そこそこ終わっている人間と思考

そこそこ終わっている人間の住んでいる家の近くには、変な道があります。この間も、また見つけました。ネギです。


そこは、一見するとただの交差点です。きちんと信号があって、みんなきちんと信号を守って行き来しています。ネギは、その、積極的にではなく信号待ちをする人の位置に落ちていました。私はその様子を、ゼブラ柄の道路を挟んだ向かい側から、積極的に信号待ちをしながら見ていました。
信号が青になったので近付いてみると、やっぱりネギでした。これで、この場所で落ちているネギを見るのは2度目です。前回は長ネギ、今回は白ネギでした。セロファンに包まれていて、値札も貼られています。
確かにネギは袋に入れたときにも安定しにくい食材ですが、何をみんなここで落としていくことがあるのでしょう。不思議です。また、ネギ以外のものが落ちているところは見たことがありません。
ネギなんていうものは、大体目的があって購入されます。だからこれを落とした人は、家に帰ってさぞかしがっかりしていることでしょう。あぁ今夜のすきやき、だとか、あぁ今夜のジャーマンポテト、といった風に。その姿があまりにも想像できすぎて、私はしばらくそのネギをじっと見つめていました。


私はそこそこ終わっているので、圧倒的に人より外出をする機会が少ないです。そんな私が2度もネギを見かけているのですから、みんなもっと落としているのかもしれません。私はこの道を秘かに、ネギ落とし辻、と名付けることにしました。
でも、もしかしたら、ネギ落とし辻のような場所は全国各地にあるのかもしれません。そしてそれに気づいた人が、全国各地で秘かにネギ落とし辻という命名を行っているのかもしれません。
そうです。基本的に私は毎日、こんなくだらないことを考えながら生きています。今日もネギが落ちてやしないかと少しだけ楽しみにしながら。しょうもない奴のしょうもない日常に目を通してしまったと後悔されてしまいそうなので、本日はこの辺で終了とさせていただきます。

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