【41】 私がネガティブなのは、当たり前のことだ
3週に一度の通院も、いよいよカウントダウンが始まりました。
コロナの恐怖は依然消えておらず、注射とは別の不安がつきまといましたが、あと7回、あと6回……と一回ずつ減ってゆくことが嬉しく、気持ちが少しずつ上向いてきました。
そんなある日の通院日、病院の待合室の中で、時間潰しのために読んでいた本に、私は釘付けになっていました。
『ほめ日記』なるタイトルの本で、誰かを上手に褒める本かと思いきや、褒める対象は自分自身。
普段、他人を褒めることや他人から褒められることはあっても、自己完結的に「自分を褒める」などということは、経験したことがありません。
それどころか、「まだまだダメ」「そんなんじゃ足りない」と、いつも自分に不合格の烙印を押し続けてしまったことも数知れず。
そうして、そのことに無自覚なのでした。
近年、よく耳にするようになった「自己肯定感」という言葉。
日本人の自己肯定感が他国に比べてとてつもなく低いことも大分前に話題になりましたよね。
私もその一人であり、できたことに対しては「こんなのできて当たり前」、できないことに対しては「努力が足りない」という風に、どちらに転んでも結局自分を責め、貶めて生きてきました。
母からも、褒められるよりは、日常的にダメ出しされて育ちました。そして私の友人などに「〇〇ちゃんはすごいわね」などとほめる母の姿にも、私は勝手に傷つき続けてきました。
「そりゃあ、ネガティブになって無理もないね」
脳みそのミソちゃんがぼやきます。
「そうだね、自分を認めてやれない自分になっちゃってるんだよね。でも今さら育ちのせいにしたって、何の解決にもならないんだよね。だから、どうするかを考えないとね……で、この本には、自分をほめると自己肯定感があがると書いてあるよ」
「えー。また、なんかやるの? ま、別にいいけど」
ミソちゃんも、私の奇行(?)に慣れてきたのか、私の言うことにあまり反論しなくなりつつありました。
「いつも自分にダメ出しして、しょっちゅう思い悩んでくよくよしてしまうこの性格も、自己肯定感を養わずして改善していけないのかもしれないよね……」
待合室で、ぼんやりとそんなことを考えながら、なにげなく周囲を見渡します。
コロナのクラスター発生以降、病院の座席には距離を保つよう、ひとつおきにA4サイズの紙が貼られ、座れないようにしてありましたが、ガン患者の抗がん剤の待合室だけは、いつものように混んでいました。
概ね高齢者で構成されており、ウィッグなしでニット帽を直に被っている方もちらほら。
誰かに付き添われている人、車椅子を器用に操作しながらすいすいと目的の場所に行く人、おしゃれをしてしゃんとしている人。
たまに、私よりもずっと若い患者さんもいて、ドキリとします。
この人たちの、一人ひとりに、オリジナルの人生があるのだな。
病の症状も、痛みの感じ方もみんな違うんだろう。
みんな一体どんな気持ちで生きているんだろう……。
ふと、近くの60代くらいの女性の手元に目が留まりました。ほぼすべての指先に絆創膏が巻き付けてあるのです。
ハッとしました。
(ああ! 爪が剥がれそうになっているんだ!)
状況が分かると、同情で心が持っていかれそうになりました。
(まさかもう、剥がれてしまっているの?)
ついさっきまで本を読んでいたことなどすっかり忘れ、目の前の女性の姿に動揺している自分がいます。
寒がりの私が、毎度、1個500gのアイスノンを8個も持参して、手足の指先を徹底的に冷やしまくっているのも、末端の血流をわざと悪くし、神経を壊さないようにするためでした。
痺れがひどくなりませんように、爪が剥がれませんようにと、必死なのでした。
(あの女性は、抗がん剤中、ちゃんと冷やしているのかな。教えてあげた方がいいのかな……でも看護師さんに教えてもらってるよね……病院でも借りられるし……)
そんなことを考えているうちに、私の番号が呼ばれました。
広い抗がん剤室は、ずらりとリクライニングチェアが並んでいます。それぞれがカーテンで囲まれ、プライバシーが確保できるようになっていますが、近くの患者さんの話し声ははっきりと聞こえてきます。
「ねえ、あなた! 手がこんなにしびれたことってある?」
なにやら年配の女性患者が、看護師に向かってぼやく声が聞こえてきます。
手にしびれが出るということは、私と同じ乳がん患者かな。看護師に愚痴らずにはいられないほど不快なのでしょう。
逆側では、おじいさんとみられる患者さんの声。
「もうすぐお迎えだからね……東京五輪までもつかどうかだね」
などと、言っている内容はヘビーですが、声色は至極明るく穏やかです。
どうやら90歳を超えている様子。ご自身の引き際について、達観されているようでした。
私は私で、アイスノンなどを取り出して準備をしながら、ひとりの看護師を捕まえて、「注射は、○○先生でお願いします!」と伝言(というか、強要)します。
注射のうまい外科医を見つけた私は、直接、その医師に、出勤の曜日と時間帯まで聞き出して、タイミングをあわせこんで通院しているのでした。
外科医の女性医師がやってきて、いつもの注射。
私の腕を触って場所のあたりをつけると、迷うことなくグイイイーーっと、注射針を差し込んできます。
そのドSっぷりが、圧巻です(笑)
(一発で入ったーー!)
ミソちゃんもバンザイをしています。
「先生、今日もありがとうございます!」
私はお礼を言って、ほっと一息、リクライニングチェアを倒しました。
抗がん剤が終わったあとも、看護師に頼んで「生理食塩水を多めに流してください」と追加のお願いをします。
腕の血管そのものが傷まぬよう、抗がん剤をしっかりと「洗い流してもらいたい」との考えからでした。
私のように、心配性で、いちいちうるさい患者にも対応しながら、感じよく対応してくださる看護師さんたち。
仕事とは言え、患者の愚痴や要望に応えながら、いなしてゆくのは大変なことです。コロナ禍というだけでも、ストレスフルだというのに。
いつか絶対に何かお礼をしなくては!
私はそう決意しながら、帰る準備をします。
帰り道、駅へと歩いていると、ミソちゃんに話しかけます。
「ねえねえ、ミソちゃん、今日もわがまま言ったかもしれないけど、自分の要望を伝えられたよ」
「そうだね、よかったよかった。えらいじゃん!」
「あ、褒めてくれた? そうかあ、自分を褒めるってこういうことかぁ」
ミソちゃんと私は、気分よく病院を後にしたのでした。
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