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自己紹介 2【相性と適材適所】

今回の内容は少し重めな内容になっているかもしれません。また、多くの箇所でぼかして表現しています。ご了承ください。

ちょっと前の話

わたしは最近社会に放り出されたけど特性により舞い戻ってきた人です。

加えて、この今回の事件で今まで抑うつで済んでいたものが悪化闘病をすることになってしまった人です。


子どもたちと接する人

ぼかしはしますが、以前は特性のある子どもたちと接する人として活動していました。

無意識的に自分に似ていると思っていたり、過去に学んでいたものを活かしたいと思ったり、子どもが好きであったりと色々な理由はありました。特性や性格上コミュニケーションが苦手ではありましたが、それを上回るほどになりたい気持ちややりがいを感じました。そして、その活動について沢山調べ、その場所についても沢山調べました。

そしてその場所は「スモールステップを大切にしている」と記載もされていたため、学生時代の子どもと接するアルバイトの経験から「褒める」に重点を置いていた自分にとって適職であると判断しました(実際に支援員さんや学生時代の相談員さんにいいねと言われています)。

スモールステップ」とは、目標を細分化して簡単な内容から小刻みに達成していくことで、最終目標に近づいていく育成手法です。アメリカの心理学者バラス・スキナー氏によって提唱されました。当初は教育現場や心理療法に使われていた手法ですが、現在では子育てから人材開発まで、幅広いシーンに応用されています。       株式会社HRビジョン引用より

また、その後の展望として実務を積みさらに上の資格を取り特性を持った子どもたちの母親の交流できる場も兼ね備えた場所づくりがしたかったというもありました。つまり、何かしらの形での開業です。


実際にはいってみて

特性の人あるあるの最初は大丈夫だけど段々仮面がはがれてボロが出ていく、それがまさに起きてしまいました。

最初は優しく接してくれたはずなのになぜか周りとどんどん疎遠になっていく状況に学生時代のアルバイト経験においての記憶の中のデジャブを感じながらも当時はまだ診断が降りていなかったため理由がわからず対策も取ることが出来ませんでした


ずれを感じ始める

募集要項と異なる             募集要項とずれているところが何点かありました。まず、社員とカウントされているものだと思ったものが全員アルバイトさんであったと言うことです。これには驚きました。

教えてくれるのはインターネット      OJTも研修もなく現場に放り出されてわからないことは全部インターネットで調べろと言うような感じでした。

制服がある場所で私服出勤         自分だけなぜか制服が支給されませんでした。周りの人たちはみんな制服が支給されていたのですが、自分の分はいつまでたっても支給されず私服で汚れ仕事をする日々でした。そのため、お洋服はどんどん変色していきました。

時間外労働が美しいという風潮       子どもたちの資料を読もうにも就労時間外が当たり前であることが当たり前でした。ですが口癖は「残業してほしいわけじゃない」でしたね。これは他でも、もしかしたら普通かもしれません。

理解が遅いのを理解しているはずなのに変わらない対応                  理解が遅いのを理解していただき、早めに来てほしいと言われたため早めにいくも、一日の流れの説明の時間は変わらないなど不思議体験をたくさんしました。

もしかしたら、これらが普通かもしれませんが、私が初めてをささげた場所のため、当たり前なのかという判断が付かないのです。すいません。


いじめに発展する

何個かあったのですが一部です。

無視をされる               無視がありました。質問を投げかけても帰ってこないことは当たり前でした。また、質問をしても「自分で考えろ」などの返答なども日常茶飯事でした。

精神的支配               「あなたのためを思って」「△△さんと比べるのはよくないけど」など典型的なパワハラに使われる言葉を聞かされる日々。ドンドンこちらも麻痺をしていきこれが普通なのかと思ってしまうところでした。

物を投げつけられるという行為       またある日には物を投げつけられるといったこともありました。しかも子どもたちがいる前で行われた出来事なので驚きました。

影での悪口                自分のことを名指しで「そんなことしていると〇〇みたいになるぞ」など自分がいないけれど聞こえる音量でいわれるなどもありました。

