そこそこ終わっている人間と凪

そこそこ終わっている人間である私は、記事を書いて生計を立てています。
無謀です。
毎日思います。朝起きるたびに。
「おぉ、今日も無謀な人間の、無謀な1日が始まったな」
と、まるで自分の人生じゃないみたいに。
もう随分と、そんな生活を送ってきました。もしかしたら多くの人が経験することすらないような、不安定な生活を。だから、平気です。ついさっき仕事がひとつなくなったところですが。

この間も、同じようなことを書いたと思います。そう、よくあることなのです。仕事がなくなるなんてことは。しかし、今回はのん気に踊ってばかりもいられません。なにせ、生活のほとんどを支えてくれていた仕事を切られたのですから。
踊ってはいられませんが、このレベルの仕事がなくなるときには、人間あまり焦らないものです。逆に凪。細々と依頼があった小さい仕事を切られたときの方が、意外と焦ります。現実的なのでしょう。

本当は、こんなに冷静に分析している場合ではありません。しかし、今年の3月から私の座右の銘は、
「待てば甘露の日和あり」
なので、これでいいのです。なんてタイムリー。座右の銘にするような言葉じゃないような気もしますけれどね。
さて、いよいよ甘露の日和を真剣に待たなければならないので、本日はこの辺で終了とさせていただきます。

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