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【エッセイ】印籠について解説した動画の話(『佐竹健のYouTube奮闘記(61)』)

 私の動画には、いくつか見られているものがある。一番よく見られているものが、1年前に紹介した大名屋敷の話で、次はダイソーで売られていた製本ホッチキスで本を作るというものだ。3番目はGボイスチェンジャーというアプリを使って音声を変えるという動画だった。いずれも3年前に撮影したものである。

 3年前の動画は、編集技術が今と比べて遥かに稚拙ではあるが、よく見られている。個人的には何が面白いのかよくわからないが。

 一昨年撮影した動画は、3年前と比べて編集技術が向上している。おまけに後半からは本人出演をするようになった。だが、どういうわけか、傑作という傑作は少ない気がする。

 去年や今年に作ったものは、一昨年に作られたものとは大差がない。だが、『関東城めぐり』という初めての長編企画が始まったり、料理企画を時折したりとできることが増えた。また、ボイトレを兼ねたカラオケでの歌練の成果なのか、声をより高くできるようになったりといった感じで、大幅な変化があった。

 つまらなくなっているか面白くなっているかはともかく、私の動画は日々進歩しているのである。


 傑作が少ない一昨年の動画の中に『【江戸時代】印籠の用途について』という動画がある。

 印籠とは、あのTBSの国民的時代劇『水戸黄門』の主人公徳川光圀が、悪者との大立ち回りの後に、供回りの助さんか格さんが、控えよ、といったセリフを言ったあとに、

「この紋所が目に入らぬかーっ!!」

 と突き出すシーンがある。

 このシーンがあまりにも有名すぎるので、時代劇の内容そのものを知らなくても、印籠といえば水戸黄門というイメージが強い。人によってはBGMが頭に流れて来るのではなかろうか。

『水戸黄門』の主人公である徳川光圀についても軽く触れておこう。

『水戸黄門』の主人公徳川光圀は実在の人物で、徳川御三家の一つで、家康の11男頼房を祖とする水戸藩の2代藩主。『大日本史』という歴史書の編さんをライフワークにしていた。ちなみに『水戸黄門』の「黄門」は、武衛(兵衛)とか羽林(近衛大将)と同じ官職の唐名で、日本の呼び方だと中納言のことを言っている。なので、水戸黄門は日本風に呼ぶと「水戸の中納言」となる。

 光圀が編さんしていた『大日本史』は、尊王の立場で日本の歴史をまとめた歴史書である。後に国学(日本について研究する学問。江戸時代後期から末期に流行した)や幕末の志士に大きな影響を与えた。

 話は戻るが、その印籠について調べたら面白そうだなと思ったので、解説動画を作りたくなった。また、印籠を持っていたので、予算的にも実現可能だと思ったのもある。


 後日図書館で印籠について調べてみた。

 印籠は蒔絵が施された三重から五重のパーツで構成された小物入れだ。元々印鑑を入れるものとして使われていたが、時代が下るにつれて、薬入れやアクセサリーに用途が変わっていった。

 また、印籠の上部には蓋があるのだが、その上に紐が通っている。

 この紐に根付という現代でいうストラップをつけ、帯に留めていた。

(なるほど、これで印籠と呼ぶようになったのか)

 私は納得した。印鑑を入れる籠で印籠。何となくだが、腑に落ちた。

 あと、アクセサリーとして使われていたのは、少し驚いた。でも、よくよく考えてみれば、着流しの帯に印籠をつけておくのは粋な感じがする。粋というだけでなく、何かあったとき、腰につけた印籠から薬を取り出せるので、実用的でもある。

 他にもいろいろ調べたいことがあったが、私のリサーチ能力が低かったため、これぐらいしかまとめられなかった。

 原稿を軽くPCのテキストファイルで書いたあと、素材となる映像を撮って、そこに音声を入れて動画を作った。

 出来としては、まあまあだった。強いて何か言うなら、もう少し情報が欲しかったこと、黒髪のウイッグが想像以上に似合っていなかったということだろうか。


 撮影に使っていた印籠は、実は中学2年生のときに会津へ研修へ行ったとき、鶴ヶ城の近くにあったお土産屋さんで買った物だ。その証拠として、後ろに金で「鶴ヶ城」と書かれたシールが貼られている。

 この印籠を買った理由は、単純に水戸黄門ごっこができるから、という中学2年生にしては、かなり子どもじみたものだった。だが、調べていて、水戸黄門が劇中で使っている物と違うとわかったので、完全な再現は無理である。

 もし予算の状況がより良くなったら、水戸黄門の印籠を買おうと考えている。それがいつの話になるかはわからないが。


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