見出し画像

【エッセイ】これからの方針『佐竹健のYouTube奮闘記(60)』

 関東城めぐりという佐竹健ch始まって以来初めての長編企画が終わった。それが終わってからは、何かをしようとか、そういう気が起きない。考えようとしても、頭が上手く回らないのだ。何をするにも億劫だ。

 張り切り過ぎてしまったので、少し休む必要があるかもしれない。なので、しばしの間動画投稿を休むことにした。


 3月のはじめ。執筆作業をこなしつつ、次の企画についてもぼんやり考えていた。

 次の長編企画は、なんとなくだが決まっている。何となくだが、甲信越の城を巡ろうと考えていた。

 実は一部のフォロワーさんから、

「他の地域の城も巡らないのか?」

 という声が出ていたからだ。

 どこにしようかな? と考えているときに、候補が3つ浮かんできた。

 最初に思い浮かんだのは、畿内と紀州、近江の城めぐりだった。次に思い浮かんだのが九州の城めぐり、最後は甲信越城めぐりであった。

 一つ目の畿内と紀州、近江の城めぐりは、某映画繋がりで思い浮かんだ。紀州からスタートし、大和、近江を巡って京(山城)へと入り、大阪(摂津)、河内、和泉と行こうと思っていた。

 だが、京都・大阪編が武蔵編と相模編以上の長丁場になりそうだったのと、予算の関係で辞めた。

 九州城めぐり編を望んでいる一部のフォロワーがいるためである。だが、とても申し訳ないが、これも予算が厳しそうなので辞めた。

「予算」

 この現実的な理由から、私は甲信越城めぐり、今風に言えば、山梨、長野、新潟(佐渡除く)の城を巡ることに決めた。

 甲信越は、ある程度近い。

 特に甲州は安房ぐらいの距離なので、普通に電車で行ける。高尾山へ行くときに使っていた京王線の快速で高尾駅まで行って、そこからJRの中央線に乗り換えて行けば、安房へ行くよりも少し安く済む。

 残りの信州と越後は一部新幹線を使うことになりそうだが、予算的には行けないわけではないから、大丈夫そうだ。

 また、関東城めぐりでは、多くの謎を残していることや、フォロワーさんが薦めた遠征先に甲府と新潟県があったこともある。

 謎については、関東城めぐり全編で大きく関わってくる上杉謙信、そして上総武田氏の本家である甲斐武田家のことだろうか。戦国武将だけに限定しないなら、柳沢吉保のことや鎌倉北条氏、九州に渡った千葉氏など、かなり盛りだくさんである。

 九州に渡った千葉氏、丹後宮津の松平氏については、先ほど話したように予算的に厳しいので難しい。だが、越後や甲斐には、電車で行けないわけではないので、上杉謙信や甲斐武田家、そして柳沢吉保について、何かしらわかることがあるのではなかろうか? そう考えた私は、甲信越の城を巡ろうと考えた。

 フォロワーさんが遠征先に薦めた件に関しては、以前Twitterで新たな遠征先をどこにするか聞いたときに、甲府と新潟県が上がったことが大きい。詳しいことを知りたい方は、去年私が投稿した『新しい遠征先を考えている(『佐竹健のYoutube奮闘記(13)』)』という記事を読んでもらえるとわかりやすい。


「甲信越城めぐり編の旅へ、いざ、出陣!!」

 そう言いたいところであったが、諸事情あって取りやめることにした。甲信越へと向かうのが、精神的に億劫に感じられたからだ。

 代わりに先ほど挙げた、畿内の城めぐりを実行しようと思い立った。が、予算が予算なので、畿内城めぐりから少し考えをひねって、

「上洛計画」

 に変更した。畿内城めぐりを先にやるより、その周辺の城を巡った方がいいということに気がついたのだ。

 だが、京都へ向かうルートは、東海道を経由するルート、中山道を経由するルート、北陸を経由するルートの三つがある。いずれのルートで行っても、美濃か近江を経由することになる。北陸経由の場合は、若狭から丹波へ出て、京都へ入るということもできるが。ちなみに海路でという手段も含めたら、手段は5つになる。

 これに関しては、意外に早く決まった。東海道を経由だ。理由は、伊豆へ行っていなかったからだ。あと、尾張に行きたい場所があるというのも一つだ。

 伊豆へはどうしても行きたいと思っていた。というより、行かなければと思っていた。小説の関係で、源頼朝挙兵の話を書くことになるからだ。

 平治の乱のあと、頼朝は伊豆の蛭ヶ小島という場所に流罪となった。

 流罪となった理由に関しては、清盛の継母である池禅尼が、

「弟の家盛に似ている。もし助けないなら、食を断って死ぬ」

 と言った。

 これでは親不孝になると考えた清盛は、渋々流罪とした。これが一般的に言われている頼朝が伊豆へと流した理由である。

 実際は、頼朝の生母が熱田神宮のお姫様で、上西門院に仕えていたコネがあったからだとか、伊豆が一族の源頼政の知行国であったからだとも言われている。

 伊豆に流された頼朝は、大人しく平治の乱で亡くなった父の供養に勤めていた。その間に、伊東祐親の娘と恋仲になって嫡男を生んだことで殺されかけたり、北条政子と結婚したりした。だが、以仁王が乱を起こして、令旨(正確には御教書)を各地の反平家勢力にばらまくと、清盛はその旗頭となるであろう源氏を全滅させるため、兵を出した。

 清盛の動きに恐怖を感じた頼朝は、舅の北条時政を後ろ盾に、関東各地の豪族を味方につけ、三島大社の祭礼の日に平家討伐の兵を挙げたというのが大まかな流れである。そして伊豆国の国司の目代として派遣されていた山木兼隆と地元の有力者である堤信遠を血祭りに上げた。

 この流れを、今書いている歴史小説で書いていくつもりである。

 書いていくうえで、流罪となって挙兵するまでの頼朝が、どんな景色を見てきたか、この目でしっかり見ておきたいなと思うのだ。だから、伊豆方面に決めたのだ。

 尾張に関しては、単に行きたいなと思っていたのが大きい。名古屋城や熱田神宮、清州城、小牧山城など、行きたい場所が多い。

 こうしてどこへ行こうか計画を立てるだけでも、とても面白い。今回はゴールが京都ということもあり、少し楽しみである。


 ロケの段取りや撮影が終わるまでの動画投稿は、平常運転でやっていくつもりだ。まあ、いつも通り気になっていたことを調べたり、時折工作や料理動画を出していくスタイルで行こうかなと考えている。もちろん、今までと違って、できることは限られてくるが。


【前の話】


【次の話】


【チャンネル】


【関連動画】

この記事が参加している募集

熟成下書き

旅の準備

書いた記事が面白いと思った方は、サポートお願いします!