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忌野清志郎『ロックで独立する方法』 : ロックの子

書評:忌野清志郎『ロックで独立する方法』(新潮文庫)

私は、音楽には興味がない。音楽をほとんど聴かない。しかし、カラオケは好きだ。
カラオケが好きだというのは「音楽が好きだ」ということではなく、「歌うことが好きだ」ということである。つまり、人の作品には興味がない。自分の「身体を使う行為」に快感を覚えるということなので、運動好きの一種である。

だから、忌野清志郎という歌手を知ったのも、ごく後になってからだ。
また、知った当初も、あの甲高い声と癖のある独特の歌い方は好みではなかった。

私が忌野清志郎を意識したのは、世界的に著名な言語学者にして平和運動家であるノーム・チョムスキーを扱ったドキュメンタリー映画『チョムスキー 9.11 Power and Terror』(2002年)のエンディングテーマに、彼の曲「あふれる熱い涙」が使われており、それが作品にマッチしていて、とても印象的だったからだ。いま調べてみると、ほかにも「ギビツミ」「クラス」の2曲が挿入歌として使用されていたようだが、そっちは記憶にない。
ちなみに私は、「反骨の人」ノーム・チョムスキーのファンで、彼の著作はそこそこ読んでおり、無理して言語学の本まで読んだりもしている。

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ともあれ、それが切っ掛けで、忌野清志郎という歌手を、意識の片隅におくようになった。
「君が代」をパンク・ロック風にアレンジした曲「君が代」の騒動(1999年)もあとで知って、なるほどと思った。「なんだかケバケバしい見てくれの人だが、反骨の人なんだな」と納得できたのである。そして、そこに親近感を覚えるようになった。
しかし「雨あがりの夜空に」のような、一般受けした曲しか聴くことはなかった。基本的に、私は音楽に興味がないので、馴染みのない曲を聴くほど、忌野清志郎の音楽にも興味がなかった。つまり、私が興味を持ったのは、彼の「人」としての部分だった。

今回たまたま、書店頭で本書を見かけ、そのタイトル『ロックで独立する方法』に「これだ」と思った。これを読めば「独立の人」である忌野清志郎がわかるはずだと思って、手に取ったのである。

言うまでもなく、忌野清志郎の「独立」とは、「縛られない自由」という意味で、彼を縛ろうとするものは、音楽業界やファンや国家に限ったことではない。彼は「ロック」の人として、「自分」自身にも縛られない人として苦闘しつづけた。
そのためには、ストレートな「反抗」だけではなく、あらゆる手段を使ったし、それがすべてうまくいったわけではなく「妥協」を強いられることもあったが、彼は「ロック」の人として、自身を縛るものと戦い続ける人生を選び続けた。だから、その生き方に憧れと敬愛を抱いた人も少なくなかったのだろう。

「忌野清志郎のように生きたい」とそう願いながらも、彼のようには生きられない多くの人たちにとって、生前は無論、この地上からいなくなった今でも、彼は人々の「希望」なのである。
きっと彼は、「ロック」に愛された、特別な人だったのだろう。

『 そもそもインタビューにしろ記事にしろレビューにしろ、最近は全部が全部チョウチンとヨイショばっかりだ。どんなバンドもミュージシャンも、ことごとく誉めまくられてる。批評や評論じゃなくて、すべてはプロモーションでありPRになってるんだ。(略)
 もちろんオレだって人の子だから、誉めてもらえば気分は悪くない。めちゃくちゃ露骨にけなされれば「この野郎」と頭にもくる。でも、「内容のない賞賛記事」と「内容のある批判記事」とだったら、後者の方がずっと好きだね。』(P133)

彼なら、このレビューを気に入ってくれるだろう。
「オレの音楽がわからないのか。しかたねえな」と苦笑しながらでも、きっと。

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初出:2019年4月15日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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