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秋めく道を7時間歩いて

ようやく、夏を振り返る事が出来る様になった。夏が、明確に過去になった。或いは、遠い未来になった。何れにせよ、今は夏では無くなった。今朝目が覚めて、廊下の窓から流れ込んで来た風を浴びて、今日の気温を肌で認識したその時に、この夏抱えていた重い重い鉛が、サラサラと溶けていった。思わず頬が緩んだが、思えばその鉛の重さのせいで、こんな頬の緩み方をしたのは久し振りな気がする。

思えば、苦しい夏であった。大きな出来事がいくつかあった。その出来事は、私を苦しめた。あれやこれやと頭の中に嫌な情報がひしめき合っていて、頭が落ち着く睡眠の最中しか、苦しみから逃れられなかった日々が長く続いた。苦しみから逃れる為に、敢えて異常に早く布団を被った日も何度もあった。時には、その睡眠さえも満足に取れなかった。更に、そんな中で私から余計に救いを奪っていたのが、あの暑さであった。どんなときもあの重く息苦しい空気があった。大きく息継ぎをしようと思ったとしても、その息継ぎをしようとしている場所は常に息継ぎに適していなかった。

今朝のその爽やかさな空気は、この夏苦しんでいた私を更に追い込んだ空気とは明確に違っていた。あの重い空気ではない。この空気は、例え私がどれ程酷い境遇に陥ったとしても、仮に世界中の人間から糾弾を受けたとしても、必ず私の味方になってくれる存在だと思った。この爽やかな風が常に吹いていれば、私は絶対に死なないと思った。この風が世界中に吹き渡れば、世界中から争いは一切無くなると思った。苦しみが、過去になった。

こんなに素晴らしい空気は、全身で、気が済むまで、時間が許す限り、しっかりと堪能しなくては大変勿体無いと思い、今日は午後から7時間と少々を歩いた。これもまた過去を振り返るのだが、改めて確認をすると、この様に長時間を歩くのは6月末以来で、約2ヶ月振りの事であった。尚、行き先は京都である。普段ならば6時間も歩けば辿り着く京都に、やや時間をかけて歩いた。自然と、歩調が普段よりも遅くなっていた。一歩一歩が貴重な一歩であった。寧ろ、速く歩いてはいけない気がした。

2ヶ月程見ていなかった道端は、よく観察をすると微かに無常を感じさせられるものであった。この道を歩く時、何時も横目に見ては美味しそうでいつかは店に入ってみたいと思ってはいたものの、この店の横を歩く時には決まって丁度腹の減る時間帯でない事から、結局一回も味を確かめていなかったラーメン屋が、更地になっていたりした。工事をしていて煩かった道が、静かになっていたりもした。しかし、西陽に斜面を照らされて緑が光る逢坂山の逞しさは、予想していた通りであった。逢坂山を越えて、少し遠くまで来たものだとこれまでの道程を思い返す私も、2ヶ月前と変わらなかった。

近江大橋を渡っている時には、過去のこの季節を思い出した。琵琶湖の上に架かるこの大きな橋には、遠く北の伊吹山から吹き抜ける北風が通る。今日の北風には、時折冷たい空気が混じっていた。その風を浴びて、彦根、米原の街を思い浮かべた。もう少ししたらやって来る、冬の事を思い浮かべた。過去の私も、この季節にこの橋を通りこの風を浴びると、同じ想像をしていた。毎年しているこの想像を今年もした。この風も、変わらなかった。今年もまた、この風は私を出迎えてくれた。

この日記は、京都駅周辺の某所にある飲食店の中で書いている。まだ興奮しているこの間に、今日と云う日の素晴らしさを書き留めておきたくて、食事をしたついでに、30分程この飲食店に居座りスマートフォンをポチポチとやっている。天気予報が確かならば、夜はもう少し気温が下がるらしい。どうだろう、30分前とは外の気温もまた変わっているのだろうか。そろそろこの日記も書き終えて、近江に帰りたいと思うのだが、外の空気がまた楽しみだ。京都駅から鉄道に乗り、もう少しだけ夜道を歩き、されどこの空気をたっぷりと吸い、今日を終えたいと思う。今年も秋と冬がやって来る。

おまけ


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