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福島原発

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今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊され政治家もマスコミも被災者を黙殺 事故直後より今の方が怒りが湧いてきた

今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊され政治家もマスコミも被災者を黙殺 事故直後より今の方が怒りが湧いてきた


 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区域」で街が分断された福島県・富岡町の2017年10月の姿を写真で報告した。

 では、その立入禁止境界線の向こう側に家があり、今も帰れないままの人たちは、どうしているのか。どこに住み、どんな暮らしをしているのか。何を感じ、何を考えているのか。それを今回は報告する。

 私が話を聞きに行ったのは、富岡町のJR夜ノ

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放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

 2017年10月17日から20日まで、福島第一原発事故の被災地である富岡町から浪江町にかけての地域を取材に訪ねた。福島第一原発をはさんで、富岡町は南に約8〜14キロ、浪江町は北に6〜12キロほど。どちらも事故直後に半径20キロ以内の「警戒区域」(全面立ち入り禁止区域)に入り、住民は強制的に避難させられた。

 富岡町の町民に全員避難の政府命令が出されたのは、地震・津波翌日の2011年3月12日で

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津波と放射能汚染で消えた街・JR常磐線・富岡駅前

津波と放射能汚染で消えた街・JR常磐線・富岡駅前

 2011年の東日本大震災後、フクシマに取材に行くと、よく足を運ぶ場所がある。福島第一原発から約15キロ南にあるJR常磐線・富岡駅(双葉郡富岡町)である。同じ場所に何度も行ってみることで「復興」の実像が見える。一種の「定点観測」である。

(冒頭の写真は2014年5月15日に撮影した富岡駅の様子。津波が運んだ自動車がホームで引っかかってそのまま草むしていた)

(2017年9月15日付『河北新報』

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福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

 福島第一原発を中心に「帰還困難区域」と政府が名付けたエリアが今も広がっている。

 要するに「放射性物質の汚染が一番ひどく、今も立入禁止が続く封鎖エリア」である。政府が放射能汚染地域につける名称は「できるだけ無難で、刺激の少ない表現」を選ぶ。そして行政用語なので二重にややこしい。

 緩めに決めた政府の基準ですら、そこに一年間いると、のべ被曝量が50ミリシーベルトを超えてしまう。原発作業員や医療

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