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◆小説◆頭の中に住む魚

木曜日の深夜のことです。
頭の中でこぽこぽと音がして、覗いて見たら銀朱の魚が泳いでいました。
魚は昔の恋人に少し似ていて、私の腕にじゃれついてきたかと思えば、すい、と彼岸に行ってしまったり。
考えるべきことがいくつかあったような気がしましたが、それも魚のつくる水流に飲まれて有耶無耶になってしまいました。
私の頭の中より、大きく清潔な水槽が必要だろうと、裏路地の地下にある暗い水族館に行きました。
水族館の経営者は不在で、ひとりの青年が椅子に座って本を読んでいるばかりでした。
青年に頭の中を見せ、この魚をここで飼って欲しいと伝えると、構いませんよ、ただし魚の不在はなかなかにこたえるものですよ、と、青年は静かに話しました。
お願いしますと、私は懇願し、青年は少し寂しそうな顔をしてから、ちゃぷん、と、私の水の中に長い指を差し入れました。
銀朱の魚は諦念したかのように大人しくすくい上げられ、新しい水槽に入れられると、まるでそこで暮らしていたかのようにすいすいと泳ぎ回っています。
青年は私に紺色の瞳を向け、どうです、さっぱりしましたか、と尋ねました。
私は元通りのただ水だけが揺蕩う空間を見つめ、確かに寂しいかもしれないと思いました。
青年は、しばらく見ていったらどうですか、と、椅子と紅茶を用意してくれました。
あれが私の精神に住んでいた魚です、と小さな水槽にいる臙脂色のうつくしい魚を指さしました。
精神? 頭の中とは違うところですか?
どうでしょうね、と、青年は少し笑い、私は清々としてきた頭の中をゆっくり旋回してみるのでした。

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