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「幸せになる」には。(“恋愛感情”がない方が幸せ/追う恋と追われる恋)

前回の投稿はこちら▼

幸せになるには

恋愛において、「幸せになる」方法。

私は、「幸せになるため」に生きている。
常に、「どうすれば幸せになれるのか」だけを考えながら、日々を過ごしている。
二つ以上のことがらで迷ったときには、「どちらがより幸せになれるのか」ということだけを基準に、人生の選択をしてきた。

そんな私にとって、恋愛において「幸せになる」とはどういったことなのか、考察をしていった。


①「恋愛感情」と「幸せ」の関連性

ー「恋愛感情」を持たない方が幸せ ー

私は今後一生、人に対して「人として好き」以上の感情(=恋愛感情)を持ちたくない、と考えることがある。

恋愛において、どの場合が一番「幸せ」になれるのかを考えてみた時、「人に対して恋愛感情を抱いた場合」と「抱かなかった場合」では、圧倒的に「抱かなかった場合」の方が幸せになれる確率が高いのではないか、という仮説。



例として、様々なパターンを挙げて考えてみたい。
【(恋愛的に)好きな人ができた場合】
最初は幸せ。(三ヶ月程度)

その後の流れ
パターン1 「自分の感情を押さえ込み、相手に告白をしないまま終わる」
=バッドエンド。一番切ない終わり方。
   「私の気持ちはなんだったのだろうか」と思ってしまう。

パターン2 「告白をするが、失恋してしまう」
=バッドエンド。
 自分が辛いだけではなく、これによって相手と気まずくなり、以前より関係性が悪くなってしまう危険性もある。

パターン3 「付き合えるが、最終的に別れてしまう」
=バッドエンド。付き合わずに終わるよりも辛いかもしれない。もう元の関係性には戻れない。
 「付き合ってから別れたせいで友達にすら戻れない」という話を、周りでよく聞く。それなら最初から最後まで『友達』でいた方が幸せではないだろうか。

パターン4 「付き合って結婚もするが、トラブルがあり離婚」
=バッドエンド。失うものが大きすぎる。
 失うもの(子供など)のために、離婚したくてもできない夫婦も、不幸だと思う。

パターン5 「付き合って結婚。死ぬまで幸せ」
=ハッピーエンド。
 しかし、こうなることは、確率的にはほぼゼロに近いと思う。



【(恋愛的に)好きな人ができなかった場合】
・人として好きな人達と永遠に仲良くしていられるので、死ぬまで幸せ。
・大切な人を失わずに済む。
 誰かと変に気まずくなったり突然関係が切れたりすることもないので、すべての人間関係を大切にできる。
・特定の相手に特別な感情を抱かない分、心に余裕ができ、沢山の人に愛や優しさを分けてあげることができる。
・嫉妬や個人的な感情で、相手や他の人にも迷惑をかけることがないので、とても生きやすい。
・面倒臭い感情に振り回されることも、 「自分の人生の中心が他人になってしまう」というおかしなことも起きないので、自分の人生を自分のために生きられる。
=ハッピーエンド。



これらを踏まえて考えると、人に対して恋愛感情を抱いてしまった場合、パターン5の「付き合ってうまくいく。結婚して死ぬまで幸せ」にならない限り『幸せ』(=ハッピーエンド)になる方法はないのではないか。
人に対して恋愛感情を抱かず、「人として好き」程度で留めておくことができれば、ほぼ全ての確率で幸せになれるのではないか。

という仮説。

私は、「人として好き」だと思えない相手に対しては、「恋愛的に好き」だと思うこともできない。
つまり、「好きになった人」は全員、「人としても好き」なわけで、「人として好きな人」は「一生関係を切りたくないくらい大切な相手」である。
しかし、その相手に恋愛感情を抱いてしまったことが原因で、その相手と関係を切らないといけなくなったり、「もう二度と会えない相手」に変わったりしてしまう。
こんなに残酷なことがあるのだろうか。

例えば、友達から恋人になり、最終的に別れてしまった場合、恋人だけでなく「友達」も失うことになってしまう。
私はそれに耐えられる気がしない。

もちろん、「恋をしている時は幸せ」であることに間違いはない。
しかし、恋が始まった瞬間のたった数ヶ月間の幸せのためだけに、最終的に大切なものを失ったり、その後の長期的な「幸せ」を失うのだとしたら、どう考えても代償が大きすぎないだろうか。


