人間フィルム

そこそこ終わっている人間のそこそこ終わっている日々。

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そこそこ終わっている人間と自己紹介

私は、そこそこ終わっています。人生とか、何だかそういう、大切だとされているものにおいて。多種多様な、人が誇りを持つ、いろどり的なものものにおいて。 28歳。独身。ひとり暮らしは6年目になります。公式に恋人はおらず、現在の仕事はWebライターです。 行動力やら発信力やらに関しては、かなり乏しい方であると自覚しております。その結果としてそこそこ終わることになったのか、そこそこ終わっていたからそうなったのか、については自分でも判断が出来ません。 人間、滅多にそこそこ終わることな

    • そこそこ終わっている人間とメンテナンス 4

      私は、とても怖がりです。世の中には恐ろしいことが溢れかえっていると思っています。 痛いのや尖っているのなんかも例外ではないので、鍼治療なんか自分がうける日がくるとは、考えてもいませんでした。それでも、鍼灸師の姉に、 「体質的に、アンタが鍼合えへんってことはなさそうなんやけどな」 なんて言われてしまうと、もう興味が出てきてどうしようもなくなります。というわけで、この間は姉に、初めての鍼治療もしてもらいました。 私は、姉を信じています。世界で1番信じているといっても過言ではあり

      • そこそこ終わっている人間とメンテナンス 3

        私はそこそこ終わっているので、自分の健康状態が悪くなっているとき、それに気づかないことが多々あります。ちょっとの変化にでも敏感に反応できる方ならそんなこともないのでしょうが、大体症状が酷くなってから、 「ヤバいな…」 と思い始めます。人より遅いのです。歳をとればきっと“もっと早く病院にきていたら助かったのにババア”になることでしょう。 そんな風なのでもちろん、原因も思い当たることができません。その状態を、 「人に治してもらおう!」 なんて発想にも、ならないのです。 鍼灸師の

        • そこそこ終わっている人間とメンテナンス 2

          私は目に視差があります。致命的な視差です。 視差は元々あったのですが、3年間たいそう真面目にカメラマンをしてしまったせいで、致命的なものとなってしまいました。今は片方だけ度の入った、実にへんてこな眼鏡をかけています。森に棲んでいる梟みたいに、モノクルにできたらいいのに、と3か月に1回くらいは思う生活です。 視差が大きいせいか、眼鏡をとると、ピントを合わせる時間が左右で遅れる感じ、がします。これは一瞬ではあるのですが、目が回っているような感覚でとても気持ちが悪いです。そのせいか

        • 固定された記事

        そこそこ終わっている人間と自己紹介

          そこそこ終わっている人間とメンテナンス

          私には、姉がいます。鍼灸師の姉です。 子どもの頃、鍼灸師、なんていうものが身内にいる状態になるとは、思ってもみませんでした。姉も大人になってから鍼灸師を目指し始めたので、まさか自分が鍼灸師になるとは思っていなかった期間が長いでしょう。しかし、私たちはそんなことを一切気にしませんでした。私も全く想像していなかったWebライターなんていうものになってしまいましたし、そもそも父親が急に占い師になった時点で、そういう家系だと思っていたのでしょう。 鍼灸師の姉は、確かな腕を持っている

          そこそこ終わっている人間とメンテナンス

          そこそこ終わっている人間と新しいトースター

          随分前に、家で使っているトースターが壊れた、という話をしました。あれから少しして、 「いやあれみたけど流石にヤバいよ」 と恋人(公式ではない)に念まで押された私は、新しいトースターを買いました。 新しいトースターは真っ黒で、さらさらしていて、とても素敵です。真っ黒なので、一見すると、“バルミューダのパチモン”に見えないこともありません。“バルミューダ”のパチモンでは決してなく、“バルミューダのパチモン”であるところがポイントです。 何より、新しいトースターは、パンがちゃんと焼

          そこそこ終わっている人間と新しいトースター

          そこそこ終わっている人間とライフスタイル

          そこそこ終わっている人間は、目覚ましをかけずに眠りにつきます。フリーランスだからです。 そして、朝の光で起きます。これももちろん、フリーランスだからです。姉からは、 「原始の生活かよ」 と言われたりもしてきました。 この生活を、私は結構気に入っていたのですが、ここのところ少し困ったことにもなっています。陽の入る時間がどんどん早くなるので、起床時間もどんどん早くなっているのです。最近ではもう、5時半には目覚めています。 これでも雨の降る日は睡眠時間が伸びたりしていたのですが、

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          そこそこ終わっている人間と凪

          そこそこ終わっている人間である私は、記事を書いて生計を立てています。 無謀です。 毎日思います。朝起きるたびに。 「おぉ、今日も無謀な人間の、無謀な1日が始まったな」 と、まるで自分の人生じゃないみたいに。 もう随分と、そんな生活を送ってきました。もしかしたら多くの人が経験することすらないような、不安定な生活を。だから、平気です。ついさっき仕事がひとつなくなったところですが。 この間も、同じようなことを書いたと思います。そう、よくあることなのです。仕事がなくなるなんてことは

