【短編】『僕が入る墓』(中終編)
僕が入る墓(中終編)
明美の方を見ると、うっすらと目を開けて夢を見ているように僕たちのことを眺めていた。
「明美、ママだよ。わかる?」
「ママ?」
明美は目の前の景色が夢でなかったとわかった途端、閉じかけていた目を大きく開いた。
「明美、パパだよ。どうだ具合は?」
「ちょっと、眩暈がする」
「そうか。少し水を飲みなさい」
僕は義父の言葉を聞いてすぐに自販機へと急いだ。ペットボトルを片手に病室へと戻ると、明美はまだ仰向けの状態で二人と話していた。僕はそっと明美の隣に座ると、口元にペットボトルを持っていき、こぼれないよう少量の水を垂らした。明美はすぐにむせてしまい布団の上に水を吐き出した。やはり体勢が良くなかったようだ。僕は明美の胸をさすって咳を和らげた。明美の胸は先ほど身体を触った時より温かく感じた。僕は小さく安堵の息をこぼした。
「先生を呼んでこよう」
義父はそう言って病室を抜け出した。しばらく僕と義母が二人明美のそばにいると、妙なことを言った。
「なんかね、不思議な体験をしたの」
「なあに、不思議な体験て?」
明美は天井を見つめて、まるでお見舞いに来た孫に自分の昔話を語るかのように話を切り出した。
「眠っている間ずっと真っ暗だったわ。すごく怖かった。このまま自分は目覚めないんじゃないかって思った。暗闇から抜け出せないまま不安だけが募っていって、もう一層のこと心の目も瞑ってしまおうって思ったわ。そしたらね、すぐそばで誰かの声が聞こえたの。その声はずっと私に語りかけてくれたわ。だから孤独じゃなかった」
僕と義母は明美の話を――不思議そうに――聞いていた。
「私思ったの。きっとママが隣でずっと看病をしてくれているんだって」
義母は明美の話を遮るように、頭を傾げて答えた。
「ママね、昨日家に帰っちゃったの――」
明美がポカンとした顔を見せると、義母が付け加えた。
「もしかしたらだけど、じいじが天国から見守っていてくれていたのかもね」
「ううん。じいじじゃなかった。もっと優しくて、親切で、ママみたいだった」
「なんでわかるの?」
「なんかそんか気がしたの」
義母はおかしな顔をして、明美に尋ねた。
「どんなことを話したの?」
「それが覚えてないの。ただ私のそばにずっといてくれたわ」
「誰なんでしょうね」
「うん」
先生がベットを囲むカーテンの外から顔を出した。
「いやあ、よかったよかった。ようやく目を覚ましましたね」
先生の後ろから義父も顔を覗かせた。
「どうですか、具合は?」
「だいぶ落ち着きました」
「そうですか。脇腹は痛むでしょう」
「はい」
「見てみますか?」
明美はなんの躊躇も見せることなく、一度頷いてから入院着の上着を下からめくった。白い腹部に一筋の切り傷が入っていた。その周りには縫った跡が濃く映り、紫色に腫れていた。義母は余計に明美のことが心配になったようで涙をこぼした。
「脇腹でよかったですよ。少しずれていたら子宮まで届いていました」
僕たち三人は明美のお腹を見ながら深くため息をついた。
「しばらくは入院していただくことになります。なので退院までゆっくり身体を休めてください」
「はい」と明美が感謝のこもった声で答えた。
すると、先生が義父と話がしたいと言って、二人で病室を出ていった。先生は明美に秘密にしていることがあるようだった。
「お父さん、手術後はしっかりとご説明する機会がなかったのですが、改めて今回の傷についてお伝えすることがあります」
「はい」
「単刀直入に言います。この傷は、自分でつけられるものではございません。私はてっきり明美さんが自殺未遂を図ったとばかり思っていました。しかし傷の形や方向を観察していくうちに、これは何者かに切られた跡であることがわかりました」
一瞬、義父の額から液体が滴り落ちた。すでに何者かに家を狙われていることは十分承知していたにも関わらず、まるで重病を宣告される時のような気分だった。
「これは殺人未遂です。つまり事件ですよ」
義父はしばらく黙り込んでから口を開いた。
「存じています。すでに警察にも連絡をしました」