たしかに、「恋をすると成長する」「恋をしてる人はキラキラ輝いて見える」といった話も、わかる。
しかし、『好きな人』のために努力して成長できたとしても、最終的にその人を失ってしまうなら、失ったときに「私は今まで何のために頑張ってきたのだろう?」と絶望してしまうだろうし、ただただ虚しいだけだと思う。

私は、人のためにしか頑張れない人間ではなくて、自分のためだけに頑張れるような人間になりたい。
どんな時でも自分の味方でいてあげられるのは、自分自身だけ。
他人に依存しない。自分のメンタルは自分で保つ。
そういった人間になりたい。

それから、私自身、誰かに片想いをしていて
「好きな人が一番!」という感じだった時期は、
あまり周りが見えていなくて、自分を大切にしてくれる友達や、人として好きで尊敬できるような人や、周りにいる「大切に思える人」の存在に気づけていなかったような気がする。
特定の人に特別な感情を抱かない方が、心に余裕ができ、沢山の人に愛や優しさを分けてあげることができる気がする。


あとは、無駄に病んだり嫉妬をしたり、自分の面倒臭い感情に振り回されることもなくなるので、これもやっぱり「心に余裕ができる」のだと思う。
恋愛感情は、何よりも綺麗で美しくて尊いものであると同時に、何よりも汚くて醜くて邪魔な感情だとも思う。


やっぱり、先述の「パターン5」まで辿り着けると決まっている相手以外には、恋愛感情を持たずにいるのが一番幸せなのだと思う。
人類全体として、「両想いになれる相手」以外には恋愛感情を持てない、という仕組みになってくれないものだろうか。


この「恋愛感情を持たない方が幸せ」という理論を考えるようになったのは、自分自身が片想いをしていた時に、「自分の感情が邪魔だ」と感じるようになったことがきっかけだった。

しかし、周りも見えなくなるような恋をしていた頃の自分を思い出すと、すごく幸せそうで、毎日がキラキラしているように見えてしまい、時々羨ましくなってしまう。

結局はないものねだりなんだろうな、とは思う。




「追う恋」と「追われる恋」
ー「追われる恋」の方が幸せ ー

「追う恋」よりも「追われる恋」の方が幸せになれるのではないか、という考え。
「幸せになれる」というよりは、「両想いになったり、恋人関係になれる確率が高い」という方が正しいかもしれない。

私自身は、好きになった人に振り向いてもらうための努力や「自分を相手好みに変える」のようなことが絶対にできない。(この内容の詳細は後述)
なので、「好きになった人と付き合う」が叶う確率はほぼないが、「自分のことを好きになってくれる人と付き合う」ということは簡単にできるのではないか、という考え方。

「人として無理」だと感じるような人や、桁違いに性格が悪いような人以外なら、仲良くなって相手のことをしっかり知っていけば、性別も年齢も関係なく、大体誰のことでも「人として」好きになることはできるような気がしている。
自分から見て「良い部分」がある人で、自分のことを好きになってくれる人なら、その人のことをちゃんと好きになれる自信がある。

だから、「好きになった相手に振り向いてもらう」よりも先に、「人に追いかけてもらえる自分になれるように自分磨きをする」ことが、幸せになるための第一条件だと思う。
好きな人に好きになってもらうよりも、自分を好きになってくれた人を好きになる方が、ハードルも低く、可能性が高い。ような気がする。




ー 「追う恋」の方が幸せ ー

先ほどの項目とは真逆になってしまうが、「追われる恋」よりも「追う恋」の方が幸せなのではないか、という考え方。

私自身は、恋愛に限らず、全体的に「能動的」なことの方が楽しめる性格だと思う。
人にプレゼントをもらうよりも、あげる方が楽しいし
告白をされる側よりも、する側の方がワクワクするし
プロポーズをされる側よりも、する側の方が憧れる。
「相手の反応を見ることができる」という嬉しさもあると思うし、ただの自己満足だと言われてしまえばそれまでだが、
追う恋は、本当に毎日が楽しくて、バラ色に見えるし、自分自身を成長させることもできるし
誰かを追いかけている自分は眩しいくらいにキラキラと輝き、「美しさ」を身に纏いながら生きているように感じる。

相手の辛さを自分の辛さに感じて、その度に泣きそうになってしまうくらい、愛せる人のことを、一方的に好きでいるだけの時間は、尊くて素敵な時間だったなあ、とふと思ったりする。

とにかく、「誰かに好かれている」自分よりも
「誰かのことを必死で追いかけている」自分の方が好きだ、ということだけは、紛れもない事実だ。

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