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あなただけの居場所はありますか

お疲れ様です。先日誕生日を迎えて、22歳になりました。22歳の私もよろしくお願いします。


最近、嬉しいことがありました。

我が家に待望のわんちゃんがやってきました。シェットランド・シープドッグの男の子。

犬を飼うのは初めてで、実は家族で私だけが犬を飼うことに反対していました。

見学にて、こちらを見つめている子犬を一目見たらすっかりメロメロに。抱っこもしたら、毛がフサフサでぬいぐるみだと言われても信じるくらいで、でもお腹が動いて生きていて、びっくりした。


反対していたのは人間に対して怖いという気持ちがあって、なおさら動物だって怖かったのと、もしも大切な存在になってその子が亡くなってしまったときが悲しいと思ったから。

私は、友達と遊んでバイバイするときも急に不安になってしまい「もう二度と会えない気がして悲しい。怖くて寂しい」なんて言っては友達を困らせることも過去にありました。でもその時は自分の心が不安定だったときかもしれない。

未来だとかこれから起こること、未知のものに対して怖いと思ってしまいます。分からないのが怖い。


今はわんちゃんの側にいたいと思っているけれど、いつか飽きる時が来るのかな。

家族、友達、彼氏に対しても、なにか違うなと思ったり、今は一緒に居たくないといった感情を抱くことがあるのに、どうしてずっと好きでいれるという確信が持てるのだろう。

子どもの頃好きだったもの、少し前に好きだったものが今は変わっていたり、急に触れなくなったりする。

人の気持ちはなんて移ろいやすいものなんだろうと思う。


それでも、一度離れたりすることがあっても、また一緒にいるのは、そこが私の居場所だからだと思う。

何があってもそこが自分の居場所ならば、ちゃんと戻ってこれるようにできているのかもしれない。

一度離れてみて、戻らなくてもいいと思ったなら違う道を歩むだけだから。



ある犬の動画でこんなことが書いてありました。それは犬目線で飼い主へお願いをする動画で、「わたしには、あなたしかいない」とあり、これかと思いました。

これは何もペットだけに限った話ではないです。

人間関係でも同じことが言えます。

色々な親子の形がありますが、たとえば母のことをどんなに嫌だと思っても側にいるのは、私にとってのお母さんはお母さんしかいないから。

そう思うからこそ、毎回はできなくても人に優しくしたりするのではないだろうか。

それでも意地悪ばかりするような人がいるのならば、その人は今相手がいることのありがたみに気が付けていないのかもしれない。


「失ってから気が付いた」という言い方があるけれど、その言葉はあまり好きじゃない。だってそんなのあまりにも悲しいから。

そんなことにはならないように、わんちゃんのことはもちろん可愛がるけれど、人間に対しても優しくありたいなと思いました。


ずっと好きでいれるかどうかじゃなくて、自分の居場所がどこにあるかが大事なんじゃないかなと思います。

気持ちがふらついたとしても、とっても疲れてしまって距離を自分から置いたとしても、戻ってこられる居場所ならきっと大丈夫。そして、そこが自分の居場所だと思うならそれを大事に大事にしていくべきだと思う。

大事にしようとすれば、自然とやることは見えてきて、気が付いたら行動に移しているもの。「ありがとう」と言葉にして伝えたり。そういう簡単なことからでいいと私は思う。


今回はここまで。読んで下さりありがとうございました。では、また。







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