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夜中図書室

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おはなし
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#小説

◆小説◆海が鳴る部屋

◆小説◆海が鳴る部屋

薔薇を飼い始めたのは去年の7月からだった。去年の手帳の7月のページにあの仄暗い喫茶店の名前が記してあるから確かに7月だった。「薔薇」というのはその美貌に対する安直な名付けだったが、もう薔薇は薔薇としか思えない。
喫茶店で何を頼んだのか、どういう経緯で薔薇と会話を交わしたのか、今となってはすべてが曖昧だ。……いや、Kがいたな。Kが薔薇を呼んだんだ確か。お前に会わせたい子がいると言うから、またいかがわ

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【未完】くだるふたり

【未完】くだるふたり

長い下り坂をFと歩いた。Fは学生時代からの友人で、何度か寝たこともある。最近は寝ない。私には恋人がいる。Fには寝るだけの友人がいる。また寝ることもあるかもしれないが、わからない。寝るか寝ないかはあまり重要ではない。かと言って他に重要なこともない。
坂の途中の自販機で、Fはいちばん甘そうなジュースを買った。果汁は入っていない。ふた口ほど飲んで「あげる」と缶を差し出される。「嫌だよ」と言う。Fはしぶし

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◆短歌◆小説◆ロリィタ幽霊

◆短歌◆小説◆ロリィタ幽霊



BABY, THE STARS SHINE BRIGHTと呟きピンクの煙になるの

『それいぬ』はお守りだから持っていく黄泉比良坂歩きにくいな

もし来世何になれるか選べたらエミキュのOPの柄になりたい

幽霊になった貴方は淡色で前よりずっとモワティエ似合う

藍白のトーションレースに絡まって呼吸は止まる願いが叶う

仄暗いメゾンに佇むあのひとを押し花にした栞をはさむ

今生は花になるための

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◆小説◆生贄の羊

◆小説◆生贄の羊

兄が生贄に選ばれたので、爪を磨くのを手伝っている。兄は村で一番美しい男だったから、生贄に選ばれたと聞いても誰も驚かなかった。幼いころからはっと息を飲む美しさがあったが、最近は美貌に年頃の若者のもつ鋭利な危うさと妖艶さも混ざり、寄れば熟れきらない南国の果実の香りさえした。美しい足を膝に乗せ、一本一本爪を磨く。兄はそれを静かに見ている。



数年前、一時帰国した叔父がパパイヤを切り分けながら「日本

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◆小説◆映ずる

◆小説◆映ずる

Sが鏡に映らないのに気がついたのは、夏休み前、研究棟旧館のひとけのない階段の踊り場の大きな鏡の前だった。思わず「あ」と口に出し、鏡とSを何度も見る私に、Sは「体質なんだよね」と恥ずかしそうに笑って見せた。
「気がつく人はたまにしかいない。というか、ほぼいない。中学の時に近所に住んでた兄ちゃんと、高校の時の教育実習の先生くらいかな」
「家族は」
「気づいてないよ」
「大学にもいないの?」
「貴方が初

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◆小説◆交信と連鎖

◆小説◆交信と連鎖

月を齧って欠けた歯を埋めた植木鉢から、にょきりと緑青色の植物が生える。
薔薇に似た鉱物のような白い花が咲き、夏のはじまりに朽ちる。やがて重たげな実が付き、はち切れそうに艶やかに実っていった。
相変わらず宿無しのYがスーパーの半額の寿司と安酒とアイスキャンディーを持ってやって来たのは、風のない暑い夜だった。
Yは以前よりも痩せ顔色も悪かったが、瞳には昔と変わらない、金星でも嵌め込んだかのような光があ

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◆小説◆リミナる

◆小説◆リミナる

共有空間から逃げるようにとびだす。広すぎる廊下。天井から冷や冷やとした空気が流れてくる。

一緒にいた人間たちの顔はほとんど忘れてしまったけれど、朝食として出された水分の殆どない穀物と味のないスープ、緑色の飲み物の不快な味や食感はまだ残っている気がした。胃酸と共に吐き出されようとしているのかもしれない。

医務室の前を横切る。白衣とマスクの幾人か。銀のワゴンに乗った金属製のなにかをカチャカチャと動

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◆小説◆短い話

◆小説◆短い話

「幽霊が出る」
「え」
「この部屋、幽霊が出る」
「幽霊って、どんな」
「Fによく似てるけど頭がない」
「頭がないのにFだってわかるのか」
「なんとなく」
「F、この部屋によく来てたもんな」
「一緒に鍋したよね」
「したね。あれいつ?」
「5年前かな」
「そんなになるかー」
「なんで俺の部屋にくるんだろ」
「そりゃ、お前のこと……」
「わっ」
「何? 今の」
「台所の洗剤が落ちたみたい」
「びび

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◆小説◆鬼が来る

◆小説◆鬼が来る

夕暮れにチャイムが鳴って、Aかと思ったらAによく似た鬼が立っていた。
「Aかと思った」
「よく言われます」
「代わりに来たの?」
「まあ、そうですね、あなたがカレーを用意してると言うので」
「そっか」
鬼を部屋にあげる。気がつかなかったが、Aよりもきちんとした良い服を着ている。なんだかそれがおかしかった。
デパートのインドフェアで買った平たい銀色の皿にカレーを盛る。今日は本で読んだインド風の玉ねぎ

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◆詩◆ふゆのひ

◆詩◆ふゆのひ

はじめに。ちいさい海があって、パラソルがあって、きみがいて、ソーダ水があった。
もう冬なのできみはマフラーに埋もれるように巻かれていて。
小屋で火を焚こうと提案すると、はじめての名案だというように目を輝かせるきみ。
サイコロ状にカットした野菜がごろごろと入ったスープをよそう。パンをちぎってひたして食べる。
置きっぱなしのパラソルに冷たい雨があたるおと。
思えば今年も夏は短かったし、冬は永遠のように

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◆小説◆塔の上の

◆小説◆塔の上の

その塔は引越し先のアパートから15分ほど歩いたところにあった。
何のための塔なのか、検索してみても詳細は掴めず。
周りをぐるぐる歩いてみる。窓のようなものがある。入口のようなものがある。壁面は少し苔むしてヒビが入っている。
のぼりますか。
後ろで声がする。大人なのか子どもなのか、男なのか女なのかわからない人物が、にこにことこちらを見ている。
のぼってもいいんですか。
かまいませんよ。ここの主はとう

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◆小説◆頭の中に住む魚

◆小説◆頭の中に住む魚

木曜日の深夜のことです。
頭の中でこぽこぽと音がして、覗いて見たら銀朱の魚が泳いでいました。
魚は昔の恋人に少し似ていて、私の腕にじゃれついてきたかと思えば、すい、と彼岸に行ってしまったり。
考えるべきことがいくつかあったような気がしましたが、それも魚のつくる水流に飲まれて有耶無耶になってしまいました。
私の頭の中より、大きく清潔な水槽が必要だろうと、裏路地の地下にある暗い水族館に行きました。

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