          そこそこ終わっている人間と凪

          そこそこ終わっている人間と食事

          そこそこ終わっている人間の食生活が完全終了しているということに関しては、以前書きました。しかし、私は、食事をすること自体は好きです。野菜に期待をしていないというだけで。冬場は寒く、夏場は暑いキッチンに滞在する時間が苦痛なだけで。火力の終わったコンロ1つを頼りに料理をするというのが果てしなく面倒なだけで。 食べられない物、というのも、実はそんなにありません。 ただ、昔はそうではありませんでした。私は母から、好き嫌いの多い子というレッテルを貼られ、その通りに生きていたのです。

          そこそこ終わっている人間と食事

          そこそこ終わっている人間と思い込み 3

          思い込みが強いことにより、私には苦手なことがあります。探し物です。 探し物の敵は、探す場所を限定してしまうことだと、私は思っています。つまり、 「こんなところに置くわけない」 とか、 「そんなところにあるわけない」 とかいう、思い込みが敵の正体、というわけです。探し物というシーンにおいて、思い込みの強い私は邪魔にしかなりません。 だから、物を失くすと大体、私はパニックになります。なにしろ、自分では見つけられません。本来であれば探すという行為にかけるべき力も、失くしたという絶望

          そこそこ終わっている人間と思い込み 3

          そこそこ終わっている人間と思い込み 2

          この間、仕事中に折り紙つきという言葉を使いました。勿論、自分で選んで使うくらいですから、その言葉の意味は知っています。しかし、私には常々不思議に思っていたことがありました。 何で折り紙がついたら価値やら腕やらが保証されるんだろう?語源的にこの折り紙って、一体なにについていたものなんだろう? こんな機会でもないと調べません。私は検索をかけました。Webライターなんだから。仮にも言葉で食っているんだから。そう思って。 折り紙つきの折り紙というのは、元々紙を横半分に折った文書のこと

          そこそこ終わっている人間と思い込み 2

          そこそこ終わっている人間と思い込み

          私の短所の1つに、思い込みが激しい、というのがあります。 思い込みが激しくていいことなんて、まぁありません。多分なんにもありません。勿論これも思い込みなのかも知れませんが。 小さい頃からこの気質のせいで、随分苦労をしたものです。なにしろ1度こうだと思ったら、もう修正が利かないのです。修正をするという概念が存在しないのですから。 例えば、電車についてです。 電車が、電気の力で動いていることは知っていました。しかし私はその電気の出所を、長年レールだと思っていました。レールに電気

          そこそこ終わっている人間と思い込み

          そこそこ終わっている人間とセーフティネット

          このところ、割といつも鳩尾が痛くて困っています。姉に話したところ、 「多分、胃だろうね」 と言われました。 胃は、かつて私が想像していたより、ずっと上にあります。そのせいで、私は長年胃を認識することなく生きてきました。社会人になって初めて“ストレスで胃が痛い”を経験し、それとともにようやく胃の感覚を手に入れたわけです。私と感覚としての胃の付き合いは比較的浅いため、今回のようなことも起ります。 私はそこそこ終わっていますが、胃に極端に負荷をかけるような生活は送っていないと思い

          そこそこ終わっている人間とセーフティネット

          そこそこ終わっている人間とトースター

          最近、トースターが変です。 私は今住んでいる家に、さまざまな人からもらい受けた家電とともにやってきました。実家やら親戚の家やらで活躍した後の家電が、何故かタイミングよく集まったのです。それらが元いた家で何年使われていたかは、知らされていません。 勿論、トースターもその例にもれません。そしてそのトースターは、2、3か月前から、 「もうそろそろ焦げますよ」 というタイミングでぬんっという音がするようになったのです。確認すると、ふっと電気が消えていきます。 私は、この状態を喜んで

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          そこそこ終わっている人間と食生活

          私はそこそこ終わっていますので、そこそこ終わっている人間らしく、野菜に期待をしていません。そのため、そこそこ終わっている人間の食生活は、大分終わっています。 健康的でも文化的でもありません。多分安全でも適切でもないことでしょう。 『サッポロポテト』に7種の野菜という表記があればそれを買って食べながら、 「今日の野菜クリア!」 と思っていますし、『マイクポップコーン』にレタス2個分の食物繊維と書かれていれば、 「今日はレタスを2つも食べたぞ!」 と何なら自分を褒めています。余

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          そこそこ終わっている人間と思考

          そこそこ終わっている人間の住んでいる家の近くには、変な道があります。この間も、また見つけました。ネギです。 そこは、一見するとただの交差点です。きちんと信号があって、みんなきちんと信号を守って行き来しています。ネギは、その、積極的にではなく信号待ちをする人の位置に落ちていました。私はその様子を、ゼブラ柄の道路を挟んだ向かい側から、積極的に信号待ちをしながら見ていました。 信号が青になったので近付いてみると、やっぱりネギでした。これで、この場所で落ちているネギを見るのは2度目

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