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【短編】『脱走犯』

脱走犯


 今日も早朝から仕事が舞い込んできた。ナマケモノが上野動物園から脱走したとのことだった。あのノロさ抜群のナマケモノの脱走をよく許したものかと半分呆れながらも、自分の仕事を全うせねばという使命感のもと捕獲作業に取りかかった。横に細長い動物捕獲器をホンダのアクティバンのトランクに入れて、5mまで伸びる捕獲網を助手席から後部座席にかけて収納した。念のため害獣捕獲器、スタンガンも車に詰め込んだ。数日間捜索/捕獲活動をしていると、様々な目撃情報が私のもとに寄せられた。

Aさん「西町公園に息子と行った際に息子が泣き止まず宥めていると急に上を指さしたので、ふと見上げると太い木の枝にぶら下がっていたんです」

Bさん「イーストタワーあたりの歩道をえっちらおっちらと歩いていました」

Cさん「山手線の車内で東京駅方面に向かっているのを見かけましたよ」

大抵の目撃情報は見間違いか迷惑メールのどちらかであるということは長年この職業を続けてきて知っていたため特にそれらに惑わされることなく、動物の習性や脱走した時間帯、周辺地域の地理などを一通り頭に入れると自ずと居場所を把握できた。

 ナマケモノの体長は約60cmあり、両手には7cmほどのかぎ爪を持つ。このかぎ爪を用いて木の枝から枝へと飛び移るようだ。週に一度排泄をする際に木から地上に降りるのだが、前足で体を引きずってしか歩けないとのことだ。承知の通りかなり動きが遅く、代謝を低く保つことで少ししか食べなくとも生き抜くことができるらしい。主食は木の葉や果実である。また不思議なことに蛾を毛の中に多く棲まわせることで蛾が付着させた窒素で苔を生やし非常食とするそうだ。毛が緑色なのはその理由らしい。視覚はあまり良くないが嗅覚が非常に優れており、肛門付近から分泌される匂いを嗅いで仲間同士でコミュニケーションをとるそうだ。生涯のほとんどを木にぶら下がって過ごす。それは特に誰もが知っているナマケモノの習性だが、捕獲する上で最も重要なヒントであった。つまり、脱走したナマケモノは枝が多く生えた樹々がある場所にいるであろうと推測した。周辺の木々がある場所は限られていたため捜索範囲は簡単に絞ることができた。上野公園内か谷中霊園、旧岩崎邸庭園が可能性として高いため、その周辺を歩いているもしくはのたうちまわっているであろうと踏んでいた。しかし数日探しても一向に姿を現さないのだ。あらゆる公園木の枝、道路の排水溝の中、停車中の車の下。どこを探してもナマケモノはいなかった。私に連絡する者はなんらかの事情があって警察に通報せずにわざわざ私の方に捕獲の連絡をするケースがお多いのだが、今回ばかりは脱走対象の捜索が長引いており警察の協力を借りる他ないと思い始めていた。何か一つでも痕跡が見つかれば捕獲までは早いのだが、その脱走対象は指紋一つ残さないやり手に思えた。日数を重ねるごとに捜索範囲は広がっていき、もう逃げ隠れた場所の目星も付かなくなっていた。

 ちょうど個人の動物目撃情報ハブサイトを見ると通知が溜まっていた。目撃情報が多数寄せられていたのだ。しかもほとんどの情報が揃いも揃って同じ区域を示しているのである。その場所というのが、皇居であった。すぐさま捕獲道具が長らく放置されているアクティバンを走らせて皇居へと向かった。一般客が入れる区域は決まっており、先にその区域内の木々を徹底的に探した。しばらく捜索していると、脱走対象はいた。二の丸公園付近の木にぶら下がってゆっくりと葉っぱを口に運んでいる最中であった。私の存在に気付いても特に逃げ出す様子もなく、むしろ快く私の差し出した手を握り捕獲器のカゴの中へと収まってくれた。その後、ナマケモノは無事に上野動物園まで送り届けることができた。驚くことに園内から皇居まで約5キロ以上も離れており、自力でそこまで辿り着くことは到底不可能であった。その時ふと以前自分のもとに届いた目撃情報を思い出した。

Aさん「西町公園に息子と行った際に息子が泣き止まず宥めていると急に上を指さしたので、ふと見上げると太い木の枝にぶら下がっていたんです」

Bさん「イーストタワーあたりの歩道をえっちらおっちらと歩いていました」

Cさん「山手線の車内で東京駅方面に向かっているのを見かけましたよ」

もしこれらの情報が正しかったとするならばナマケモノが皇居に居たことの辻褄が合うことがわかった。すると、あのナマケモノは遥々山手線に乗って東京駅で降り、木々の多く生えた皇居に行こうとしていたのかもしれないと妄想した。ノロいわりになんて賢い動物なんだと自ら発見できなかった悔しさをもみ消すかの如くナマケモノに対して驚き呆れた。

 後に上野動物園から事情を聞くと、このナマケモノは実は元々皇居内で飼われていたというのである。天皇家がこれまで何人もの飼育員を雇い大事に育ててきたのである。しかし、病気が見つかってしまい治療のためやむなく上野動物園の獣医師に長期的に診てもらうことになったのだそうだ。しかし、いざ今回のようにナマケモノが皇居に戻ると、皇居内の人間は以前と同様ナマケモノが木にぶら下がっているとなんの違和感も持たなかったようで警察には通報しなかったとのこと。ナマケモノは二の丸公園に咲いていた菖蒲を大層気に入っていたそうだ。もしかするとその匂いを頼りに皇居まで自らの足、いや全身で脱走したのかもしれなかった。私は奴らが鋭い嗅覚の持ち主であることを思い出した。

事件が一段落し報酬を受け取ってからやっと一息つこうと自宅のソファに座ろうとした時、電話が鳴った。電話をとると女性の声だった。

「もしもし、うちで買っていた小型ワニが逃げ出してしまったんです!」


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