「そうでしたか――」
「犯人が――。犯人が何者なのかわからないんです」
義父がそう言うと、先生が答えをすでに用意していたかのような顔で答えた。
「実はあの切り傷についてですが――。ナイフやカッターなどでできた傷ではないことがわかっています」
「どういうことですか?」
「おそらく、平鍬です」
「平鍬?」
「はい。農作業をする際に使われる道具です」
「でもなぜわざわざ農具を?」
「わかりません。むしろ何か心当たりはありませんか――」
義父は自分の記憶を遡って、今まで受けていきた数々の久保田家への嫌がらせを思い浮かべたが、全くもってその農具とは結びつかなかった。
「――わかりません。でもありがとうございます。一応警察にも伝えておきます」
「いいえ、こちらこそあまりお力になれずすみません」
義父は深くお辞儀をしてから病室に戻った。義母は話の内容を知りたそうに義父の方を見つめた。
「傷口が完全に塞がるまで入院だそうだ」
「どのくらいで塞がるの?」
「一週間から二週間くらいってとこだ。他のことは何も心配しなくていい。会社には俺から電話しておく」
「ありがと、パパ」
僕は義母のすぐ後ろに呆然と座って、明美と義父の会話を聞いていた。やはり家族を前にすると、夫としての自分の存在感は自ずと薄らいだ。屋敷にいるときもやたらと親子の距離の近さや、今は亡きお祖父様からのそっけない態度に自分が久保田家の部外者であるかのように感じていた。都内に二人暮らしをしていたため、明美の家族と過ごす時間が少なくなるのは仕方がなかったが、できれば自分が婿入りしたことを自覚したかった。いち早く保田家の輪の中に入り、自分を婿として認めてもらいたいと思った。そのため、今この場で家族全員が集まりお互いのことを思いやる時間が何よりも大切だった。僕は今こそ明美に何か言葉を投げかけるべき時だと思った。
「明美、僕のことは心配いらないからね。あと家のことも――」
一瞬、義父と義母が冷や汗をかいた。僕はそれに構わず話し続けた。
「明美の代わりに家事は僕が手伝うから」
「うん」
明美は頷くと、それ以上何も返さなかった。義母は僕が屋敷での出来事についてなにも言わなかったことに安心すると、鼻で笑ってから僕に言った。
「あら、この子自分から家事なんかしたことないわよ。それで言うと、家にいてもいなくても変わらないわ」
義父が思わず笑いだすと、僕も明美も声高くして笑った。
屋敷に戻ると、警察官数名が僕たちの帰りを暇そうに待っていた。
「ご苦労様です」
「お帰りなさい。現状特に何も異常はないですね」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ、私どもも久保田さんたちにはお世話になっているので――」
門を開けて屋敷の中に入ると、家を出る前と何も変わらなかった。それぞれ小休止を挟むと、義父が待ちに待った様子で僕と義母を居間に召集した。机には地下室から運び出したくくり罠がいくつも置かれていた。
「もうそろそろ暗くなる頃だ。とっとと罠を仕掛けてしまおう」
「はい」
その一言を皮切りに僕たちは動き出した。くくり罠を仕掛けるには近くに柱が必要だった。そこに縄をくくりつけて固定するのだ。屋敷は古い建物のため案外柱は多かった。しかし、どの柱にくくりつけるかが重要であった。昨夜奴らが侵入してきた場所は玄関近くの部屋だ。その部屋の窓を割って入ってきたのだ。部屋の中に罠を仕掛けるよりかは廊下に仕掛ける方が理にかなっている。部屋の中は月明かりが差し込んでしまう。廊下となれば暗くて奴らも足元に注意を払わないはず。
義父は何かを危惧しているようだった。奴らに心当たりがあるかまではわからないが、奴らの狙いが家宝であると推測していた。僕たちはその部屋の前に立った頑丈な柱に縄を何重にもくくりつけた。そして、ちょうど廊下の中央に輪っかをいくつも用意し、夜が来るのを待った。
後終編に続く
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