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「當麻寺」しのぶる二上山の先 こう呼

割引あり

「死者の書(ふみ)」 とゞめし人のこゝろざしーー。遠いにしへも、悲しかりけり/「遠やまひこ」

當麻寺。奈良に建立している、古き良きお寺。平日でなのか、参拝に来ている人は誰もいませんでした。近くまで行くと、入口の仁王門が参拝する者はどなたでもと言わんばかりに、聳えています。一礼して、門をくぐりました。境内は広さもあって、奥に行けば行くほど各々のお寺さんがあるようで、さしずめ手前のここは玄関口と言ったところだろうかとぼんやり考えていました。
ーーー
「おやまあ。まさか、女子はんが、自分の本を読んで、こんな風に訪ねて来るとはねぇ。」
細身のおじいさんともいえるような人が後ろに立っていました。見覚えのある人でした。返事もできず、でもぽかんと正直、自分でもこうして来てみようだなんて夢にも思っていませんでした。とは、口に出せそうにありませんでした。
「うつつ、いうのは、ほんまに不思議なもんですねぇ。あの本読んできはったってことは、でも、まあ居るんでしょう、きみにも。」
先生のような目にも、そうでないような目にも視える、不思議な色をしてこちらを見ていました。それを知っているようにも感ぜられました。
「知っているから、寂しいような慈しまれるような顔されるんですね。」
「おや、妙に見とりますね。まあ、知っとりますよ。」
「ちょっと、仏さんぽかった。」
「変わった女子はんや。」
「おなご、言う歳でもないけど、貴方からすれば大概は子ですね。実際、先生だった人だし。」
「まあ、そう言わんと。」
「そういうことで、いいや。一つ、訊いても?」
「どうぞ。」
「貴方は人が好きでしたか。」
「今も尚。」
先生の優しいうっすら浮かべた笑みがそれを物語っていました。本当に好きだったのだという気がします。勘ですが。
「お寺はあそこ。いってき。」
指をさして、場所を示してくれました。目的地を一瞥してお礼を言おうと思ったら、そこには影も形もありませんでした。
ーーー

初めに

こんにちは。今回はこれからお話する人に纏わる小噺を挟んでみました。
前橋に行った際に思わぬ名前に出逢いました。「折口信夫」という名前。少し前に「文アル」でも登場して、なんとなく知っている程度でした。
帰りにその名前を調べてみたら、近いうちに奈良の當麻寺でなにやら展示があるというではありませんか。というのも、今年没後70年を記念展だったようです。それを見た瞬間「これは行くしかない」と例のごとく、行く日取りを立てました。で、確か前橋行った一週間後に當麻寺に行きました。本当は9/3に開催される催し物に参加したかったのですが、ダメでした。なので、自分で出来る限りを知る旅にしようと決めました。
*折口信夫の企画は9/24までの開催までのもので、現在は終了しています。

折口信夫

今回、行こうと決めたその時は「折口信夫」という人物を、ゲームの説明程度でしか認知していなかったので、ちゃんとした来歴であったり、作品であったりを一週間でなんとか把握するまで詰め込みました。彼は国文学者、民俗学者、歌人、詩人であり、歌人として「釈(釋)迢空」としても活躍されていました。終生、教授として教壇に立ち、古代の研究や民俗に縛られずに幅広い学問研究と表現活動を続けられたそうです。
彼は「マレビト」というものについてを研究されていたようです。何かというと南方諸島の祭祀などに見られる、他界から時を定めてやってくる存在をのこととしています。日本ではお盆にご先祖さんなども帰省しにくるこの信仰に近いと思われます。それが、ご先祖だけに限らずその時に自分にとって何かを受けるべき対象のようなので必ずしも自分の身の回りに関わる人でないというのも面白い捉え方に感じます。

代表作「死者の書」「口ぶえ」

「死者の書」(代表的な小説)は単一で読むにはあまりに難易度が高すぎました。補注も語彙の解説も掲載されていました。これがすごく助かりました。実在した人物であったり、歴史であったり、神話であったりと、語句であったり、さまざまにすごく盛沢山に充実していました。しかし、しかしです。流れのわかっていない私には情報が多すぎて、描写が把握できませんでした。
ほぼわからぬままに本編が終りました。解説のあとがきで、「口ぶえ」は死者の書と似ていると、書かれていました。これを理解できれば少なからずわかるようになるかもしれないと思い、すぐ探して読みました。没後70年企画は展示だけでなく、書籍でも企画されているのだと少し、驚きでした。「宝島社文庫 口ぶえ―折口信夫作品集」というのを購入しました。「口ぶえ」を含め、ここに収載されている小説は、全て未完というのもこれにしようと思った決め手でした。「口ぶえ」を読んでから、「死者の書」に戻ってからだいぶ内容が把握できるようになりました。読んだ限りの小説ですが、これまでの読んだ作品とは言葉の扱い方も捉え方もがまるで違う事に、衝撃でした。
折口自身も考えると、なんともすさまじいとも熱烈とも思われましたが、これが自分でもあるのかもしれないと想うと、なかなかどうして、共感に近い気持ちが湧いてくるような気がしてならないのです。他人事じゃないなにかが溢れてくる感じです。あの主人公は作品内だけで起こりうるのではなく、折口でもあり、私たちでもあるという解説がひしひしと伝わってきました。読まれた事のある人はどのように感じ取られたのでしょうか。よければ、コメントでお聞かせ願えれば幸いです。



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