まさに子どもがするいじめと大人がするパワハラが混じったものに合いました。

画像1

だいたい上の画像の内容は言われましたね。


追い込まれる

結果としてこちら側が適応できないということで追い込まれてしまいました。

私はその活動に関する資料を読んだり実践をしようとしたり、将来の資格や新しい場所づくりのために全力を尽くしましたが、特性のある人の多くは全力を出したところで定型からみたら60%程度の能力でしか見られないのが現状でした。

親に現状を伝えた時、普段目の前で泣かない私が2時間以上泣きっぱなしという異常事態に何かを感じ取ったのでしょう。親は怒ったりなどしてきませんでした。

親に伝えた次の日、それは完璧に追い込まれた日で、今後、忘れもしない、自分の誕生日でした。


その後のその後

本当はもっと詳しく書きたかったけれど(労基とハロワを行き来した話とか)その場所はまだ存在しているし、なにより子どもたちに罪はありません

なにより自分の証言だけでは何も変革は起こりません。あって嘘つき扱いされるぐらいでしょう。

後にも先にも最後会うときに、活動場所の中に入れてくれさえないところはここだけで勘弁してほしいですね。

もちろん、自分も特性や凹凸を理解できていなかったゆえの迷惑はたくさんかけたと思います。それに関しては謝罪をしたいです。また、そのようなことがあった場所であってもその場所で学んだことは今、活きているものもあり、今後も活きてくると思います

なので今は宗派が違ったんだなと思うようにしています。そうでなければ、自分自身がつぶれてしまうと無意識的に思っているのでしょうね。


最後に

上でも書いたけどかなりセーブして書いています。それはまだその場所が存在しているからかもしれないし、子どもたちに罪はないからかもしれないし、なによりPTSDみたいにトラウマ特性によってよくフラッシュバックするから思い出したくないのかもしれません

フラッシュバックの対応と工夫        明神下診療所 米田 衆介

なので、文章化することによって昇華できればいいなと思います。              ですがときどきつぶやくようにやはり支援する側に戻りたいと願ってしまいます。

現状は地域障害者職業センターにて検査をして自分にとっての適性を見極めることが第一ですけどね。

また、同時にありがたいことに、以前と同じ立場ではありませんが、支援側へ戻る第一歩見極めのためにチャンスをいただいたのでまた別の機会に記事にでもできればと思います。加えて、その場所は特性や抑うつについても知っているいわゆるオープンの状態なので配慮を受けた場合についても見極めることが出来そうです。

正直に言って周りの同年代と比べたら違う道を歩んでいます。中学からあった違和感が大人になって表出してしまった結果です。

ただ、誤った選択つまりその活動が私にとって100%向いていなかったわけではないと思っています。実際に子どもたちには好かれていましたし、積極的に関わりを持って接していました。なにより知識が中途半端であったためたくさんの書物や動画の閲覧など行い深掘りをしていました。ですが、特性や凹凸による自分と対応の悪さによる周りの掛け合わせで夢も何もかも消え去ることとなりました。

別の記事でも書きましたが、普通平均的にできる周りの人たちが悔しいし羨ましい。そもそも、普通に活動出来て生活できることが当たり前ではないということを理解してほしいです。特性や凹凸がなくともある日突然奪われることはあります。病気やがん、自分が患っているような精神疾患のように。

いつの日か「前を向いて歩いている人が見つけないような花を見つけて愛でるようなそんな人生は暗がりのエモである」というようなことを言った人がいます。多分私は後者の暗がりのエモを頼りに生きていく人生になると思います。

正直に自分の周りを見渡した時、心の底から悔しいし、同時に羨ましい。

けれど、自分の悲観的な人生を誰かに笑ってもらえるぐらいには頑張って這い蹲って凸を伸ばしてやろうと意気込んでいます。

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下記のマガジンはこれまで自分が記載してきた備忘録になっております。お暇がありまして、よかったらご覧ください。


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