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◆小説◆リミナる

共有空間から逃げるようにとびだす。広すぎる廊下。天井から冷や冷やとした空気が流れてくる。

一緒にいた人間たちの顔はほとんど忘れてしまったけれど、朝食として出された水分の殆どない穀物と味のないスープ、緑色の飲み物の不快な味や食感はまだ残っている気がした。胃酸と共に吐き出されようとしているのかもしれない。

医務室の前を横切る。白衣とマスクの幾人か。銀のワゴンに乗った金属製のなにかをカチャカチャと動かしている。

ここに来てから不思議と死への意識は遠のいていた。いや生の存在感も希薄になりつつあって、これは恐らく「健康ではない」。

造り変えられてしまったのは、脳か、別の部位か、魂か。茫漠たる廊下。きっと円環になっていてどこにも続いていない。どこも目指さず歩く。なんだか愉快になってきて、歌を歌う。廊下の隅にJが立っている。ここに来る前に死んだはずの、Jが、青ざめた顔で。

「死んだじゃなくて、殺しただろう」
背後から声がする。脳天に何かが振り下ろされる。無数の刃が背中に刺さる。血液と緑色の飲み物と穀物とスープと、すべてを吐き出しながら私はまだ歌い続ける。私の死体はバラバラに解体され、次の日の夕食に混ぜられる。

今日も共有空間は退屈で、淀んだ空気で窒息しそうだ。誰かが私が歌っていた歌を口ずさむ。ここにいる人間たちはすべての境界が曖昧で、肉体も精神も混ざり合い、もしかしたらユートピアに近づいているのかもしれない。朽ちるまで、世界が終わるまで、生き続ける、我ら。

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