしで、テキストチャットだけのテレワークは
異常に孤独感が増し、辛さが日々増していったのです。
かなり、精神的に落ちていた時期です。
もう、嫌なことしか考えられなかった。
自分には、生きがいも無ければ楽しみもない。
どうしても死にたいと考えてしまう。
本当にそれしか、考えられなかった。
『死にたい!!!』という気持ちが、切実でした💧
主治医にも『死にたいです』としか言えませんでした。

【2022年】
そんな頃から随分立ち。
今では、病院は自立支援を使わせていただき、
相談支援の方、訪問看護さん、ヘルパーさん、
お医者さん、カウンセラーさんに支えられて、
なんだかんだで、生きてます。
(障害年金は『初診証明』が貰えないため、却下)
そろそろ、就労移行に通おうかと思案中。
一カ月の体験通所を控えています。

【いま】
ひとつずつ逃げないで頑張る。
そう。逃げることはやめる。
そしたら、もしかしたら、もしかしたらね。
少しはマシな未来があるのかもしれない。

そんな事を夢見ています。

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