【48】 明日死ぬのはリアルじゃないけれど、あと5年の命だと仮定してみました
私にとって、身近なものになった「死」という概念。
「いつか死ぬんだ」と意識する生活は、もちろん多少の恐怖は伴いますが、しかし悪いことばかりではありませんでした。
これまでは「人生があと40年以上もある、長い」などと考え、日常の希少性が霞みがちだった人生でした。(詳しくはこちら⤵)
しかし、そんな半ば虚無的な生き方から、乳がんになったことで、「死は必ずやってくる。だからこそ、どんな状況であれ生を満喫できる自分でありたい。そしてどうせ生きるなら、死ぬその瞬間まで楽しんで、笑って死んでってやるよ!」と強く思うようになったのです。
私の根底に流れていた「ニヒリズム」の量が確実に減りました。
そして今後、運よく健康な状態に戻れたとしても、いつでも「あと5年で人生おしまいだったらどうするだろう」というスタンスで、すべての行動を選択していこうと決めました。
5年と言われれば、今日明日すぐに死ぬわけではないから(実際は、明日にも事故などで死ぬ可能性はあるけれども)、究極の悲壮感はないが、けれども確実にカウントダウンの音が聞こえてきます。
5年という時間など、あっという間に過ぎ去るということを、5年前の私は知っています。
あと5年の人生。
80~90歳くらいまで生きるのかな…って思ってたけど、50歳を迎えられずに死ぬんだとしたら。
そう仮定してみると、これまで本当に本当に、どうでもいいことに、縛られまくって生きてきたなぁと、しみじみと思うのです。
シンプルに考えてみれば、人生には「やらなきゃいけないこと」など、何ひとつなかったのにね。
大人として、常識的にちゃんと生きなきゃ
仕事も家事も、あらゆることを停止し、一日中寝ている自由だって、私たち人間にはある
カラダに良いモノ食べて、ちゃんと生きなきゃ
ジャンクなモノを食べ過ぎたり、一切食べなかったり、お風呂に入らず、顔も洗わず、歯も磨かない自由だってある
そんな高いもの買っていいの?
例え高価なモノだとしても、「欲しい」と思えば買う自由がある相手に嫌われたら大変だよ
嫌いだと思ったら無視をし、イヤだと思ったら断る自由だってある
人づきあいは大事だよ
義理を欠いたり、誰かを裏切ったり、誰かを捨てる自由だってある
原則、何かをするのもしないのも、すべて自分の好きにしたらいいのであり、誰かに嫌われたり、軽蔑されたり、排斥されようとも、自分の責任で自由に選択すればよいだけのこと。
「人生はあと5年」
そう思えばこそ、その気持ちも強くなってきます。
先日、電話で母に「もう老後の心配はしない」と伝えたところ、「何言っているの。そんなこと言ってても、90歳や100歳まで生きる場合だってあるのよ。そのときはどうするの」と、案の定、長生きすることを心配してきました(笑)
同時にこのような母の価値観が、私の骨の髄までしみ込んでいるのです。
私が死ぬかもしれないことなど、母はすっかり忘れて、治療を終えればまた長生きできると思っているようです。
母が何度もガンをやっているということは、私だって、これから何度でも再発する可能性が十分にある。
冷静に考えて、これが現実なのです。
食道がんの治療が終わって、これまでの大食漢に戻った母は、「どうしよう、ごはんが美味しくて困っちゃう」などと嬉しそうにこぼしながら、順調に体重を戻していっていました。
娘としては嬉しい限りです。
しかしこんなとき、不思議に思うのです。
母は、ガンになって「いつ死んでもいい、諦めた」というスタンスをとり、私を驚かせてきました。強がって、取り繕っている風でもなく、ニュートラルに「いつ死んでもいい」と言う母。
私は、その母との「決定的な違い」を不思議に思い、自分という人間の点検を始めたのでした。
しかし日常生活において、母はいつも血圧や血糖値を気にし、そして、すでに老後を迎えているにもかかわらず、まだお金の心配をし、貯金を増やそうとしている……。
いつ死んでもいいと言う母。
一方で、長生きする気満々、老後の心配をする母。
「言ってることと、やってることが違う場合は、やってることが本心です」
と、何かの本で読んだことがありますが、「いつ死んでもいい」はウソということですかね、母が何を考えているのか分かりません(笑)
でも。
まぁ、いいか……。
母の気分のよいように、好きに考えたらよいのです。
最近、私とミソちゃんは「まあ、いいか」ということが増えました。
生きている中で起こるほとんどのことは、どっちでもいいし、どうでもよいこと。
母の娘として生まれてから、大人になるまでの間に、母から刷り込まれてきた膨大な「母の考え方や価値観」。
有益な価値観も山ほどありましたし、しかし同時に不要だった価値観も山ほどあるのが事実です。
若いころは、その既存の価値観と、社会に出て新たに身に着けた価値観とが、私の中で折り合いがつかずに暴れまくって、実家に帰れば、よく母と口喧嘩したものでした。
ケンカをするための帰省が苦痛で、そのモヤモヤとした感情が、やがて「あきらめ」という形でそのまま放置され、カビの生えたぬか床のように腐臭を放っていたのでした。
しかし母娘の病気をきっかけにして、長らく閉じていたぬか床のフタは、開きました。
臭かった。
カビだらけだった。
母に対し、抱えてきた「娘という立場」のもやもやとした気持ち。
「娘(女)を産んでよかった」と喜ぶ母と、
その期待通りに、頼れる気の利く娘であろうとする自分。
長年蓄積された「心の中のもやもや」を、真っ向から見つめるきっかけをくれた病は、私にとっての「キャンサーギフト」だったでしょう。
「あと5年の命」
そんな風に時間を限定するからこそ、「自由に生きること」の重要性が、より一層高まってきます。
いつでも立ち戻れますようにと、毎日言い聞かせるようになりました。
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