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ルイス・ブニュエル監督 『ビリディアナ』 : 真の〈堕落〉とは、光の中にこそある

映画評:ルイス・ブニュエル監督『ビリディアナ』

私は、趣味でキリスト教を研究している人間なので、あのブニュエルが描いた「清純な修道女が堕落させられる」物語と聞いて、大いに期待したのだが、正直なところ、完全に期待はずれだった。

本作は、1961年の作品で、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したが、その内容が「反宗教的」との理由で、バチカンを激怒させ、カトリック国であるスペインの政府により作品の国籍を剥奪される、などという騒動にまで発展した。

しかし、今の目で見れば、それも「古き良き時代の呑気な騒動」という印象は否めない。
なにしろ我々は「神父による児童虐待事件」の被害者が、世界中に万単位で存在したことを知ってしまったし、「バチカン銀行の資金洗浄事件」なんて現実も知ってしまった。
そんな「聖職者だって、人間だもの」という世界に私たちは生きているので、「世間知らずの若い修道女が、近親者や信頼していた社会的弱者に裏切られることで、神を見失って世俗に堕ちる」などという「ナイーブな物語=現実にいくらでありえる話」に、いまさらショックを受けることなど、できない相談なのである。

実際、本作前半の「ビリディアナに、肉欲を滾らせる叔父」だとか、後半の「ビリディアナに、恩を仇で返す乞食たち」というのは、基本的には現実にいくらでもあり得る話で、そんな「現実の反映」でしかない物語を、ただ頭から否定し、無かったことにすれば良いというようなものではない。

ビリディアナのような清楚な美人だったから、この映画の叔父さんではなくとも、つまり私だって、つい「後添いに」なんてことを、無理は承知で考えてしまうだろう。たしかに薬まで飲ませたのはやりすぎ(犯罪)だが、強姦に及ばなかった自制心(と、罪を悔いて自殺したこと)は、一応のところ情状酌量の余地を認められるだろう。つまり、彼は単なる「野獣」だったわけではなく、所詮は「妻に先立たれた、哀れで寂しい独身男」に過ぎなかったのである。
また「乞食」などの「社会的弱者」が、それゆえに「無垢な人々」だというビリディアナの「ナイーブな人間観(思い込み)」は、ある意味では、極めて「差別的な偏見」に由来するもので、彼らを「欲望を持つ人間」だと見ない「未熟なロマンティストの、上から目線」のそれだとも言えよう。だから彼女の受難には、「自業自得」の側面も、まったく無いというわけでもないのである。

だからこそ、本当の意味での「神聖冒瀆」を目指すのならば、ビリディアナのような「世間知らずの小娘」ではダメなのである。
どんなに酷い裏切りでも「最後は赦す」ような、まさに「怪物のような聖女」を徹底的に地獄へ突き落とし、堕としきっててこそ、真の神聖冒瀆となるであろうし、私たちは、そこにこそ「人間と現実の深淵」を見ることにもなるのだ。

ただし、「怪物のような聖女」を堕落させるには、世間並みの強姦や裏切りなどではダメだろう。そんなもので「汚される」ようなものは、「処女性」のような「通俗的聖性」でしかないからで、そんなものではむしろ、「怪物のような聖女」の「信仰の聖性」に呑み込まれて、かえって彼女を強化しさえするはずだからである。

したがって、彼女を「堕落」させるものとはむしろ、「現実の教会」がそうであったように、「無私で無垢な聖女という栄誉」といったものにこそあるはずで、それこそが「真の罠」なのである。彼女には、その栄誉に見合った「地位と権力」を与え、例えば「トロッコ問題」への対応をさせればいい。1人と5人、いずれかの命を選ばせるのだ。そして、どちらを選んだにしろ、その「苦渋の決断」を讃嘆すればいい。彼女は、常に肯定され賛嘆されるべきなのである。

つまり、人を世俗まで引き下ろすものとは、見るからに「邪悪な悪魔」ではなく、「神の顔をした悪魔」でなくてはならないたのだ。

しかしそれが、カトリックとして生まれ育ち、「現場のカトリック」しか知らなかった、いささか直情径行のあるブニュエルには、わからなかったのであろう。
だからこそ、本作ラストの、堕落を暗示する「放心したビリディアナ」の表情は、意外にもいささか「間抜け」で、すこしも「美しくない」。「堕落したから、美しくなくなった」のでは、「神聖冒瀆」にならないではないか。
そうではなく、逆に「堕落したビリディアナの、この美しさは何なのか」と、見る者を震撼させる「堕落の美」を描いてこそ、「神聖冒瀆」に成功したと言えたはずなのである。

ともあれ、ブニュエルは「敵」を甘く見すぎていた。現実の教会はお粗末でも、真の敵は、当然のことながら「(敵も)さるもの」だったのである。
そしてこれは、カトリック・ブニュエルの限界だったのかも知れない。

初出:2020年1月5日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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