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【短編】『コンピュータが見る悪夢(中編「密売人」十一)』

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コンピュータが見る悪夢
(中編「密売人」十一)


 ニールは男たちに向かって手を振ると、彼らもニールに手を振りかえした。丸太の上には、暗い緑のニット帽と黒い革のジャケットを羽織った男。髪を上で結んで茶色のセーターを着たアジア人の男。もう一人は、地面に尻をついており、メガネをかけチェック柄の白いシャツを着ている。彼は頭が良さそうだ。皆一様に痩せてはいるがその中でも自分が一番だった。右手で紙巻きを握り、白い煙がある一定の方角へと流れていく。タバコではなかった。どこか腐ったゴミの匂いに似ていた。

 彼らは聞いたことのない言葉で挨拶を交わした。フィルに理解できたのは、遅かったな、ぐらいだった。一度に視線が自分の方を向くと、咄嗟にフィルの右手が動いた。

「エイヨー、わかってんじゃねえか」

 アジア人の男は丸太から立ち上がった。紙巻きを左手に移し替えるとフィルの右手を強く握りしめ上下に何度か振った。

「こいつはフィルって言うんだ。今日知り合ったばかりだ」

「そうか。よろしくな。俺はアダム」

「フィルだ。よろしく」

 アダムの目は鋭く、この集団のリーダーのような存在に見えた。フィルに喋る時はあえて普通の言語を使った。

「こいつはジョナスだ、んでこいつがカーリー」

 ニット帽の男がフィルの右手を握った。彼がジョナスか。そしてチェック柄のメガネの男がカーリー。彼は軽く顎を出して笑みを浮かべるとすぐに元の位置にしまった。地面から立ち上がることはなかった。どの集団にも一人はいるクールな男だ。口数が少ないと言った方が正しいかもしれない。ニールはアダムから紙巻きをもらうと、肺の奥深くまで吸った。長く溜めてからゆっくりと息を吐いた。空を見上げて煙を吹かせる姿は、学校に通う中学生には見えなかった。

「おまえもやるか?」

 突然の誘いにフィルは戸惑った。彼らが何を吸っているのか分からなかった。タバコではないことはこれまでの経験からわかった。よく見ると、アダムもジョナスもカーリーも目を真っ赤にしていた。

「いいや、大丈夫」

 フィルは断る申し訳なさをぎこちない笑みでごまかした。

「そうか。じゃあまた今度な」

 何かまずいことをしたのではないかと思ったが、ニールは依然として紙巻きを咥えたまま落ち着きを保っていた。

 男たちはそれを吸うときは無言になった。お互いに干渉してはいけない時間らしい。フィルはどこか息苦しさを覚えた。初対面の人との会話に苦戦しているからではなく、匂いによって蘇る過去の苦痛がフィルの神経を弱体化させた。五人の間に漂う白い気体が十分にフィルの脳髄に充満した時、意識は薄らぎ始め、過去の痛みは徐々に消えていった。そういえば、あの時も同じような感覚だった。キックボードから転んで頭を打ったせいか目の前の景色は歪み、心臓の鼓動も速度を落とし、まるで母親の子宮の中にいるかのような良い心地に包まれた。どこか死(生前)に近づいているようだった。公園の上の方に座っている男たちが、倒れている自分を見つめて何かを話しているのがぼんやりと見えるだけで、他の動きは一切認識されなかった。自分の意思とは関係なく、その煙は意識を向こう側へと吸い寄せた。

 気がつくと四人はその場から立ち上がり、どこかへ移動しようとしていた。自分が何を話していたのかすら覚えていない。しかし彼らはこちらに歓迎の表情を向けた。短い時間で彼らとの距離が縮まったような気がした。

「おもしれやつじゃねえか。またじっくり聞かせてくれよ」

「ああ。もちろんさ」

 何がもちろんなのかさっぱりわからない。フィルはひとまず彼らの言葉に頷くことにした。

「まだ時間あるか? 見せたいもんがあるんだ」

 ニールは気を遣ってくれているようだった。フィルは素直に彼が見せたがっているものに興味が湧いた。

「うん。大丈夫」

「よかった。少し歩くんだけどいいか」

「うん」

 前を歩く三人の後ろに、ニールとフィルは並んで歩いた。フィルは思った。三人のこともよく知らないが、ニールも今日会ったばかりだ。なぜか彼らとはもう長く付き合っているように感じた。

 松林を抜けると、人気のない五階建ての古い建物が公園の敷地内に淋しげに立っていた。三人はそこめがけて歩いている様子だった。関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板が鎖に繋がれて階段の入り口を封鎖している。すると彼らはその標識を無視して階段を登り始めた。特に悪気は感じなかった。ただ彼らも危険を伴うことを平気でできる人間なのだと思うだけだった。フィルは妙に親しみを覚えた。もしかしたら父を失った穴を、彼らが埋めてくれるのかもしれないとさえ思った。

 屋上まで登ると、その先には色鮮やかな空と海が真っ赤に染まった太陽を吸い込もうとしていた。フィルは思わず口を大きく開け、そこにいる男たちの存在を忘れた。こんな壮大な景色を見たことがない。その衝撃はこれまでの停滞した日々の記憶を全て消し去ってくれるほどに、フィルのシナプスに刻み込まれつつあった。

「きれいだろ?」

「うん。きれいだ」

「たまにこうして夕日を見にくるんだ。いつまでも同じ景色を見てきれいだと思えるように生きようって。それがおれらのルールであり、ゴールなんだ」

「いいルールだ」

 彼らのことをてっきり怪しい輩とばかり思っていた。集団でつるむことには慣れていなかったが、彼らはある意味つるんでいるわけではなさそうだった。これといってお互いを縛るものはなく、一人一人が独立して生きているように見えた。フィルにとって皆信頼してもよい存在であることは明白だった。もしそうであるならば、彼らはフィルにとって初めての友人たちと言ってよかった。


 教室は退屈を生み出す工場だ。一人の大人の話を永遠と聞いていると、知らぬまに眠気に襲われていることに気づく。少し口を開けるだけでたちまちその大人に睨みつけられたり、暴言を吐かれたりする始末で、結局目がさめてしまう。彼らは無意識のうちに我々子供に社会の恐怖を根付かせているのだ。それは一種の宗教でもある。現に生徒は皆先生の言うことに従い、先生は生徒たちを従わせる。一人でもその秩序を乱す者がいれば、全体主義思想を植え付けられた皆の視線がその者に向かう。この世界には従うか従わないかの二択が存在し、それによって逆説的に選択された二種類の人間で成り立っているらしい。それはカルトゥーンでは正義と悪として描かれるが、教室では人間か否かで扱われる。こうして人間として認められない――落ちこぼれという種類の――者は無視されるのがオチである。

 学校では先生の言うことは絶対だ。フィルはそれを十分理解していた。父から受けた数々の愛のむちは、目の前の理念に順応することをフィルに強要した。しかし、安全に生きる道を選んでいたはずが、ある出来事がきっかけで泥沼にはまる結果に至った。

 友達ができ、孤独から解放されたことでフィルの生活全体が変わりつつあった。一方で、成績が悪いことは唯一彼の中で変わらないことだった。先生から呼び出しを喰らうことは毎日だった。宿題はいつも全問正解なのに、小テストの結果に改善が見られない。これは誰の目から見ても練習冊子の後ろにある答案を書き写していることは明白だった。ある時、レポート形式での宿題が出された。フィルは答えのない課題に対して頭を抱えた。今までろくに教育を受けてこなかったせいで、自分の意思で文章を書くなど到底不可能だった。ふと隣の席に座るガリ勉くんのことを思い出した。彼は、いつも学校が終わると放課後教室に残って課題を終わらせてから帰っていた。やけに勉強が好きなんだなと思い、勝手にガリ勉と名付けていた。

 フィルはその日、教室に残った。案の定ガリ勉くんは、隣で必死にペンを動かし始めた。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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